(10)


「さてと」

 葵の隠し事の件はひと段落ついたということなのか、茉莉は次にアレクサンダーに顔を向けた。アレクサンダーが叱られた猫のようにびくりと震えるが、用件はわかっているのだろう。問われる前に、口を開いた。

 青褪めながらだったが、きっぱりと。

「マツリ、さっきも言ったことだが、先刻の件はアオイには全く非はない。それだけは留意して欲しい」

「わかってるよ」

 茉莉が意外と冷静に頷いたので、アレクサンダーは勿論、葵も安堵の息を吐いたのだが。

「けど、付き合ってない割に凄く盛り上がってたじゃん。何、あれ?」

「う……」

 再度ぎろりと睨まれて、アレクサンダーが呻いた。が、反論するつもりはあるらしく、及び腰になりながらもぼそぼそと言い募る。

「そ、そこまで言われる程、盛り上がってはいなかったが……俺も完全復調はしていないし、アオイは仕事中で……」

「いーえ、盛り上がってました。私が来なきゃ、あのまま合体まで行く勢いでした。断言します。裁判長の前で宣誓してもいい」

「………………」

 ぶんぶんと首と手を振る茉莉に、アレクサンダーも葵も赤面する。人前でする行為ではなかったという自覚はあるので、茉莉の方が断然有利だ。

 とはいえ、アレクサンダーと葵の間にあった出来事について、茉莉が物申す権利ははっきり言って『ない』のである。そこはわかっているようで、茉莉が大きな息を吐いてから、アレクサンダーに言った。

「私と葵君は恋人同士じゃないし、アレックスと結婚するつもりもない。だから、人の恋路に口出すのも野暮だと思うよ。けどね……」

 そこで一旦言葉を止め、一拍置いてから茉莉は叫んだ。拳を握り、両目に涙を溜めながら。

「狙ってる男の子と異世界に召喚されて、告白は断られたけど『二人きりの異世界人』って状況を利用して距離を縮めようなんて思ってたのに、そこをぽっと出の天然坊ちゃんに搔っ攫われた私の気持ち、わかる!?」

「そんな目論見を……?」

「て、天然坊ちゃん?」

 茉莉の血涙を流さんばかりの訴えに、葵は半眼になり、アレクサンダーは汗を流す。

 彼女はこんな子だっただろうか、と素朴な疑問を抱いてしまうが、確かに茉莉からすれば、文句の一つも言いたくなるだろう。

「あんな倒錯風味の行為をおっぱじめてても、二人が未姦通で付き合ってもない関係なら、私にもまだチャンスがあるってことじゃん。だから、はっきりさせておいて欲しい……」

 すんすんと泣き始める茉莉に、――所々引っかかる単語はあったものの――葵とアレクサンダーは顔を見合わせた。

 これは誤魔化しは悪手で、誠実に答えるべきだ、と視線で会話をして頷き合う。

 アレクサンダーが三角座りから胡坐の状態に座り直し、鹿爪らしい顔をしつつ口を開いた。

「マツリ。君のアオイに対する気持ちを知っていて、ああいった行動に出たのは、君への裏切り同然だったと思う。だが、俺も軽い気持ちでしたのではなく……」

「いや、そういうことを聞きたいんじゃないから」

 長々と語ろうとしていたところを、茉莉にばっさりと切り捨てられ、アレクサンダーが口を閉じる。その様子に汗を流し、葵も茉莉に言った。なんとなく正座しながら。

「茉莉ちゃん。僕の優柔不断な態度で茉莉ちゃんを傷つけて、ごめん。恋人にはなれないけど、茉莉ちゃんは僕にとって大切な人であることに変わりはないから……」

「なんで揃いも揃って、そういうことばっかり並べ立てるの?」

 アレクサンダーに続いて葵も撃沈し、口を閉じる。

 そんなアレクサンダーと葵に呆れたのか、茉莉はすっくと立ち上がり、両手を腰に当てた。

「私が聞きたいのはそういうことじゃなくて、アレックスも葵君も、相手のことどう思ってるの!? 好きなの!? そうじゃないの!?」

「………………」

 ずばりと問われ、アレクサンダーと葵はまた顔を見合わせる。

 が、出て来たのは似たような台詞だった。

「……多分好きだと思う」

「どっちかって言うと、好きかな……」

 前者がアレクサンダーで、後者が葵だが、茉莉ががくりと肩を落とし、しかし即座に顔を上げる。

「……とりあえず、はっきりとしてないなら私も遠慮しないから。アレックスに気を遣って身を引いたりしないし、葵君も諦めないから!」

「あ、ああ……」

「うん……」

 きっぱりと宣言されると、そう言うしかない。

 また遊びに来る、と言い置いて、ついでに気持ち的にアレクサンダーと葵も置き去りにして、茉莉は怒りつつ帰ってしまった。



「元の世界でも、マツリはあんな風だったのか?」

 夕食はアレクサンダーと共に食堂で摂っていると、アレクサンダーにそう問われたので、葵は少し考え込んだ。勿論今は、メイド服は脱いでいる。

「元々明るい子だけど、正直、今日みたいに怒ったり……キレたり? するのは初めて見た……」

 これは事実だ。

 肉と野菜が柔らかくなるまで煮込まれたシチューを食べつつ、今日の茉莉を思い起こす。

 葵が距離を置いていた所為もあるのかもしれないが、茉莉は基本『良い子』だった。誰もが口を揃えて言う程に。

 性格も良く、笑みを絶やさず、誰にでも優しい。それが茉莉だった。

「……なんとなく、茉莉ちゃんがこっちの世界に喚ばれた理由、分かったかも」

「ん?」

 葵の小さな声にアレクサンダーが反応し、小首を傾げる。

「前にアレックスが言ってただろ。『元の世界に未練がない人間が喚ばれる』って。悩みがあるってわかっていても、僕は無意識に、そこまで深刻なものじゃないと思ってたのかもしれない。……色々と溜まってたんだろうな」

「……今日突然事故か何かで死んだとしても、思い残すことはない」

「え?」

「マツリがそう言っていた。死を望むほどじゃないが、元の世界ではそう思っていたと」

 パンを千切る手を止めてアレクサンダーが言った内容に、葵は胸を突かれた。

 茉莉の内面に踏み込まなかったのは、葵の判断だ。彼女にはそれが最善だと決めつけ、その実、自分の為に踏み出さなかった。

 茉莉の告白を断ったのも、そうだ。

 自分が聞きたくない、見たくない反応を茉莉が出すのを恐れ、言い訳を作って自ら引いた。それどころか、その責任を無意識に茉莉に押し付けていたのだ。

 葵の表情が暗くなったことに気付いたのか、アレクサンダーがそっと言って来る。

「マツリは、こちらに来て良かったとも言っていた。俺が言うのもなんだが……マツリが思うままに過ごせるのなら、それは喜ぶべきことだと思う。怒らせてしまったが、今日見たマツリも俺は好きだ」

「……それは僕もだよ」

 笑みを見せるアレクサンダーに、葵も笑った。

 空になった皿を片付け、サラダを運んで来たレイモンドが、アレクサンダーと葵を見て目を細める。

「仲直りされたようで、よろしゅうございます」

「………………」

「………………」

 途端に今日の出来事を思い出し、アレクサンダーと葵は赤面しつつ俯いた。



■第四章/融和:終

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