(6)


 夕方になると茉莉はベネディクトの送迎付きで女子寮に戻り、またアレクサンダーと葵の二人きりになる。

 夕食と入浴の時だけアレクサンダーの傍を離れたが、それ以外の時間は葵はアレクサンダーの部屋へ行き、出来る限り彼の手を握った。

 そうしていると、就寝の時間になるとレイモンドとファビーナが現れ、葵に寝るように勧めて来る。

「アオイ様、お休み下さい。ご無理をされると、アレクサンダー様が哀しまれます」

「アレクサンダー様が起きた時、アオイがヘロヘロの状態だったらどうするの」

 口々に言われ、そしてそれが正論だった為、葵は問答はせずに素直に部屋に戻った。

 それでも、ベッドに入って少し経つと目が覚めるので、その時はアレクサンダーの部屋に行き、付き添いの使用人に断ってアレクサンダーの手を握った。


 二日後、医師がいつもの時間にアレクサンダーに治癒魔術をかけてから、言った。

「もう包帯は必要ありません。肉体的な傷は完治したので、あとは精神力の回復ですね。そろそろ意識も戻るのではないかと」

「え、もうですか?」

 葵だけでなく、その場にいた茉莉やベネディクト、レイモンドやファビーナも驚いていると、医師が苦笑する。

「アレクサンダー様の傷の度合いから見れば、本来ならもっとかかっています。が、思ったよりも召喚獣の回復が早く、それによって、毎日かける治癒魔術を予定よりも強くすることが出来たんです。アオイ様とマツリ様のおかげですね」

 医師の言葉に葵と茉莉は安堵の息を吐いたが、ベネディクトが神妙な顔をしていることに気が付いた。

 診察も終わり、レイモンドやファビーナを含む使用人達で、アレクサンダーの包帯の撤去と清拭をすることになったので、葵と茉莉、ベネディクトは廊下へと追いやられる。

 医師と茉莉は帰る空気だったので、葵はこそりとベネディクトに問うた。

「ベネディクトさん、何か心配事でも?」

「ん? ああ……いや」

 ベネディクトは言い淀んだが、葵の無言の訴えに負けたようで、髪を掻きつつ教えてくれた。

「アレックスが動けるようになったら、恐らくアレックスからも陛下に報告する必要があるだろう。その後のことが心配なんだ」

「し、叱られるとか? 解雇とか?」

「いやいやいや」

 葵が青褪めると、ベネディクトは苦笑して手をひらひらと振る。が、一瞬で笑みを消した。

「アレックスは今回『罪人』に負けたことになるが、それ自体は重要じゃない。現状『執行人』はアレックスただ一人だから、例え陛下だろうとアレックスをクビにはできない。……問題は、逃した『罪人』とアレックスが、また戦うのは避けられないってことだ」

「あ……」

 アレクサンダーの状態にばかり気が行っていたので、そこまでは考えていなかった。そして、今回ぎりぎりで命拾いしたアレクサンダーが、再戦で必ず勝つという保証はない。

 葵が青褪めると、ベネディクトは葵の頭頂部をポンポンと叩き、にこりと笑う。

「こう言っちゃなんだけど、『罪人』について考えるのは、俺とアレックスの仕事だ。君が悩む必要はない。今はただ、アレックスの力になってやってくれ」

「は、はい」

 葵が頷くと、ベネディクトも大きく頷いた。

 玄関まで出てベネディクト達を見送り、再度アレクサンダーの部屋に戻ると、既にアレクサンダーは包帯のない状態でベッドに戻されていた。

 酷い状態だった肌は古傷以外は元通りになっており、薄手のシャツを着せられて髪も編まれたアレクサンダーは、ただ眠っているだけのようで重傷人には到底見えない。

 またベッドの端に腰かけてアレクサンダーの手を取ると、意識のない反射なのだろうが、軽く握り返される。それに思わず笑みを浮かべ、もう片方の手でアレクサンダーの頬を軽く撫でた。


 そしてその夜。

 例によって夜中に目が覚めたので、アレクサンダーの部屋に行き、付き添いの使用人に断って、アレクサンダーの手を握る。

「アオイ様、すみません……」

 小さな声で使用人に呼ばれたので顔を向けると、少しだけ離れても良いかと問われた。

「一時間くらいはいますから、なんなら仮眠でも行って下さい」

 トイレなどもあるだろう、と思ってそう言うと、使用人は何度も謝ってから退室する。葵は眠くなれば部屋に戻れるが、使用人はそうもいかないのだろう、と筋ではないが申し訳なく思った。

 と、そこで葵が握っているアレクサンダーの手に力が籠ったので、はっとしてアレクサンダーを見る。

 アレクサンダーの眉間に皺が寄り、身動ぎながら苦し気な呻きを上げたところだった。

「アレックス!」

 まさか急変か? と青褪めて立ち上がり、身を乗り出してアレクサンダーの顔を覗う。――と、次の瞬間、あまりにもあっさりと、アレクサンダーの目が開いた。

 数日ぶりのオッドアイが目の前に現れ、虚を突かれる。

 しかも、

「ベンは……無事か?」

 などとアレクサンダーが発したものだから、アレクサンダーが運び込まれてから一度も泣きはしなかったのに、視界が歪んだ。

「焼肉状態で死にかけておいて、なんで先に人を気にするんだよ!!」

 アレクサンダーを想う人間が、アレクサンダーが考えている以上にいるというのに。

 泣きながら思わず怒鳴り、そしてアレクサンダーに抱き着く。ここ数日何度も触れた肉厚の掌が、葵の後頭部を撫でた。

 そこでやっとアレクサンダーが起きたのだ、という実感が湧き、顔を上げる。夢ではなく、葵を見て笑うアレクサンダーの顔が間近に見えた。

 間近というか、近すぎた。

 双方が薄着の状態で、葵がアレクサンダーの上に圧し掛かっている態勢の上、アレクサンダーの精悍な、かつ整った顔が目と鼻の先にある。

 葵の心臓が跳ねて思わず息を呑んでから、慌てて身を起こした。

「……レイさん呼んで来る」

 言い訳のようなものだったが、実際レイモンドを呼ばなければいけない事態だ。

 口の中でもごもごと適当に言いながら、ベッドから離れて部屋から出ようとしたのだが、手首を掴まれる。

 えっ、と声を上げる間もなく手を引かれ、背中にアレクサンダーの腕が回る。

 またアレクサンダーが見えたかと思うと、先よりも彼の顔が近付いた。

 アレックス、と名を呼びかけたが、言い切る前に唇に柔らかなものが押し当てられる。

「っ!? ……っ!?」

 一瞬何が起きたのか理解出来ず、目の前にアレクサンダーの閉じた瞼がある状況で、やっと察した。

 キスをしている。アレクサンダーと。

「――ほあっ!!」

 アレクサンダーの両脇に手を突き、思い切り背を逸らして顔を離すと、意外にあっさりと解放される。起き抜けということもあり、力も入っていなかったのだろう。

 葵がアレクサンダーから身を引き、そしてベッドからも距離を取ると、アレクサンダーが我に返ったかのように身を起こす。そして、葵を見て僅かに頬を染めた。

「あ、アオイ……」

「へ、へはっ……あば……」

 アレクサンダー以上に顔を赤くし、金魚のようにぱくぱくと口を開閉させてから、葵は深呼吸を数回してから声を発した。

「誰か呼んで来るね! ほんじゃ!! 再見ツァイジェン!!」

 びし! と謎の敬礼をしながら叫び、身を翻す。

「アオイ!!」

 アレクサンダーが呼ぶ声が聞こえたが、葵は無視してタックルするようにして扉を開けて廊下に飛び出ると、深夜にも関わらず廊下を爆走してレイモンドの部屋を目指した。

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