(8)


 そろそろ帰る頃合いだったので、マツリと共に室内に戻ると、アオイとザカリエルも立ち上がる。

「アレックス、紅茶全然飲んでないじゃないか」

「済まん。話が弾んでな」

 折角用意してくれたものなのに、と言いたげに頬を膨らませるアオイに笑ってから、二人を交互に見る。

「アオイもザックと仲が良くなったようだな」

「ああ。お前の女性遍歴について話していた」

 と、アレクサンダーにザカリエルが平然と返したので、途端に肩を怒らせる。

「女性遍歴などない!」

「ないんだ」

 アレクサンダーの声にマツリが半眼でぼそりと言ったが、ザカリエルは笑うばかりだ。

「そう言ったよ。心配するな」

「じゃあ、何でそういう話になったんだ」

「そりゃ、アオイが聞きたがったから」

 渋面で問うたアレクサンダーに、ザカリエルが平然と返し、更にはアオイが「ほんぎゃ!」と悲鳴を上げた。

 思わずアオイを見ると、彼女は耳まで赤くなり、アレクサンダーから目を逸らす。そして、ぼそぼそと呟くように弁明を始めた。

「いや、友人としてアレックスの人生を知る努力をしようとしただけで、別に女性関係を詮索しようとした訳では……」

 肩まで窄めるアオイを見て、ザカリエルがマツリにこそりと言う。

「何この子。すごく可愛くない?」

「可愛いでしょう。あなた、結構見る目があるようですね。ファンクラブの会員募集中ですが、今なら会員二号の座を手に入れられますよ」

 そんな会話をしつつ頷き合う二人を見て、意外と気が合うんじゃないか? とアレクサンダーは思った。


 馬車の準備が出来たと言うので、ザカリエルの見送り付きで王城前まで移動したのだが、ふと思い出してアレクサンダーはマツリに確認する。

「ドレスを買った店に預けてある、君の服はどうする? 店に戻って着替えてから帰って来るなら……」

「あー、私は明日取りに行く予定。今日はこのまま寮に帰るよ。ドレス姿を見せる約束もしてるんだ」

 街まで馬車で送る、と言おうとしたところを、察したマツリに手を振られた。

 結局行きと同じくアオイと二人で馬車に乗り込んだのだが、先刻のことがあるからか、アオイは居心地が悪そうにアレクサンダーから目を逸らしている。

 気まずくとも喧嘩をした訳ではないので、時間が経てばまた元に戻るだろう。しかし、ザカリエルとの会話を思い返すと、話が出来る機会がいつでもあるとは限らないので、アレクサンダーは咳払いを一つしてから、アオイに切り出した。

「ザックと話してみてどうだった? 仲良くなれそうか?」

 問うと、アオイは少し考えてから、言葉を選びつつ言って来る。

「第一印象はアクの強い人って感じだったけど、良い人っぽいね」

 アオイらしいとも言える評価に頬を緩めて頷き、言う。

「……前に取り逃がした『罪人』と、また戦うことになる。今度も無事だという保証はない。だから、もし俺に何かあった時は、ベンだけじゃなく、ザックにも相談するんだ。悪いようにはされないだろう」

 アレクサンダーは勿論、アオイとマツリのことを気にしていなければ、今日の話もなかったはずだ。アレクサンダーの友人、アレクサンダーの妻となる予定だった人物となれば、それなりの援助も期待出来る。

 そういう目算から言ったのだが、アオイは表情を硬くした。そういう反応が来ることは分かっていたが、こればかりは聞いてもらわなくてはならない。アオイがこの先も、この世界で生きて行くつもりなら。

 この世界に来たばかりの異世界人が、保護者の存在を失った場合どうなるか、アレクサンダーとて想像がつく。強固な後ろ盾は、あって悪いことはない。

 アオイは肩を窄めて唇を嚙み、膝の辺りに爪を立てている。そんな姿さえ、アレクサンダーの為だと思うと嬉しく思えた。

「アオイ」

 呼ぶと、アオイは顔を上げてアレクサンダーを見、そして大きな息を吐く。

「無事だという保証はないなんて……そういうことを言うのはらしくないよ。死にたがりじゃないって言ってたじゃないか」

「だが、一度は負けた相手だ。最悪の事態も考えておかなければ、被害は俺の命だけでは済まない場合もある」

「でも……」

 正論だとわかっているのだろうが、それでもアオイが何か言いたげな仕草をしたので、アレクサンダーはアオイに右の掌をそっと差し出した。それの意味するところを察したアオイが、アレクサンダーの手を取って立ち上がる。

 そして、馬車の揺れを気にしながらも、身体の向きを変えてアレクサンダーの膝の上に腰を降ろした。ドレスなので、膝を揃えて、横向きに。

 アレクサンダーがアオイの腰に手を回すと、鎖骨の辺りにアオイが頭を預ける。香水も着けていたのか、花の香りが鼻腔に届いた。

「確かにこれだと痛くないね」

「だから言っただろう」

 アオイが微かに笑いながら言ったので、アレクサンダーも笑いながら返し、腕に力を込めた。


 館に到着して馬車が止まると、アオイが離れる素振りをしたところで、アレクサンダーは構わずアオイを抱えたまま馬車から降り、館の玄関へ向かって歩く。

「ア、アレックス?」

 アオイが戸惑いの声を上げたが、アレクサンダーはやはり無視して、出迎えのレイモンドに告げた。

「慣れない靴で、足を軽く捻ってしまったんだ」

「左様でございますか。氷を用意しましょうか?」

「いや、そこまでじゃないからいい」

 アレクサンダーが首を振ると、レイモンドは首を傾げながらも了承する。アオイが何か言いたげな気配を醸し出していたが、アレクサンダーは無視してそのままアオイの部屋に向かった。

 扉だけは使用人に開けてもらい、湯浴みと夕食の時間を指示すると、扉を閉めてからアオイの部屋のベッドに座る。アオイを膝に乗せたままアレクサンダーが大きな息を吐くと、アオイが身動ぎした。

「……大丈夫?」

「大丈夫だ」

 何が、と問うまでもない。アオイがアレクサンダーの精神状態を気にしているのは明らかだったし、しかし回答は一つしかない。それもアオイはわかっているのか、反論はなかった。

 どちらも一言も発しなくなり、沈黙が下りる。ふと、今しかないのではないかと思い、アレクサンダーは言った。

「アオイ、俺と結婚しないか」

「はい!?」

「あ、すまん。嫌だったら……」

「いやそうじゃなくて!」

 アオイの反応で駄目だったかと意気消沈すると、アオイが慌てて声を上げる。身を起こしてアレクサンダーを見上げ、眦を吊り上げた。

「突然なんだよ!」

「なんとなく、今言っておくべきかと……」

 というか、今までアオイに告げる時間も機会も十分にあったが、なんとなく及び腰になっていたのは事実だ。それが、ザカリエルとの会話を終えた今だと、この機を逃すと二度とないような気さえする。

 ともあれ、アオイの反応が拒否ではなくただの驚きなら、まだ期待は持てるのではないだろうか。

 そう思って、アオイの目を覗き込むようにして、もう一度言った。先の台詞とは、微妙に内容を変えて。

「アオイ、俺と結婚してくれ」

「………………」

 アオイは両目を瞬かせてから一瞬だけ目を逸らし、それからまたアレクサンダーを見返して、頷く。

「今のが遺言になったら、墓石を壊すからな」

 了承の後に投げられた脅迫に思わず吹き出し、何度も頷いた。それからアオイに顔を寄せると、頬にアオイの華奢な手が添えられる。

 アオイからも顔が近付けられ、ゆっくりと唇を重ねた。

 

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