(9)


 押し付けるように口を塞がれ、その勢いに負けて倒れそうになる。そこにアレクサンダーの手が葵の腰に回って支えられ、後頭部を打ち付けずに済んだ。

「ん……!」

 一瞬目が回って事態が把握出来ず、何度か瞬きをするとアレクサンダーの閉じた瞼が見える。

 葵の視線を感じたのか、アレクサンダーが一旦顔を離して数秒だけ間近で見つめられる。眼鏡のレンズ越しにアレクサンダーの目に含まれたものを読み取れ、声が出なくなった。葵よりも五歳以上年上の彼の顔は、初恋の相手を前にした思春期の少年のように上気していた。

 葵が何も言わないからか、アレクサンダーがまた顔を寄せ、再度唇を重ねられる。啄むようなキスに始まり、次第に何度も顔の角度を変えるそれへと変わった。

 アレクサンダーの手に支えられながらも、葵の上体が徐々に倒れ、とうとう背中がテーブルの天板に着く。そこでやっと未だ掴まれていた手首が解放されたが、代わりに項に手が添えられる。その拍子に葵の唇が僅かに開き、その隙にアレクサンダーの舌が咥内に滑り込んで来た。

「ふ……っ」

 葵が思わず呻いて震えたが、それに構わず反射的に逃げる舌を捉えられ、絡め取られる。アレクサンダーの上腕を掴んで爪を立てたが、布越しでもわかる硬い筋肉には歯が立たなかった。

 葵の息が唯一の酸素であるかのような、執拗とも言えるアレクサンダーのキスに、やはり嫌悪感はない。舌をいいように嬲られても、体温が上がるだけだ。

 アレクサンダーに好意を抱いていても、決してそういう対象としては考えていなかったというのに、その差をものともしない情熱の強さをいうものを体感した。

 いつの間にかアレクサンダーの舌に自らそれを絡めており、足の膝でアレクサンダーの腿を摩るように動かすと、アレクサンダーの腰が葵の足の間に割り込んで来た。下腹部に集まった熱に、思わず呻いて顔を顰め、アレクサンダーに下腹部を擦り付けるように身を捩った。

 葵の腰を抱いていたアレクサンダーの手が動き、葵のスカートの裾から指先を忍び込ませると、足首から辿るようにして手で撫でられ、腿に到着する。

 ふと顔を離されたので目を開けると、唾液で濡れた唇を軽く噛み、荒い息をしているアレクサンダーが見えた。

「アレックス……」

 自分も同じような顔をしているんだろう、と考えながら、手を伸ばしてアレクサンダーの頬に触れ、そのまま首筋を撫でると、またアレクサンダーの顔が近付く。

 彼の唇を迎えようと、葵からも頭を浮かして目を閉じようとしたところで、

「……何、やってるの?」

 震えるか細い声が聞こえたので、アレクサンダーと共に硬直し、やはり同時に声の発生源を見た。

 書庫との境目に、茉莉がいた。

 顔色を蒼白にし、震える指先でスカートを掴んで皺を作っている。

 彼女の目尻にじわじわと涙が湧くのを、葵とアレクサンダーは呆然と見つめた。



 そこから何がどうなったのかはよくわからないが、とにかく茉莉が外に出ようと言ったので、茉莉に先導されるように館の外に出て、裏庭の芝生に三人並んで腰を降ろし、膝を抱えた。

 順番はアレクサンダー、茉莉、葵だ。最初アレクサンダーは葵の隣に座ろうとしたが、茉莉が間に割り込んだ。

「……で?」

 葵だけでなくアレクサンダーまで青褪めて肩を窄めていると、茉莉が冷えた声を出す。今日の彼女は落ち着いたブルーのワンピースを身に着けており、快晴の空の色を思わせる。

 さておき。

 茉莉は先刻のショックは脇に置いたようで、無表情で問うて来る。視線は前方に真っ直ぐ向けた状態で。

「二人はそういう関係なの?」

 その冷えた声にびくりと震えてから、アレクサンダーは慌てて声を発した。

「マツリ、さっきのは俺が悪いんであって、アオイに一切非はない――」

「そういう関係なの?」

「……いや、違うが」

 茉莉の平坦な声に負けたのか、アレクサンダーがようやく回答する。茉莉はアレクサンダーを一度ぎろりと睨み、そして葵を見た。

「葵君。前からもしかしてと思ってたんだけど、葵君て実は恋愛対象が男の人なの?」

「……わからない」

 正直な気持ちである。が、茉莉からすると不誠実な回答だろうな、とは思った。

 茉莉は葵の返答に一瞬だけ顔を歪め、しかし慎重に質問を重ねて来る。

「葵君は、本当は女の子だったとかなの? だから、私とは付き合えないって言ったの?」

「………………」

 茉莉なりに、思いつく限りの可能性を考えた末の質問だろう。そして、言葉も選んで葵を傷つけないようにしている。

 言う時が来たんだ、と思った。

 ずるずるとここまで引き延ばして来た結果、最悪のタイミングで話すことになってしまったが、今話すしかない。

 葵は大きく息を吐き、そして吸い、顔を上げて茉莉を見る。その向こうにいるアレクサンダーが、察したらしく表情を硬くした。

 それでも、葵を止めようとしないアレクサンダーに感謝しつつ、声を発した。

「茉莉ちゃん。今まで黙ってたけど、僕は……両性具有なんだ」

「え?」

「真性半陰陽……とも言われてる。男と女の特徴の、両方が備わった身体なんだよ」

 言いながら、片手で胸元を掴む。

「だから、茉莉ちゃんとは付き合えないと思った」

「なんで?」

「え?」

 間髪入れずに聞き返され、呆気に取られる。いつの間にか下を向いていた顔を上げると、茉莉の怒った顔が見えた。

「意味分かんない。葵君が両性具有? 真性ナントカ? だったとして、それで私と付き合えないって思う理由が分かんない」

「え? えっと……?」

 想定外の反応に戸惑い、葵が汗を流して口元を引き攣らせていると、茉莉が身を乗り出して葵の顔を覗き込んだ。

「葵君も色々あって、それでそういう考え方になったんだと思う。その辺りは、葵君なりの苦労があったんだろうから、私が完全に理解するのは無理だと思う。けど、やっぱり意味分かんないよ。意味不明。なんで葵君の身体のことと、私とお付き合い出来る出来ないが関係するの?」

 畳み込むように言われると、葵の方がたじろぐ。顎を引いて考え、ようやく返した。

「……き、気持ち悪いとか、思わない?」

 言いつつ自分で傷ついてしまったが、茉莉は更に眦を吊り上げる。

「分かんない! 葵君を男の子だと思ってたんだから、驚いたりはするよ? けど、気持ち悪いかどうかなんて、実際付き合わないとわからないじゃん! 言葉だけで説明されて、判断出来ることじゃないでしょ!?」

「……そ、そうなの?」

「そうなの!!」

 やけにきっぱりと断言されると、そういうものなのかと思えて来てしまう。葵が呆然と茉莉を見ていると、茉莉は少し赤面しつつ補足して来る。

「や、まあ……実際付き合ったら、その……現実問題として勝手が違って困ることもあると思うけど、その辺りは工夫でなんとかなるかもしれないし……」

「工夫?」

「道具とか……って何言わせんのよ!!」

 こそりと口を挟んだアレクサンダーに答えて、即座に茉莉が怒鳴り返す。

 その様子に葵は思わず笑い、その拍子に目尻から涙が零れた。


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