最終章/断罪

(1)


 アレクサンダーが事前に紙片に記していたものをレイモンドが武器庫から運び出し、床に敷いた布の上に並べる。かなりの量だが、多いのは量だけで、一つ一つの武器は小さいものだ。

 仕立て屋が用意した衣服をアレクサンダーが自ずからチェックし、問題はないと確認出来ると、使用人の手を借りて身に着けて行った。

 まず硬繊維かつ高密度で編まれた布を使用した、ハイネックの黒の半袖シャツを、肌着に当たる服は身に着けず直に着込むと、鳩尾の辺りから腰骨の辺りまでを覆うベルトを装着。コルセットにも見えるが、最も堅い革を素材としているので、かなりの力がなけれが刃も通さない。背面に付属した金具にプッシュダガーを横に二列、縦に三列の計六つを取り付けた。

 ズボンも下着の上に黒の革素材で汗を吸わないものを履き、通常のベルトを着けた後に、両腿にも鞘付きのベルトを装着した。小型のナイフを差し込むと、飛び出さないように留め具をしっかりと留める。

 黒のロングブーツを履き、その内側にスローイングナイフを左右に一本ずつ忍ばせた。踵部分に作られた仕込み部分には、鋭利な部分が露出するように半月状の刃をセット。

 細い鎖が織り込まれた、丈が短めのベストを羽織り、前部分を小さなベルトで留める。その上から片腕を通すタイプのソードホルダーを装着し、短刀を鞘に入れた。

 肘の下から手首までは布を撒き、その隙間にラペルナイフを挟むと、剣を持つ手が滑らないよう革のグローブを嵌める。拳を何度か握って具合を確かめると、残るはマントを羽織るだけとなった。

御髪おぐしはどうされますか」

「そのままでいい」

 質問に返すとレイモンドは頷いて、髪油を擦り込み丁寧に梳くだけに留めた。雨が降った場合の対策だが、戦闘の邪魔になりかねない髪を敢えて纏めないのは、装備の目隠しを目論んでだ。

 ともあれ、マントを羽織って腰に剣を下げると、準備は完了だ。アレクサンダーは大きな息を吐いて、レイモンドに言った。

「俺が出発したら……」

「わかっております。ご心配なく」

 アレクサンダーの台詞を遮って、レイモンドがにこりと笑う。彼の笑顔を見てアレクサンダーが頷くと、レイモンドが言い添えた。

「ご帰還を願っております」


 馬に乗って『外』への出入り口である門に到着すると、二人の門番は一瞬顔を見合わせたが、扉を開けてくれる。

 一歩進むだけで国内から国外へと移動すると、遠くに黒い雲が見えた。同時に、覚えのある感覚が襲って来る。

 もう少し遅ければ、もっと近付かれていたかもしれない、と冷や汗をかきながら、アレクサンダーは馬の腹を蹴った。


 目的地は近くに見えたが、それは雲がアレクサンダーの思うよりも巨大だったせいで、遠くに豆粒程度に見えていた黒点が『罪人』の男だと分かった時は、既に国を出てから一刻は走った頃だった。

 小雨が降り注ぐ中、『罪人』から距離を置いて馬から降り、そして馬に囁く。

「帰れ。ここにいてはお前も危ない」

 命じると、馬は不満げな仕草をしつつも身を翻し、走って行く。それを見送ってから、アレクサンダーは腰の剣を抜いた。

「また会ったな」

 アンフィスバエナから伝わる不穏な気配を押し殺そうと、敢えて笑いながら言いつつ剣を構える。

 目だけを動かして黒衣の男の周囲を覗うが、水蛇ヒュドラがいない。それでもこの近辺にいるに違いないので、アレクサンダーは大きく息を吸って、吐いた。

「我が名はアレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフ。――刑を執行する」

 アレクサンダーが剣を振りかぶりながらぬかるんだ地面を蹴った瞬間、髪が深紅に染め上がる。同時に、事前に剣に仕込んでおいた小さな魔法陣から炎が噴出し、それが剣先の勢いを後押しした。

 剣の軌跡を炎が追って円を描き、その先端が男の肩口に潜り込む寸前、鈍い金属音と共に弾かれる。

 思う以上に強い力で押し返され、見ると男が剣を抜いている。黒衣の隙間から見えた胴部分は、鎖帷子で覆われていた。

 『罪人』が魔法士であろうとも、武器による反撃をしないとも限らない。アレクサンダーは舌打ちをして大きく後方に飛び、両手で持っていた剣から片手を離し、その手を腰の後ろに持って行く。プッシュダガーを一本素早く引き抜くと、腕大きく振って勢いを作り、そのまま『罪人』に向かって投擲した。

 『罪人』に向かって一直線に飛翔するダガーを追って前進し、『罪人』がダガーを弾いた隙に再度剣を振る。炎は消えたが、熱を持ち赤くなった剣身が、『罪人』のがら空きの胴にめり込んだ。

「ぐあっ……!」

 くぐもった呻きが聞こえたが、防護服の所為で分断には至らない。が、『罪人』が吹っ飛んで地面を転がって行く。アレクサンダーはまた地面を蹴って、大股で走った後に跳躍しながら剣を頭上に掲げた。

「――うおおおおっ!!」

 雄叫びを上げながら剣を振り下ろし、『罪人』を地面に縫い留めようとしたところで、

「!?」

 奇跡的に気付いて叫んだ。

「ヘルミルダ!!」

 アレクサンダーの髪が銀色になると同時に、下から噴き上がった強い風によって上方へと押しやられる。空中で身を捩って態勢を立て直したところで、すぐ下を鱗の生えた巨体が通り過ぎて行った。

「どこから……!」

 呻きながら着地し、腕からラペルナイフを引き抜く。すぐには投げず、柄の部分に開いた穴に小指を通し、小さな刃をぶら下げたままで剣の柄を握った。

 少し離れた場所で『罪人』が身を起こし、その背後に巨大な水蛇が見える。

 目視で距離を測りつつ、おかしい、と思った。

 この周囲に湖はないし、ヒュドラのような巨大な召喚獣が身を隠せるような障害物もない。土竜のように、地面を掘って隠れていた訳もない。

 いずれにせよ、いつ出て来るかと気にしながら戦う必要もなくなったのは、不幸中の幸いだ。

 いつでも走り出せるように踵に重心を移し、腰を落とす。剣の柄を持つ手に力を籠め直し、深呼吸をした。

 が、ヒュドラを後方に控えた『罪人』が、相変わらず顔を隠すフードの下で、唇を歪めるのを見て目を瞠る。

 鳥肌が立つような金切り声で、ヒュドラが哭いた。同時に、アレクサンダーの真上に魔法陣が現れる。効果範囲から逃げることなど不可能な、巨大な陣だ。

「ルタザール!!」

 即座に叫び、剣先を上空に突き上げる。その先には既に、アンフィスバエナが描いた炎の魔法陣があった。空の下に描かれたヒュドラの魔法陣とアレクサンダーの間に、合わせ鏡のように向かい合う形で。

 毒雨が地上に向けて降り注ぐのと、天に向けて炎の柱が立ち昇ったのは、ほぼ同時だ。

 灼熱に耐え切れず黒い雨が蒸発し、周囲に白い靄が立ち込める。相殺されたと確信出来てから、アレクサンダーは魔法陣を消して剣を下げた。

「二度は喰らわん」

 言って、『罪人』に向かってにやりと笑う。

 深紅から漆黒の色に戻りかけている髪を掻き上げ、マントの留め具を外し、水を吸って重くなった布を地面に落とす。

 相手の必殺技の対策が成功しただけで、『罪人』も召喚獣も未だに健在だ。

 次にどう動くかを考えていると、ふと、水蛇が顔を遠くへ向けた。アレクサンダーのずっと背後の、どこかを見ている。

「――!」

 視線の先に何があるかを察して、後方を見る。

 遥か遠くに小さく見える、壁に囲まれたルデノーデリア王国だ。

「まさか……!」

 震える声で呟くと同時に、王国全てを範囲内に収める、巨大な魔法陣が国の上空に現れた。

 何の術か、などと考えるまでもない。そして、アレクサンダーの魔法が使える距離でもない。

「貴様――」

 『罪人』に視線を戻し、目を瞠る。『罪人』が剣を地面に突き立てて両手を広げ、いくつもの魔法陣を準備していた。

「!?」

 その魔法陣から次々と黒い四足獣が現れるのを目に留め、息を呑む。

「魔獣……!?」

 危険な存在ではあるが、滅多に人里には現れない獣だ。アレクサンダーでさえ、今まで見たのは片手で数えられる程だというのに。

「俺は召喚獣を喚んだ魔法士だぞ……。魔獣など訳もない」

 初めて『罪人』が言葉を発し、笑う。

 反対に言葉を失うアレクサンダーの背後で、巨大な魔法陣が発動しようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る