(9)
腕の中からアオイが抜け出した気配がしたので目を開けると、窓の外の明るさから見て夜明け前だった。
「アオイ?」
「あ、ごめん。起こした?」
申し訳なさそうに眦を下げるアオイに首を振り、身を起こす。アオイは軽く乱れた寝間着を整えて、扉に向かって歩いて行こうとしていた。
「まだ起きる時間じゃないだろう」
「一緒に寝たことを、誰かに知られたくないんだよ」
アレクサンダーのぼやきにアオイは頬を染め、それだけを返してから静かに廊下に滑り出た。
何かが変わるかと思いきや、少なくとも表面上ではアオイの態度に変化は見られず、アレクサンダーとしては肩透かしを食らった気分だ。とはいえ、突然ベネディクトとオリヴィアのような距離感になられても戸惑っただろうが。
さておき、アオイとの関係をはっきりとさせたことで、別の問題に注力出来るとも言える。アレクサンダーはデスクに向かうと、手紙を一通書いて封蝋印を押した。レイモンドに渡して送るように指示を出してから、再度ペンを取って手紙を書く。
ほぼ同じ内容の手紙を二通書くと、先と同様に封蝋印を押し、しかしこれは、デスクの引き出しに仕舞った。
午後になると館の前に数台の馬車が止まり、館内で一番広い部屋に大量の長持が運び込まれる。
片眼鏡の初老の男が、アレクサンダーの前で腰を折った。
「アレクサンダー様、本日はお日柄も良く……」
「突然悪いな。最速で頼みたいものがある」
「承知致しました。使用人を数名お借り致します」
「ああ」
男の言葉に頷き、レイモンドも含めて荷物を運び込んだ部屋へと連れ立って向かった。
その途中、メイド服で掃除をしていたアオイに会ったので、レイモンドに案内を頼んだ上で、男には先に行くよう言うと、アオイに歩み寄る。
「お客さん?」
「というよりも、俺が呼んだ仕立て屋だ」
「服を作ってもらうの?」
目を瞠るアオイに、眉尻を下げて苦笑する。
「まあ、服は服だが、仕事用だ。前にボロボロにしてしまったからな」
「ああ……」
アレクサンダーが担ぎ込まれた時のことを思い出したのだろう、アオイが表情を曇らせたので、アレクサンダーはアオイの頭頂部を軽く撫でた。
「そんな顔をするな。準備を万端にする時間があるのは良いことだ」
「……うん」
アレクサンダーが笑って言うと、アオイはやっと笑みを見せた。
アオイにはまだ仕事があるので、彼女とはそこで別れ、仕立て屋を待たせている部屋へ向かう。
アレクサンダーが扉を開けると、仕立て屋は既に長持の中に入れてあった様々な種類の布を広げており、メジャーを片手に待ち構えていた。
「今回は如何致しますか? 今までご着用されていたものの、作り直しでしょうか」
「いや、それも頼むつもりだが、今から言うものを先に作って欲しい」
どことなく目を輝かせている仕立て屋に掌を見せ、アレクサンダーはここ数日考えていたことを述べた。
採寸や布地選びなど全てが終わって仕立て屋が帰る頃には、既に夕方になっていた。ほどなく夕食の時刻となり、食堂でアオイと食事を摂る。
つつがなく食事を終えると、アオイと共に食堂から出たのだが、その隙にこそりと言った。
「アオイ、今夜も俺の部屋に来ないか」
「ふぇっ!?」
途端にアオイが顔を真っ赤にし、曖昧な笑みを浮かべつつ肩を窄ませる。
「や、でも……二日連続は流石に体力が……」
「いや、一緒に寝るだけでいいんだが」
「………………」
アレクサンダーが素早く言った台詞にアオイが半眼になり、背中をばしんと叩かれた。結構強めに。
「な、なんだ?」
「何でもない」
意味が分からずアレクサンダーが目を瞬かせるも、アオイが頬を染めたままで渋面を作り、アレクサンダーを置き去りにしてさっさと自室へ行ってしまった。
そんなことがあったので、アオイは来ないものと思ってしまったが、アレクサンダーがベッドに入る時刻になると、アオイはアレクサンダーの部屋の扉を控え目にノックした。
アオイを迎えてベッドに入ると、昨夜のように横になってから軽く抱き合う。そのまま眠るつもりだったのだが、アオイが抑えた声で言って来た。
「アレックス、もし……前にアレックスを負かした奴と戦って、また大怪我を負うことになっても、とにかく死なないでくれよ。生きてさえいれば、何とかなるんだから」
「わかってる」
アレクサンダーが微笑んで頷くと、アオイが身動ぎをした。
「前に言ってたけど、召喚獣の力を完全に発揮出来ないって、どうにもならないのか?」
「……もう猊下にそれは聞いた。だが、どうにも出来なさそうだ」
「聞いたのは一人だけだろ。他にもっと聞ける人はいないの?」
アオイがアレクサンダーの顔を見上げ、やや強い語調で重ねたので、少し驚いてアオイを見ると、怒りも含まれた不安げな顔が見えた。
彼女の気持ちは痛いほど理解できるが、何をしようがどうにもならないことはある。アレクサンダーは諭すように返した。
「魔術士と比べて少ないものの、召喚術士もそれなりの数がいる。……だが現時点では、猊下が最も優れた力と知識を持つ召喚術士だ。アンフィスバエナと俺の魂と繋げる召喚術を行ったのも猊下だから、俺の召喚獣について問うとすれば、猊下以外に有り得ないんだ」
「え、そうなんだ……」
「言ってなかったか?」
小さく首を振るアオイに、アレクサンダーも目を瞬かせる。そういえば、枢機卿を話題に出したこともあるし、彼が召喚術士ということも話したが、そこまでは言っていなかったかもしれない。
「とにかく、そういう訳だから……出来る限り足掻くしかないな」
「………………」
アレクサンダーがそう言うも、沈黙が返されたので、アオイの顔を覗うと、何かを考え込んでいる。
「アオイ?」
「あ、ごめん。……なんかずっと、前から引っ掛かってることがあってさ。今それがわかりそうだったんだけど、駄目だった。何だろうな」
言って、もう寝ようという合図なのか、アオイがアレクサンダーに身を寄せて来たので、アレクサンダーは彼女の額に軽くキスをして、目を閉じた。
アオイには言っていないが、アレクサンダーにもずっと引っ掛かっているものがある。部屋の片隅に居座った何かが、時折物陰からこちらに向かって小石を投げるように、存在を訴えて来る。
いっそ無視してしまえばいいのだが、本能か潜在意識が忘れさせてくれないのだ。
アレクサンダーは息をそっと吐き、アオイを抱く腕に力を込めた。
仕立て屋を急かした甲斐があってか、頼んだものが届いたのは翌日の昼過ぎだった。
その日は朝から灰色の雲が空を覆い、湿気を含んだ風が壁を越えて街中に届き、使用人達は嵐が来るのかと囁いている。
アレクサンダーは自室のテラスから外をしばらく眺めてから、デスクに入れていた封書を二通取り出し、アオイを呼んだ。
「済まないが、使いを頼まれてくれるか?」
「いいけど、どうしたの?」
「殿下……ザックに言伝だ。途中マツリも誘って、二人で王城へ行ってくれ。この封書を門番に見せれば、通してくれる」
「わかった」
「急ぎだから、すぐに出発してくれ。馬車の用意は頼んである」
アレクサンダーが申し訳なさそうに言うと、アオイは気にするな、と笑顔で身を翻す。着替える為だろう、小走りにアレックスの部屋を出て行った。
そう時間をかけず、馬車に乗って出発したアオイを確認すると、今度はレイモンドを呼ぶ。
「準備だ。急げ。時間がない」
腰を折る執事にただそれだけを言うと、レイモンドは目を瞠り、しかし即座に頷いた。
■第五章/顕現:終
※本来この章は(10)まであり、↑は(9)を丸ごと飛ばした(10)の内容となっております。カクヨムの年齢制限に添った措置ですので、ご了承ください。なお、触りっこしただけで一線は越えてません。(東雲ノノより)
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