(3)


 館内はにわかに騒がしくなり、レイモンドを含む執事・使用人が総動員され、布に包まれた状態のアレクサンダーを部屋に運んで行く。ベネディクトはすぐに姿を消したが、消える直前に医師を呼んで王城に報告するとだけ言っていた。

 葵は部屋に運ばれたアレクサンダーを追って上階に行き、しかし部屋には入らずただ廊下に佇んだ。今の葵では、何かをしようとすると邪魔にしかならない。

 寒気を感じて冷えた指先を揉むと、手が震えていることに気が付いた。そして、寒いのではなく恐怖で震えていると悟る。

 アレクサンダーの『死』が、現実に起ころうとしている。それに対する恐れだ。

 手だけでなく足まで震え始めたので、葵はその場に蹲った。


 そっと肩を叩かれたので顔を上げると、ベネディクトがいる。

「大丈夫か」

「……ベネディクトさん、アレックスは……」

 葵が問うと、ベネディクトは葵の隣に腰を下ろす。そして、顔を顰めながら金の髪を掻き上げた。

「辛うじて生きてる。瀕死の状態でも自分で応急措置を施したようだから、それのおかげだな」

「応急措置……?」

 葵が首を傾げると、ベネディクトは一瞬言い淀み、しかし続ける。

「恐らく、敵の毒を喰らったが、それが全身に広がって死ぬ前に、アンフィスバエナの炎で内臓ごと焼いた」

「それって……」

 応急措置ではなく自殺だろう、と言いかけて止めたが、伝わったようだ。ベネディクトは苦笑しながら額を押さえる。

「敵の毒と相棒の炎なら、後者がまだダメージは少なくて済む。そう判断したんだろう。アンフィスバエナだって、アレックスを死なせたいとは思わないだろうから、毒を放置するよりも助かる確率は高かったはずだ」

「だからって……」

 葵が拳をこめかみに当てると、ベネディクトが軽く背を撫でて来る。

「こういう言い方もなんだが、今君に出来ることはない。部屋に戻って寝るんだ」

「でも……」

 どうせ部屋に戻っても、眠れる訳がないとわかっている。ベネディクトの発言も正しいが、それでも葵が首を振ったところで、アレクサンダーの部屋から医師が姿を現した。葵もベネディクトも立ち上がり、詰め寄る。

「アレックスは!?」

「容体は!?」

「生きてますか!?」

「どうなんだ!?」

「落ち着いて下さい」

 葵とベネディクトに畳みかけられて汗を流す医師だが、慣れているのか軽く諫める程度に留め、説明を始める。

「アレクサンダー様の『応急措置』が功を奏しまして、最悪の事態は免れました。が、毒が全て抜けた訳ではないことと、デッドラインぎりぎりの部分まで肉体を焼いた影響で、再起不能の一歩手前です。今の状態では、治癒魔術の反作用でも命を落としかねません」

「……つまり?」

 ベネディクトが顔色を悪くして促すが、医師は意外と明るい顔をした。

「しかし、元々鍛えておられる上に、召喚獣との契約により生命力が底上げされているアレクサンダー様ですから、強い治癒魔術ではなく弱い治癒魔術を少しずつ重ねていくことで、時間はかかりますが完治は可能です」

 それを聞き、葵とベネディクトは大きな息を吐き、肩を落とした。

 最も恐れていた事態は免れたということなので、葵は医師に問う。

「あの、会えますか? 話せなくても、見るだけでも」

 話に聞いただけでも、アレクサンダーは元の世界で言う『面会謝絶』に値する状態だろう。だから期待はしていなかったが、葵の問いに医師は頷いた。

「意識はありませんが、容体は安定しているので話しかけても構いませんよ」

「は、はい」

 葵とベネディクトが室内に入ると、医師がレイモンドを呼び、使用人も廊下に引かせてくれる。今後のことについて話すのだろう。

 静かになった部屋でベッドに近付くと、顔を含め、ほぼ全身を包帯で覆われた男が横たわっているのが見えた。

 一瞬アレクサンダーではないように見えたが、それはアレクサンダーの漆黒だった髪が黄金色になっていたからだ。

「これは……?」

「アンフィスバエナも弱っているからだろう。間違いなくアレックスだ」

 ベネディクトが言い添えてくれたが、あまりの変化に息を呑む。蜂蜜色とでも言うのだろうか、ベネディクトの髪よりも輝く金糸が、ベッドのシーツの上に溢れている。血の滲んでいる包帯の凄惨さとのギャップに、少なからず混乱した。

 ともあれ、ベッドの脇で片膝を着き、アレクサンダーの手を恐々と握る。

「アレックス……」

 呼ぶと、包帯の隙間から見える瞼が僅かに動き、やはり金色の睫毛が上下する。その隙間から見えたのは、普段見えている瞳とは異なる、深い碧の色だった。髪と同じく、これが本来の色なのだろう。

 ベネディクトも身を乗り出したが、アレクサンダーの目は葵を捉えただけで、数秒後に閉じる。

 無理に起こすことはないだろうと判断して、葵は少しの間だけアレクサンダーの手を握り、そして離して立ち上がった。


 ベネディクトと共に廊下に戻ると、医師との話を終えたレイモンドが葵に歩み寄って来る。

「アオイ様、もうお休みになって下さい。何かあれば必ずお呼びしますから」

「……はい」

 今度は素直に頷き、医師とベネディクトに頭を下げて自室に戻る。

 灯りを消してベッドに入ると、目を閉じた。

 眠れなかった。



 夜が明けると、葵は何よりも先にレイモンドに話を聞きに行った。

 アレクサンダーのことだと察したレイモンドが、朝食を食べながらの説明を提案してくれたので、それを了承して食堂へ移動する。

 食欲はなかったが、ここで葵に気を遣われると、アレクサンダーの世話の邪魔になる。葵はなんとか料理を押し込みつつ、レイモンドの話を聞いた。

 これから七日から十日、アレクサンダーに治癒魔術をかける為に、医師が日参することになる。

 こちらがすべきことは、アレクサンダーの身体を清潔に保ち、一定時間おきに水分と鎮痛薬を飲ませ、意識が戻るまでは目を離さない。

「あの、僕に出来ることはありますか?」

 葵が意を決して言うと、レイモンドは予想していたのか、目を細めて頷いてくれる。

「アレクサンダー様の清拭は、慣れている者でなければ出来ません。一つ手順を誤ると、アレクサンダー様は勿論、こちらの身を痛めることにもなりますから。そして水分と鎮痛薬の補給も、小さなミスも命に関わることですから、申し訳ありませんがアオイ様にお任せすることは出来ません。ですので、アオイ様にお願いしたいのは、私どもがやむを得ずアレクサンダー様のお傍を離れる時の、経過観察です」

「……それだけ、ですか……」

 前もって考えられていたのであろう内容を言われ、不満はあるが反論も出て来ない。

 葵は何も出来ない。この世界のことだけではなく、何もかも素人だ。意気込んで突っ走っても、それがアレクサンダーの益になることはない。

 だが、葵にも出来ることはあるので、葵はレイモンドに言った。

「アレックスの世話は無理でも、世話をする方達のフォローなら出来ます。普段皆さんがやっている仕事を一部でも僕がやれば、その分はアレックスの世話をする時間が出来ますよね?」

 葵が身を乗り出してレイモンドに告げると、レイモンドは目を糸にして微笑み、頷いてくれた。


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