(4)


 葵の申し出をレイモンドは使用人達に正確に伝えてくれたらしく、朝食後に葵が動きやすい服に着替えてレイモンドの元へ行くと、メイド服を着た一人の女性を紹介してくれる。

「ファビーナと申します」

 葵と同じくらい小柄な、肩までの長さの栗色の巻き毛に、ブラウンの瞳の女性だ。ふっくらとした頬にそばかすが愛らしい彼女は、葵の前で目を伏せて身を屈めた。これはカーテシーという挨拶だったな、と葵は思った。

 さておき、葵がレイモンドに目線で問うと、彼はファビーナを示しながら説明する。

「館内の仕事は、他の者の動きも把握した上で、割り振られた作業をこなす必要がございます。ファビーナはメイド長に次ぐ熟練者ですので、アオイ様はこのファビーナの指示に従って動いて頂けますか」

「は、はい!」

 背筋を伸ばして返事をし、ファビーナにも頭をがばりと下げる。

「よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくお願いします。私のことはファビィとお呼び下さいませ」

「はい!」

 にこりと笑うファビーナに、葵も笑みを返した。


 最初にファビーナに連れて行かれたのは、白と黒の衣類だけが収納された小部屋だった。

「折角準備をして下さったのに申し訳ありませんが、私どもと同じ仕事をされるのでしたら、服装を揃えて頂く必要がございます」

「は、はい」

「アレクサンダー様のお見舞いに来られたお客様の目に留まった場合、よろしくない誤解をされる恐れがございます。アレクサンダー様の名誉の為ですので、ご勘弁を」

「わかりました!」

 成程な、そういうこともあるのか、と胸中で頷く。書庫での掃除は人目につかないことと、連日の作業を想定していなかったから、レイモンドが配慮したのだろう。

 そんなことを考えながら、ファビーナが渡して来た服を受け取ったのだが、即座に葵は顔を強張らせた。

「あの……ファビィさん」

「はい?」

 きょとんと眼を丸めるファビーナだが、葵が手に持ったメイド服を困ったように見る様子で、察したらしい。

「えっ!? あの……アオイ様はその、もしかして……?」

 と言いながら、ファビーナが鹿爪らしい顔で葵の胸元にぺたりと掌を置いた。

「わあっ!?」

「あ、失礼しました。でも……アオイ様……?」

 赤面して悲鳴を上げる葵に謝りつつ、手を引いて首を傾げるファビーナに、また成程、と思った。

 先日の『葵に合うサイズがない』は実は事実で、レイモンドは葵を女だと思ってはいても、普段の服装から判断し、女性用ではなく男性用の服を探したのだろう。そしてファビーナは、女性用を探した。

 アレクサンダーは敢えて葵の性別を言っていなかったのだろうし、それはそれで有難いのだが、こういった齟齬が出るとは思わなかった。

 だが、戸惑うファビーナを見て、決心した。

 顔を上げて、ファビーナにきっぱりと言う。

「すみません。気にしないで下さい。男性用の服を着る習慣があったので、つい。……これで大丈夫です」

「そ、そうですか……?」

 気を遣っているのではないか、と葵の表情を覗うファビーナに、笑って頷く。

 アレクサンダーが大変な時に、こんなことに拘るのがくだらなく思えた。


 ファビーナの後を連いてシーツを運ぶ、メイド服の葵を目に留めて、レイモンドが目を剝いた。

「ファ、ファビーナ……!」

 青褪めるレイモンドに素早く歩み寄って、葵は早口で制止する。

「いいんです。構いませんから、何も言わないで下さい」

「は……? よ、宜しいのですか……? しかしアオイ様……」

「はい」

 葵が大きく頷くと、レイモンドは汗をだくだくと流しながらも引いてくれた。

「わ、わかりました。大声を上げて失礼を……」

「いえ、気を遣わせてすみません……」

 なんとなく頭を下げ合ってしまったが、葵が異世界人ということで辻褄を合わせてくれたようだ。葵の性別については混乱したようだが。

 とまれ、小さい頃は親に着せられた覚えもあるが、それなりに成長してからは一切身に着けなかったスカートは、意外と肌に馴染んだので密かに驚く。

 動き難い印象もあるものの、普段からこれを着て動き回っているメイドがいるのだから、それなりに機能性もあるのだろう。

 一旦足を止めてしまったが、再度ファビーナの後を鴨の子のように連いて歩いていると、他の使用人の視線が時折投げられる。レイモンドがある程度説明しているので、呼び止められることはないが。

 ファビーナも当然気付いていたようで、リネン室に到着してシーツを棚に直していると、ファビーナがそっと言って来た。

「何か失礼なことを言われたり聞かれたりしたら、遠慮なく言って下さいね」

「あ、はい……。あの、敬語はなくてもいいですよ。呼び捨てでも構わないです」

「あ、そう? じゃあ遠慮なく。アオイも敬語は止めてね」

 ころりと言葉遣いを変えるファビーナに思わず苦笑してから、何気なく問うた。

「アレックスは、ここの人に慕われてるんだね」

「そりゃ当然よ。アレクサンダー様が『執行人』になる前から、この館で務めてる人もいるんだから。そうじゃなくても良い人だし」

「そっか……」

 そうだろうな、と納得半分で葵が頷くと、ファビーナが満面の笑みを見せる。

「だから、アレクサンダー様がアオイと仲良くしてるの見て、すっごく良かったなって。仕事上の付き合いで仲良くしてる人はそれなりにいるけど、本当に親しいって感じじゃないの。ここに連れて来て、一緒に暮らすなんてのも絶対なかったし」

「そう……」

 葵が頷くと、そこでファビーナが言葉を止め、僅かに俯いた。ブラウンの瞳にみるみる涙が溢れて来る。

「やっと気を許せる友達が出来たばかりなのに、あんなことになって……」

「ファビィ……」

 華奢な背を撫でると、ファビーナが目元を拭って顔を上げた。

「後で、アレクサンダー様の様子を見に行こうね」

 そう言って葵の手を握って来るファビーナに、葵は大きく頷いた。


 午後になって昼食を摂ると、レイモンドに許可を取った上で、ファビーナと共にアレクサンダーの部屋へと向かった。

 一時間後に医師が来る予定だというので、長居は出来ないとのことだったが。

 アレクサンダーの部屋の前に立っている使用人に断って扉を開けると、丁度中にいたメイドが数人、入れ替わりで出て行く。汚れた布を手に持っていたところを見ると、アレクサンダーの包帯を替え終えたところらしい。

 包帯交換の際に薬も塗布したらしく、窓を開けて換気をしてはいるが、どこか薬の香りが漂っている。

 ベッド脇に立ってアレクサンダーを見下ろすと、最初の措置の後よりはましに見えた。

「アレックス……」

 返答は期待せず、しかし呼びかけながら膝を着き、アレクサンダーの手を取る。と、また僅かにアレクサンダーの瞼が動いて碧眼が葵を捉え、そして、葵の手の中にある指先が、ぴくりと動いた。

「アレックス?」

 目を瞠るファビーナと顔を見合わせてから、またアレクサンダーの名を呼ぶが、アレクサンダーはそのまま目を閉じてしまった。

 小さく息を吐き、意識はないようだ、と落胆する。

「アオイ、もう行こうか」

「うん……」

 ファビーナの促しに頷き、アレクサンダーの手を離して立ち上がる。そしてアレクサンダーに背を向けたのだが、一歩踏み出す直前に、肉厚の掌に手首を掴まれた。

「え……!?」

 驚きから声を上げて振り向くと、アレクサンダーは目を閉じたままだ。だが、ファビーナもアレクサンダーを見て目を瞠る。

「あ……アレクサンダー様……!?」

 先まで黄金色だったアレクサンダーの髪が、見慣れた漆黒へと戻っていた。


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