(9)


 アオイの気が変わらない内に――と思った訳ではないが、思い立ったが吉日なのでアレクサンダーは館に伝令を出した。主であるアレクサンダーは館に戻ること、住人が一人増えるので、取り急ぎ部屋を用意すること。

「タカハシさんにはどう言おうか」

 とアオイが気にする様子を見せたので、アレクサンダーは少し考えてから言った。

「寮住まいだと色々と落ち着かないから、療養には不向きだと考えて俺の館に移ることになった……と言おう。いずれはマツリも俺の館に迎えるかもしれないが、アオイの事情をマツリが知らない内は、止めた方が良いと思う」

 アオイが気兼ねなく暮らせる場所を提供するのが目的なので、マツリが一つ屋根の下にいては本末転倒だ。

 アレクサンダーがそう言うと、アオイは少し苦い笑みを見せた。なので、言い添える。

「マツリが言っていたように、どこかで働くようになったら、いや、そうでなくとも街中に部屋を見つけることもあるだろう。その時は俺も出来る限り尽力する」

「ありがとう、アレックス」

 アレクサンダーの言葉に、やっとアオイはほっとした顔をした。


 マツリのワンピースを渡す用件もあるので、アオイには無理のない範囲での荷造りをさせることにして、アレクサンダーだけ女子寮に向かった。

 アオイも来たものと思ったのか、出て来たマツリはややがっかりとした顔をする。それに申し訳なく感じながら、アレクサンダーは建前上の理由を前に出して、アオイがアレクサンダーの館に移る旨を告げた。

「コガ君、そんなに悪いとか……?」

「いや、そうじゃない。ただ、アオイの体調を考えるとあの場所は四六時中人の出入りがあるから、療養向きじゃないと判断しただけだ」

 マツリの憂慮はきっぱりと否定すると、彼女は安堵の表情を見せた。

「もし、マツリも女子寮を出てどこかに居を構えたいと思うことがあったら、遠慮なく言ってくれ。安全性の調査を含めて、俺にも手助け出来ることはあるだろうから」

「ありがとう、アレックスさん。しばらくはこのまま寮の部屋に住むけど、いずれは相談させて下さいね」

 微笑むマツリにアレクサンダーもほっとし、そして頬を掻きながら言った。

「アオイにも言ったんだが……俺を呼ぶ時は呼び捨てでいいし、敬語もなくしてくれると嬉しい。俺がマツリを友人と思うことが、迷惑でなければ」

「迷惑だなんて、そんな……」

 マツリが首を振り、そして笑う。

「どうりでコガ君とアレックスさ……アレックスの距離が近いと思った。前の世界じゃ、コガ君と仲良くしてた男の人って特にいなかったから、正直驚いてたんだ」

「そうか……」

 その理由を知っているアレクサンダーとしては、曖昧な笑みを面に貼り付けるしかない。

「アオイの引っ越しが終わったら、マツリも遊びに来てくれ。ここからでは少し遠いから、数日中に案内する」

「うん、お願い」

 マツリはにこりと笑い、大きく頷いた。


 次の日、朝食を食べ終えると、アオイの荷物は別便で届けさせる手筈を整え、アレクサンダーは一頭の馬にアオイと二人で騎乗して寮を後にした。

「ゆっくり走らせても、昼頃には着く。もし気分が悪くなるようなことがあったら、休憩を入れるから言ってくれ」

「うん」

 外出着を身に着けたアオイを抱えるようにして、アレクサンダーが馬の腹を軽く蹴ると、馬は嘶きを上げて走り出す。

 こちらに来てから見た景色自体が限られているので、アオイは少し楽しそうだ。

 マツリと共に出向いた街中を抜け、その先にある門へ向かうと、アオイが問うて来る。

「城を中心に壁が何重もあるけど、他の国との戦争とかがあったりするからなのか?」

「戦争とは限らないが、まあ……有事の際の備えだな」

 そう言ったところで、警備の騎士に止められたので、腰に下げている剣を見せる。柄の紋章であっさりと通されたので、アレクサンダーは続けた。

「王城がある区画を含めて、この国は三つに分けられている。中心が富裕層、その外側が準富裕層、一番外側が中間層と貧困層。……とは言っても『敢えて格付けするなら』というだけで、貧困層にスラムがある訳じゃない。俺の館があるのは言うなれば貧困層になるが、最も広い区画で田畑が一番多いというだけで、物騒さはそこそこだ」

「そこそこ物騒なんだ……」

 汗をかくアオイに、アレクサンダーは笑った。

「人気のない所が多いと、自然と不逞の輩だって集まるものだが、町外れを夜道を一人で歩いたりしない限り、そうそう襲われたりしない。俺の館は町外れの位置にあるが、町中にはベンの家がある」

「ベネディクトさんも騎士だよな。何か理由があってなのか?」

 登城もする『騎士』となると富裕層エリアに住むのでは? と言外に問われ、アレクサンダーは言葉を選びつつ説明する。

「騎士でも家系による、という感じだな。王家を守る近衛だと富裕層に集まるが、それでも緑が多くのどかな中間層を好んで住む騎士もいる。あとは……外敵が真っ先に踏み込むのは貧困層ということもあるから、それを理由に居を構える場合もある。これが俺とベンだな」

「へえ……」

 そんなことを話している内に二つ目の門に差し掛かったので、先と同様に紋章を見せて通過する。アレクサンダーは顔を知られているので実際は顔パスも可能なのだが、決まりは決まりだ。

 先日マツリと共に行った街よりも雑然とした感がある市場を抜け、田園地帯へと踏み入った。

 そこに入ってから少し馬を早く走らせると、ほどなくアレクサンダーの館が見えて来た。瀟洒な二階建ての館は、遠くからだとこじんまりとして見えるが、土地の広さもあって実際は部屋数も多く、それなりの大きさがある。

 入り口前には既に執事と使用人が待ち構えており、アレクサンダーが馬から降りてアオイも下ろすと、執事達は恭しく腰を曲げた。

「お帰りなさいませ、アレクサンダー様」

「ああ」

 頷きながら使用人に馬を任せ、執事が開けた扉を潜って館内に入る。気後れしているのか、アオイが及び腰になっているのを認めると、思わず笑いながら背を叩いて入館を促した。

「アレクサンダー様のご友人、アオイ・コガ様でございますね。私は執事長のレイモンド。なんなりとお申し付けくださいませ」

「は、はい! お世話になります!!」

 執事の挨拶に、アオイが肩を強張らせてがばりと頭を下げたので、執事が孫でも見るように目を細めた。


 アオイの為に用意されたのは、アレクサンダーの部屋よりは幾分控え目な広さになっているが、日当たりの良いテラスに衣類を収納する小部屋、簡素ながら手洗い場まで備わっている部屋で、アオイは案内されながら汗を流し、「うわあ」と声を上げた。

「俺の部屋は隣だから、何かあればベルを鳴らすか声を上げれば聞こえるぞ」

「隣って……」

 アレクサンダーの説明に、アオイがとうとう青褪める。言葉が途切れたのは、突っ込もうとして止めたのだろうか。

 アオイの部屋を出て、廊下でアレクサンダーの部屋の方向を教えると、次は便所と浴場、それに食堂を案内する。

 夕方になるとアオイの荷物も届き、アオイが住む準備は完全に整った。



 就寝の時間になるとそれぞれの部屋に別れたのだが、アレクサンダーは寝間着の上に厚手のガウンを羽織ると、テラスに出て夜風に当たった。

 やや風が強いが冷たくはなく、雲の流れが速いので月明りも遮られずに遠くが見渡せる。

 開閉音が聞こえたのでそちらを見ると、アレクサンダー同様テラスに出て来たアオイの姿が見えた。

「アオイ」

 声をかけると、アオイが気付いて微笑んで来たので、少し後退するように言って、アレクサンダーは隣のテラスに飛び移った。

「落ちたらどうするんだ……」

「これくらいなら平気だ」

 青褪めるアオイに笑い、彼が薄い寝間着だけの姿であることに気付くと、今度は手招きをして自身のガウンの中にアオイを入れた。小柄なこともあり、アオイはアレクサンダーの懐に雛鳥のようにすっぽりと収まる。

「そんなに寒くないんだけどな」

「この辺りは意外と天候の変化が激しい。夜の間に気温が一気に下がることも珍しくないから、油断はするな」

 唇を尖らせるアオイに、アレクサンダーが過保護な訳ではないと言ったが、どこまで通じたか。

 先刻のアレクサンダーのように遠くを見つめるアオイに、元の世界のことを考えているのだろうか、とふと思った。

「アレックスの家族はどうしてるんだ? 兄弟とか……」

 何気なく問われたので、アレクサンダーは目を伏せた。

「兄弟は元からいなかったが、両親は健在だ。大分前に、他の国に移って行った」

 実のところ、アレクサンダーが『執行人』になったことが関係しているのだが、それを言うとアオイが気にするとわかっていたので、今度はアレクサンダーがアオイに問う。

「アオイの家族は?」

「いるよ。アレックスと同じで僕も一人っ子。親とは……離れて暮らしてた」

 その口調に含まれたものを察して、アレクサンダーはこっそりと苦笑した。

 アオイもマツリと同じくアレクサンダーの波長に合う人間なのだろうが、それ以外にも色々と似通っていたらしい。

 黙り込んでしまったアオイの顔をそっと伺うと、位置のせいで表情は見えなかったが、風に揺れる艶やかな黒髪と長い睫毛、ふっくらとした頬の輪郭だけは見える。

 密着しているせいで柔らかさを伴った華奢な身体つきも肌に感じ取れ、そこから思わず邪な連想が湧きそうになったので、アレクサンダーは慌ててアオイに言った。

「そろそろ寝た方が良いな。おやすみ」

「ん? ……ああ、そうだね」

 不自然さには気付かなかったようで、アオイは素直に頷く。アレクサンダーは就寝の挨拶をすると、またテラスの間を飛び越えて自室に戻る。

 ガウンを脱いでベッドに潜り込んだが、先まで腕の中にいたアオイの感触は、なかなか消えてくれなかった。



 次の日、『罪人』討伐の命が下された。


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