(5)


 アレクサンダーの命綱とも言えるからか、医師の護衛として共に現れたベネディクトは、葵を見て声を上げた。

「ど……どういうことだ?」

 そして、汗を流して葵に歩み寄るベネディクトに、手首を掴まれているので、ベッド脇から移動出来ない葵も眦を下げて返した。

「僕にも何が何だか……」

「君、女の子だったの?」

「そっちはスルーして下さい」

 今はメイド服仕様の葵よりアレクサンダーだろ、とやんわりと言うと、ベネディクトは頬を掻いてから医師に視線で促した。

 葵が経緯を簡単に話すと、昨日も見た医師が身を屈め、アレクサンダーの身体のあちこちに触れ、時折小さな魔法陣を出してはなんらかの魔術をアレクサンダーにかける。

 葵とベネディクトとファビーナがそれを見守っていると、やがて医師が身を起こした。そして、葵を見る。

「アレクサンダー様とのご関係は?」

「えっと……友人です」

「いえ、そういう意味ではなく」

 と言われても、それ以外言いようがない。葵が困っていると、ベネディクトが気付いたように挙手をした。

「アオイが召喚術で喚ばれた異世界人ってのは関係あるかな」

「そうなのですか?」

 医師が葵を見たので、頷く。

 葵が重傷を負った際にも診てくれた医師だが、アレクサンダーはそこまでは説明していなかったらしい。

 ともあれ、ベネディクトが更にアレクサンダーの伴侶を喚ぶ召喚術だったことを重ねて言うと、医師は得心したように頷いた。

「ということは、アレクサンダー様と波長の合う方なのですね。であれば、それが弱っている召喚獣の回復の助けになっているのかもしれません」

「つまり?」

「出来得る限りアレクサンダー様の傍にいれば、完治までの時間が早まるかと」

「成程!」

 ベネディクトが顔を明るくした。


 ファビーナがレイモンドも呼ぶと、とんとん拍子に話が進み、葵はアレクサンダーの付き添い係となってしまった。

 周囲の騒がしさを余所に、アレクサンダーは相変わらず眠ったままで、葵の腕を掴んでいる。が、葵が指を一本一本動かすようにして手を離させると、特に抵抗はなく解放された。

 出来ることは可能な限りやるつもりではあるが、四六時中拘束されるのは流石に避けたかったので、葵は顔には出さずに安堵する。

「ベネディクトさん。僕がアレックスと波長が合うということは、高橋さんもそうなんじゃないんですか?」

 少しでも回復が早まるのなら、とアレクサンダーの手を離させはしても、代わりに指先を軽く握りながら言うと、ベネディクトは頷く。

「今日にでも話をしに行って、ここに連れて来るよ」

「お願いします」

 何より、茉莉もアレクサンダーの友人だ。このような状態のアレクサンダーを気にしないはずがない。アレクサンダーの意識がなくとも、彼に語り掛ける人間が多いに越したことはないのだ。


 医師が今日の分の治癒魔術をアレクサンダーにかけてから退室すると、一時室内はアレクサンダーと葵だけになる。

 ベッドの端に腰かけ、なんとなく厚い皮膚に覆われた指先を軽く揉みながら、アレクサンダーの顔を覗う。

 この館の中だけでも、アレクサンダーを慕い、尊敬する人間は多い。それでも、寄り添ってくれる誰かを欲し、異世界から来た葵や茉莉の存在を望むほどに、アレクサンダーは満たされていなかった。

 アレクサンダーの立場であれば、望めば望むだけ手に入るものは多かったろう。もしくは、進んで差し出されただろう。

 召喚獣によって力を得、無二の存在となった代わりに、アレクサンダーが失ったものがどれほどのものだったのか。アレクサンダーから教えられた訳ではなくとも、分かった気がすると思うのは傲慢だろうか。

 開けている窓から心地良い風が入って来たので、包帯に覆われたアレクサンダーの顔を覗い、額にかかっている黒髪を梳く。治癒魔術のおかげか、包帯の隙間から見える肌の色は、昨日よりは良くなっているように見えた。

 アレクサンダーの本来の色を知っても、なんとなくだが、アレックスには漆黒の髪が似合っているように思える。

「アレックス、早く起きろよ」

 聞こえているのかどうかはわからないが、葵はアレクサンダーにそっと告げた。


 それから二時間ほど経っただろうか。聞き覚えのある慌ただしい足音が響いたかと思うと、アレクサンダーの部屋の扉が派手な音を立てて開かれる。

「アレックス!」

 飛び込んで来たのはやはり茉莉で、送迎係のベネディクトを置き去りにしてずかずかと室内に踏み入ると、まずベッドに腰かけている葵を見、そしてベッドの上にいるアレクサンダーを見、そしてまた葵を見て悲鳴を上げた。

「古賀君、可愛いぃっ!!」

「………………」

 事前の説明もなくメイド服姿を見せた葵にも非はあるが、いの一番にそんなことを叫ぶ茉莉を思わず半眼で見ると、茉莉は即座に我に返った。

「ごめん、ちょっと驚いたの。……アレックスは? 大丈夫なの?」

「容体は安定してる。あとは回復を待つだけ」

 葵が言いながらアレクサンダーを見下ろすと、茉莉はアレクサンダーの掌を握っている葵をじっと見る。葵が思わずそれに身動ぎすると、茉莉は微妙な表情になった。

 が、今のところは何か言う気もないらしい。葵の隣に茉莉も腰を降ろし、言って来る。

「ベネディクトさんから、アレックスと波長の合う人間がいたら助かるって話を聞いたの。私は何をすればいいの?」

「あ……こうやって触ってあげてくれるかな」

 言うと、葵の状態に得心が行ったようだ。茉莉は一旦立ち上がり、葵がいる方とは反対側に回って腰を降ろすと、アレクサンダーの掌を取って軽く握る。

「……こんな怪我を負う仕事だったなんて……」

 茉莉がぽつりと漏らしたので、思わず頷く。

 理屈では知っていても、普段のアレクサンダーの様子から深刻には思っていなかったのは事実だ。

 かといって、軽い仕事だと認識していた訳ではなく、特別な役割ではあっても『アレクサンダーなら大丈夫だろう』と。

 裏返せば、それはアレクサンダーがそう悟らせなかった、ということになる。

 葵と茉莉が沈痛な面持ちでアレクサンダーを見ていると、ふと、アレクサンダーが呻いた。

「アレックス?」

 意識が戻ったのかと葵と茉莉が身を乗り出すと、今度は意味のある単語を喋った。

「……アオイ……」

「………………」

 十秒近く硬直した後、茉莉が葵に呆れたような顔を向ける。

「顔赤いよ、古賀君」

「え、あ、いや……その……」

 指摘され、葵が空いている手で頬を隠す仕草をすると、茉莉が続けた。

「私も古賀君のこと、これから名前で呼ぶから。私のことは名前で呼んでね」

 そんなことを突然言い出した茉莉に葵が汗を流すと、茉莉は無表情で葵に言う。

「呼び捨てが難しいなら、『茉莉ちゃん』でも良いよ。はい『茉莉ちゃん』。リピートアフターミー?」

「……ま……茉莉ちゃん……」

 正体不明の圧力を感じたので、葵は素直に返した。


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