(2)
昼食の時間になると、埃だらけになった服から着替え、食堂での食事となる。
アレクサンダーがいないと、だだっ広い空間で一人での食事になってしまうので、葵はレイモンドに一緒に食事をしてくれと頼み込んだ。
レイモンドは最初は固辞したが、葵が土下座をせんばかりの必死さを見せたので、そこまで言うのならと頷いてくれる。
「会話しながらの食事って、お行儀悪いですか?」
やはり美味で健康的な食事を突きつつ、葵がこちらの風習について問うと、白髪の中にグレーが僅かに残る執事は、目を細めた。
「畏まった場であれば、そうでしょうね。ですが、アレクサンダー様とアオイ様の食卓であれば、その限りではありませんよ。それに、私も会話のある食事は楽しゅうございます」
「良かった」
葵がほっとして笑うと、レイモンドはフォークを静かに動かしながら、そっと言って来る。
「アレクサンダー様がアオイ様を連れて来られた時は、どうなることかと思いましたが、アオイ様が良いお方で安心致しました」
「いえ、そんな……」
「アレクサンダー様とアオイ様のご成婚が叶えば、私もこれ以上ない喜びでございます」
誉め言葉に染まっていた顔が、一気に青褪めた。
「あのレイさん。何かすごい誤解があるようですので、訂正させて下さい」
「誤解?」
葵が口元をひくつかせながら発した台詞に、レイモンドも何かを察したらしい。彼はフォークをそっと置くと、唇を軽くナプキンで拭ってから、静かに問うて来た。
「アレクサンダー様が伴侶となる女性を召喚されたことは聞いておりましたので、アオイ様がてっきりその方だと……」
「前半はその通りなんですが、僕はそれに巻き込まれて一緒にこちらの世界に来たんです。色々あってアレックスが気を遣ってくれた結果、僕はこちらで暮らそうとなったんです」
「なんと」
葵の説明にレイモンドは目を丸くし、そして珍しく慌てた様子で頭を下げる。
「これは失礼を致しました。アレクサンダー様がアオイ様を大層大事にされているご様子でしたので……」
「えっと、大事にはしてくれてますが、それはあくまで友人同士の関係の延長ですので……」
葵が今度は顔を赤くしながら言うと、レイモンドは納得してくれたらしく、もう一度謝罪を重ねた上で、食事を再開した。
午後になると、レイモンドは町まで買い出しに行くと言うので、邪魔でなければ同行させて欲しいと願い出る。
荷物持ちもすると言うとそれは断られたが、同行に関しては快く承諾された。
葵一人では馬に乗れないことを言うと、レイモンドは「では散歩がてらに歩いて行きましょう」と目を細めて提案してくれる。
葵は動きやすい服に着替え、レイモンドと共に館を出た。
晴天で風は心地良く、道を歩くと草木の香りが鼻腔に届く、日本で言うと春辺りの季節だろうか。
館までの道を覚えておこう、と葵が周囲を見渡しながら歩を進めたが、間が空くとアレクサンダーのことを案じてしまう。
「アレックスは、いつ頃帰るんでしょう?」
「場合によっては、往復で十日はかかる土地への出向もございますが、今回はそう遠くへは行かないとお聞きしております。遅くとも明日には戻るだろう、と仰っておりました」
レイモンドの言葉には、アレクサンダーの身を案ずる気配がさっぱりない。アレクサンダーの実力への信頼、今までの実績に基づく安心だと分かっているが、葵の不安は胸の内に居座ったままだ。
葵の顔色に気付いたのか、レイモンドがおっとりと言って来る。
「アオイ様が案じて下さっているとなれば、アレクサンダー様は尚更無事に戻らなければなりませんな」
「……すみません」
葵が謝るとレイモンドが軽く笑う。
「責めているのではありませんよ。むしろ、アレクサンダー様に良いご友人が出来たことが、とても嬉しゅうございます」
葵がレイモンドを見つめると、彼は前方に目を向けつつ、続ける。
「ベネディクト様も何かとアレクサンダー様を気にかけて下さっていますが、お二人の立場の違いもあって、踏み込むことが出来ない面も多いのです。アレクサンダー様が必要とされているのは、純粋にアレクサンダー様のお人柄を認め、忌憚なく接して下さる人物でした。それがアオイ様なのでしょう」
「……なんだか、僕のことを言われてる実感がないです」
アレクサンダーにも見られる傾向だが、あまりにも率直に言われすぎて対応に困る。葵が苦笑しながら頬を掻くと、レイモンドは葵を見て微笑んだ。
夕食もレイモンドと共に摂り、入浴を終えて自室に戻ると、ベッドに横になって本を読んだ。
アレクサンダーは今頃どこにいるのだろうか、『罪人』と戦っている最中だろうか、怪我などはしていないだろうか。
読書に身が入らず、考えるのはアレクサンダーの事ばかりだ。
アレクサンダーの強さを知っていても、心配もせず待つことなんで到底無理だ。なんとなく、アレクサンダーが常に飾らない物言いをする理由が分かって来た。
いつ何時命を落とすのかもわからない生き方をしているのなら、伝えておきたいことは伝えておかなくては、いずれ後悔すると思っているのかもしれない。実際そういう考えなのかはわからないが、少なくとも葵にはそう見える。
本を閉じて目を瞑っても眠れないので、身を起こしてガウンを羽織り、テラスに出た。
アレクサンダーの言った通り、昨日よりも風が冷たく、気温が下がっている。昼は雲一つない天気だったというのに、今の上空では黒い雲が速く流れ、地上に届くはずの月明かりを遮っていた。
昨晩この場所でアレクサンダーと話したことを思い出し、思わず嘆息が漏れたところで、ふと、風の音に紛れて馬の嘶きが聞こえた気がした。
町外れに建つ館なので、街灯の類は周囲にはない。が、運よく雲が途切れて町へ続く道に月光が差し、そこを走る馬二頭の影がくっきりと見えた。
部屋の中に取って返し、更には廊下に飛び出て階下目指して走る。レイモンドも起きていたらしく、葵が玄関に到着した時には、レイモンドが扉を開け放していた。
「レイモンド!」
直後に飛び込んできたのは巨大な何かを抱えたベネディクトで、執事の名を呼びながら布に包まれたものを玄関先に降ろす。
「ベネディクトさん――」
アレクサンダーはどうした、と聞こうとして、止まった。ベネディクトが降ろした布の隙間から、焼け焦げた手が零れ落ちたからだ。
「う……!」
異臭に思わず眉を顰め、続けて、見えた手に覚えがあることに気付く。そして、それが誰であるのかを察した瞬間、息が止まった。
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