(7)
紅茶と菓子は四人分運ばれているのに、アレックスとザカリエルがテラスにいる時間が長いからだろう、マツリが硝子戸を開けて呼びかけて来た。彼女の手には、菓子が載った小皿がある。
「アレックス! チョコレートとかバターがかかってるスコーンが、すごく美味しいよ? うっかり私とアオイ君で全部食べちゃいそうだから、持って来たの」
「ああ、済まない」
アレクサンダーが笑いながら皿を受け取ると、
「じゃあ、俺も食うとするか」
ザカリエルが笑いながらマツリの横を擦り抜けて、室内に戻る。マツリはそのままテラスに留まり、アレクサンダーの隣に佇んだ。
マツリの視線がソファに座るザカリエルに固定されていたので、問う。
「ザックのような奴は、苦手か?」
「うん。アレックスのお友達なのに、悪いけど」
「構わない」
自分が苦手としている人間を、無理に好きになれとは言えない。ただ、分かることだけは伝えた。
「胡散臭い部分が目立つ奴だから、誤解されやすいし嫌われもする男だが、良い所もあるから、そこは認めてやってくれ」
「全然フォローになってないようだけど、良い所って?」
アレクサンダーがスコーンを抓んだところで、マツリが庭園を眺めつつも問うて来る。
彼女とは逆に、アレクサンダーは室内のアオイとザカリエルの様子を覗う。見る限りでは、アオイはザカリエルと和やかに話していた。硝子戸を閉めてしまったので、内容はわからないが。
「俺の『執行人』としての仕事について、どこまで聞いた?」
「多分、アオイ君が知ってるのと同じ位かな。この世界の魔術についての知識と関係ある話だからって、ベネディクトさんが教えてくれた。他にも、寮が一緒の子からも」
「そうか……」
どういう風に聞いたのかは気になるが、話が早くて済む。スコーンを齧り、それを良く噛んで飲み込んでから、続ける。
「俺が『執行人』になるよう指名された時、俺はすぐに了承したが、それでも最後まで反対したのがザックだ」
「え……」
柵に身を預けていたマツリが身を起こし、戸惑いを顔に出す。それに思わず苦笑し、アレクサンダーは目を伏せた。
「というか、そもそも召喚獣を喚び、誰かの魂と紐付ける方法自体を実行させまいとしてた。危険な方法であるのは間違いないし、『執行人』が生贄も同然だと見てな」
「そっちの考え方がまともに思えるけど、王子様が言うなんて意外だね」
「国の安全を考えた末の策だから、確かに意外だな。まあ、つまり……何を切っても『公』を優先することもあるが、『私』が上回ったら躊躇わない男であるのは確かだ」
アレクサンダーが苦笑しながら言うと、マツリが半眼になった。
「それでも、苦手なんだ」
「会う度に心労を増やしてくれる、厄介な奴だからな」
とはいえ、先刻の話もアレクサンダーを慮ってであることは間違いない。
アレクサンダーの立場を理解させたかったのなら、もっと早くに言えばいい。だが、今更と言える時になって伝えて来るのは、タイミング的にアオイとマツリの召喚が関わっているに違いない。
正確に言うと、アレクサンダーが結婚し、家庭を持つことを考えたタイミング。つまり、ザカリエルの話は遠回しな警告だ。『お前が家庭を持つ重みを自覚しろ』という。
一見意地の悪い指摘のようにも見えるが、様々な覚悟が必要な結婚は、今後の『執行人』としての働きや、生き方にも関係する。事が起きてからの警告では遅い。そう考えたのだろう。
とはいえ、実際結婚にこぎつけられるかどうかも疑問なのだが。
なんとなくアオイを見てから、良い機会だからマツリにそっと聞く。
「詮索するようで悪いんだが」
「ん?」
アレクサンダーの持つ皿から、一つスコーンを掠め取っていたマツリが、頬を膨らませながら首を傾げる。思わずそれに苦笑し、続けた。
「アオイのドレスなんだが、俺はアオイはああいう格好に対して否定的だと思ってた。……実はそうじゃないのか?」
館でのメイド服については、サイズの問題があったと聞いている。なので、アオイの必要な衣類を追加で用意する場合は、男性用しかないと思っていたのだが。
アレクサンダーの質問に、マツリはかなりの間沈黙を保ってから、言った。
「アオイ君が両性具有だって告白してくれた時に、私、最初に『ずるい』って思ったんだ」
「?」
予想外の言葉が出て来たので、思わず眉を顰める。と、マツリは大きな息を吐きながら、テラスの柵に掌を置いて、外を見る。
「私が元の世界で嫌だったのは、何でもかんでも押し付けられることだったの。ほら、私って結構可愛いでしょ? 男の人にもモテたし、女の子にだって人気あった」
「あ、ああ、うん……」
「微妙な顔をしないでよ。自慢じゃないんだから」
アレクサンダーが呻くように同意するのに対し、マツリは軽く睨みを返す。しかしそれはすぐに止め、前を向く。庭園から飛び立った鳥が、風に乗って上昇して行くのが見えた。
「けど、好かれれば好かれる程、私に対して望まれるものが多く、大きくなって、好きだったものまで嫌いになる程だった」
マツリはそこで軽く笑い、アレクサンダーを見る。
「アレックスは、甘いもの好きでしょ。けどだからって、食べたくない時にまで『これ好きだよね。どうぞ』って四六時中食べさせられたら嫌気が差すでしょ。それと同じ」
「ああ……」
マツリはまた前を向き、目を伏せた。
「とにかく窮屈で、辛くって、逃げ出したくって……。でもアオイ君だけは、そういうことがなかったの。絶対に私の意思を確認してくれた。それでいて、何も言わずに手助けしてくれて……すごくすごく嬉しかった。『アオイ君が望む私』を押し付けるんじゃなく、私自身を見てくれた。だから好きになったの」
「………………」
「それでこの間、アオイ君の事情を知った時、私、アオイ君が羨ましく思ったの。それと『ずるい』って。だって……アオイ君はなろうと思えば、どっちにもなれるじゃない。選べるじゃない。私とは最初から違うじゃない……って思った」
「マツリ、それは……」
「わかってる」
アレクサンダーが身を乗り出して声を発すると、マツリは眦を下げた。
「アオイ君はアオイ君で悩みがあって辛くて、苦しんでたんだってわかってる。現に私も、瞬間的にだけどアオイ君の悩みを贅沢だと思ったんだから。アオイ君を苦しめてたのは、そういうのだよね。だから、その罪滅ぼしじゃないけど、アオイ君が好きに生きられるように手伝おうかなって」
「手伝い?」
「そう」
アレクサンダーが首を傾げると、マツリが拳を握って肩に力を入れる。
「アオイ君って、今まで男として生きて来たから、『男らしくしなきゃ』みたいな考えがあるんだよね。私としてはその方が嬉しいんだけど、アオイ君には押し付けたくないし、色々と今までしなかったこととか出来なかったことをしてみて欲しい。その中で一番楽しいとか嬉しいとか気分が良いとか、そういうのを見つけて選んで欲しいの。でもそれには、まず『こういうのもあるよ』って教えなきゃいけないでしょ?」
「それでドレスを……」
アレクサンダーが得心した顔をすると、マツリは大きく頷いた。
「勿論、一回試してみて嫌だなとか思ったなら、それはそれで良いの。それ以上はやってとか言わない。その代わり、最初の一回だけは背を押させて欲しいんだ」
きっぱりとそう言うマツリに、アレクサンダーは苦笑した。
マツリにとっては、アオイが『男』のままである方が都合が良いだろうに。
「君は……大した人だな」
「そうよ。私って、アオイ君の一番のファンだからね」
断言して、マツリはにこりと笑った。
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