(4)


 翌朝、アオイはいつもの時間に食堂に現れたが、先に席に着いていたアレクサンダーを見ると、やや頬を染めつつ席に着いた。

 髪が湿っているように見えるのは、昨夜出来なかった湯浴みを、起きてからしたからだろうが、さておき、アオイはやや身を乗り出し、潜めた声を発した。

「あの、アレックス……」

「気分はどうだ? 悪い酔い方のようには見えなかったが」

「あ、それは大丈夫。けど、熟睡しちゃったみたいだから、迷惑かけたかなって」

 アオイが気にしている風情だったので、アレクサンダーは笑って首を振った。

「別に迷惑じゃない。俺もアオイに世話になったこともあるんだから、気にするな」

 言うと、アオイはほっとしたように笑みを返して来たので、続けて言う。

「それに、アオイを着替えさせるくらいは大した手間でもない」

 アオイを安心させる為に言った台詞だったが、アオイの顔が凍り付いた。頬どころか彼女の首から上が全て赤くなり、アレクサンダーから目を逸らして微かに震え出す。

「ア、アオイ? どうした?」

「……何でもない……」

 アレクサンダーが驚いて問うも、言う気はなさそうだ。

 朝食が運ばれて来たが、なんとなく双方無言でもそもそと食べる、静かな食卓となった。


 食事が終わると、アレクサンダーはすぐに登城の支度に入った。アオイにも外出の準備をするように言っているが、彼女とマツリは後で着替えることになるので、気楽な服装でいいと言ってある。

 普段の衣服からすると格段に動き辛い装飾中心の服を出し、ファビーナを始めとした数人の使用人の手を借りて、順番に礼装を身に着けて行く。

 昨夜変えた下着も全て新しいものに変え、白のブラウスにクラバット、それに黒のズボンを合わせて、襟と袖が金色の、全体に金糸で刺繍がこれでもかと施された黒のジャケットを羽織る。黒のブーツを履いて腰に剣を下げると、やたらと長い深紅のマントを肩にかけた。

 アレクサンダーが思わず大きな息を吐くと、レイモンドがアレクサンダーに言って来た。

「アオイ様は店でお召替えをなさるそうですが、王城からそのまま帰って来られるのでしたら、元の服を誰かに取りに行かせましょうか」

「そうだな……」

 昨日とは違い、今日の足は馬ではなく馬車だ。帰りもずっと馬車なら、アレクサンダーはもとより、アオイも着替える必要がない。

 レイモンドに頷き、アレクサンダーはついでに言った。

「帰りは恐らく午後になる。昼食はあちらで食べることになるだろうから、今日は夕食の準備だけでいい」

「畏まりました」

 アレクサンダーの指示に、レイモンドが腰を曲げた。


 身支度は済んだので、玄関口へと行くべく中央階段を降りて行くと、玄関口には既にアオイが待っている。

「済まない、待たせた」

 開けられている両扉の向こうには、レイモンドが手配した馬車が到着しているので、先に乗っていてもらえば良かったか、と思いながらアオイの前に行くと、アオイがぽかんと口を開けてアレクサンダーを見ている。

「アオイ?」

「え。あ、いや……そんなに待ってないよ」

 アレクサンダーが首を傾げると、アオイは我に返ったように返してから、気まずそうに顔を赤くする。

「……アレックスの格好、なんか王子様みたい」

「王子様?」

 言われ、顎に手を当てて考える。考えてから、頷いた。アオイは、こういう礼装が好きなのだろう。

「王城へ行けば、本物の王子が見られるかもしれないぞ。楽しみにしていろ」

 と微笑んで返すと、アオイが半眼になった。そして、アレクサンダーの後を連いて来ていたレイモンドとファビーナが、アオイの肩をポンと叩いた。


 馬車に乗り込むと、ほどなく窓の外の景色が動き出したが、慣れていないからか、アオイが居心地が悪そうな顔をする。

「クッションでも置いておくべきだったな」

「いや、そこまでしなくても良いよ」

 と言いながらも、揺れる度に微妙に顔を顰めるアオイに、ふと思いついて言う。

「アオイ、俺の膝に座るか? あまり柔らかくはないが、少しはマシになるだろう」

「……アレックス、冗談で言ってるんだよね? それ。本気じゃないよね?」

「本気だが」

 アオイが赤面しながら苦い顔をして言って来たので真顔で返すと、アオイは額を押さえた。

 どうやらアレクサンダーの提案は拒否されたらしい。


 昨日の店に到着すると、既にマツリの姿があり、しかも身支度を済ませていた。

 ウエスト部分から下がふわりと広がるデザインのエメラルドグリーンのドレスだが、随所に施されたフリルと白の刺繍で明るく見える。

 門外漢のアレクサンダーに店主が気を利かせてくれたのか、マツリの髪は丁寧に後頭部で纏め上げられ、宝石のネックレスとイヤリング、靴までしっかりと揃っていた。

「どう? アオイ君、アレックス!」

「凄い綺麗。お姫様みたい」

「ああ。とてもよく似合ってる」

 その場でくるりと回って見せるマツリに、アオイとアレクサンダーが口々に言うと、マツリがきらりと目を煌めかせた。

「私の準備は済んだから、次はアオイ君ね!」

「あ、うん……」

 アオイが曖昧に頷くなり、店主と店員がアオイを奥へと連れて行く。

 彼女の不安げな表情が気にはなったが、マツリという成功例が目の前にいるので、アレクサンダーは素直に待つことにした。

「アレックス、その服すっごく格好いい!」

 マツリが笑顔で言って来たので、アレックスも笑みを返す。

「ありがとう。アオイにも褒められた」

「何て?」

「王子様みたいだと」

 返すと、マツリが顎に手を当ててほほおと声を上げ、アレクサンダーに更に問う。

「で、そう言われた感想は?」

「王城で本物の王子に会えると思うと言った」

「………………」

 真顔で答えるアレクサンダーに、マツリが額を押さえる。

「どうした?」

「いいの……アレックスはずっとそのままでいて……」

 呻くように言いながら肩を叩いて来るマツリに、アレクサンダーは小首を傾げた。

 そうやって雑談をしていると、アオイが連れて行かれた部屋の扉が開き、店主がアオイの手を取ってエスコートしながら、晴れやかな顔で出て来る。

「アレクサンダー様、ご覧になって下さい!」

 と言われたが、その前からアレクサンダーの視線はアオイに固定されていた。

 髪の短いアオイに合うものを選んだのだろう、首筋から鎖骨の辺りまで黒のレースで覆われた、しかし細く白い両肩が出るデザインで、光沢のある布地で作られた、バイオレットカラーのドレスだ。

 マツリとは異なり、身体のラインがそこそこ出る裾の広がりがない形をしており、ほっそりとしたシルエットの中で、整った形の胸元の膨らみに目が行きそうになる。

 アオイの耳朶にはホワイトゴールドのイヤリングが下げられていたが、目に入る装飾品はそれのみで、やはり白く細い腕が、肘の上までの長さの黒レースの手袋で覆われている。化粧もしたらしく、アオイの唇は淡いピンクで彩られ、光を受けて艶やかに光っていた。

「アオイ君、素敵!!」

「歩きにくい……」

 手を叩いて叫ぶマツリとは対照的に、アオイは唇を尖らせてどことなく不満そうだ。しかし、単なる照れで不機嫌という訳でもなさそうなので、アレクサンダーはアオイの前に歩み寄った。

 そして、正直に言う。

「とても綺麗だ。月の女神がいるとすれば、今のアオイのような姿に違いない」

 思いついたままで言ったのだが、マツリは頓狂な悲鳴を上げ、アオイは途端に耳まで赤くなると、アレクサンダーに背を向けた。


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