(7)


 あれほどアオイのことを気にかけていたというのに、何故かマツリはトーンダウンした様子でアオイの隣に腰を下ろした。そして、まじまじとアオイの顔を見つめ、アオイが居心地が悪そうに身動ぎすると、切り出す。

「コガ君、なんだか……雰囲気変わった」

「え、そう?」

 アオイが苦笑して頬を掻くと、マツリは言葉を選ぶようにゆっくりと言う。

「雰囲気っていうか……太った?」

「ええっ!?」

「あ、ごめん。太ったって言い方はないね。ふっくらしたって方が近いかも……」

 青褪めるアオイにマツリは慌てて言い直したが、言われてみれば確かに、とアレクサンダーは胸中で頷いた。

 出会ったばかりの頃は、もう少し顔の輪郭が細かったように思う。だというのに、今のアオイは頬に丸みが見受けられ、それに成人しているようには見えない童顔と小柄な体躯が合わされば、服装によっては女性に見間違えられるだろう。

 そこまで考えて、アレクサンダーは首を傾げた。

 アオイの挙動や発言から特に意識せずに男扱いしていたが、アオイは両性具有者だ。であれば、『女性である』とも言えるのではないのか。

 そう思い至った瞬間、数秒だけ息が止まった。

 今まで自分は、いや、自分だけでなくアオイやマツリも、その他アオイとマツリの出自を知っている人間も、『アレクサンダーの伴侶として喚ばれたのはマツリである』と考えて来た。言わずもがな、マツリが女性だからだ。

 だが、アオイが必ずしも男とは言い切れないのであれば、その前提から崩れるのではないか? もしかすると、アレクサンダーの伴侶としてこの世界に来たのは、マツリではなく――

「アレックスさん?」

 マツリに呼ばれて我に返り、そこで思考が途切れる。

 見ると、腰かけているアオイとマツリが揃って、棒立ち状態になっているアレクサンダーを見つめていた。

「すまん、考え事をしてた。なんだ?」

 アレクサンダーが汗を流しつつ言うと、アオイが苦笑する。

「タカハシさんが最近、女子寮の中で色々手伝ってるんだって。掃除とか食堂の調理とか。でもやっぱり、気を遣われることが多いらしくて」

「こっちにいる期間が長くなりそうなら、いっそ街で仕事を見つけて働くのも良いんじゃないかって話です。前の世界でも仕事をしてたし」

 アオイに続いてマツリにも説明され、アレクサンダーは顎に手を当てた。

 マツリがこちらに住むことを本気で考えているのなら、来賓扱いは居心地が悪いのかもしれない。それに、性格的に毎日遊んで暮らすのも向かないのだろう。

「そういえば、ベンが一度家に来てくれと言っていた。ベンはともかく、オリヴィアならそういう相談に乗ってくれるかもな」

「オリヴィア?」

「ベンの奥方だ。俺もたまに招待されているが、オリヴィアの料理は美味いぞ。……聞くところによると、オリヴィアも異世界人だとか」

 アレクサンダーが腕組みをしながら笑って言うと、二人の顔が明るくなった。

 元の世界とは文化もかなり違うようだから、生活する上でのあれこれを聞ける相手が欲しいのだろう。

 そこで少し強めの風が吹き、アオイが僅かに身震いをしたので、アレクサンダーはアオイの細い肩に手を置いた。

「そろそろ戻るか。体力が戻り切ってないのに風邪をひいたら大変だ」

「あ、うん」

 アレクサンダーの促しにアオイが同意し、マツリにまた今度、と微笑んだが、マツリは何故か、アオイに曖昧に頷いた。


 寮に戻ってアオイがベッドに腰かけると、アレクサンダーは一旦自室に戻り、街で買ったアオイの服が入った箱をアオイの部屋に運んだ。

 アオイの固辞を断って、アレクサンダーが自ずからクローゼットやタンスに衣類を仕舞っていくと、マツリに買ったワンピースが一着紛れ込んでいるのに気付く。

「しまった。仕分けの時に間違えたか」

「明日にでも渡そう」

 髪を掻くアレクサンダーにアオイが笑ったので、何気なく問うた。

「アオイは、こういうのは着ないのか?」

「へ?」

 アオイが一瞬呆気に取られ、しかし意味が分かると微妙な顔をする。何か悪いことを言ったか? とアレクサンダーが小首を傾げると、アオイは眦を下げた。

「ごめん。そういうことを聞かれたの初めてだから、驚いた。……着たことないよ。『あっち』じゃ、表向きは男として生きてたから」

 言いながらアオイがアレクサンダーから目を逸らしたので、この手の話題は追及しない方が良いのだろう、とアレクサンダーは察した。

 謝ると気を遣わせそうなので、アオイの返答には何でもない風に頷き、その話はそこで終わりにする。

 ただ、――アオイには絶対に言わないが――少しだけワンピースを身に着けたアオイを想像し、似合うのではないだろうか、と思った。


 昨日よりは起きていられる時間も延びたようで、アオイがベッドに横になりながらも何か本はないかと問うて来た。

「俺の家なら本が腐る程あるんだが……」

「腐る程……」

「先々代からの蔵書が書庫にあるんだ。娯楽向けの本もあったはずだから、それでいいか?」

 アレクサンダーが言うと、本好きだったらしく、アオイは眼鏡の奥の目を輝かせる。

「取りに行くのは手間じゃない?」

「構わない。ついでに、ここ最近の館の様子も聞いておきたいしな」

 アレクサンダーが笑うと、アオイがじゃあ是非と頷いたので、アレクサンダーは軽く身支度をして寮を出た。昼には戻ると言い置いて。


 数日ぶりに館に戻ると、事前の連絡はなかったというのに、アレクサンダーが姿を見せても執事達は慌てることもない。すぐに寮に戻ると言うと、執事はアレクサンダーが持って行けるよう、着替えの衣類を包むよう、メイドに指示する。

 それを横目に書庫に向かうと、他の部屋に比べて埃っぽいその場所に踏み入り、日除けのカーテンをまず開けた。それなりの広さの部屋に敷き詰められた本棚に、ぎっしりと多くの本が並べられているのが見える。

 気楽に読めそうなものはないかと吟味して、名のある著者が書いた本を三冊ほどピックアップすると、軽く埃を払ってから控えていた執事に渡した。

 執事が本のタイトルをさりげなく確認し、問うて来る。

「以前読まれた本ですが、よろしいのですか?」

「俺が読むんじゃなく、友人にだ」

「おや」

 アレクサンダーの返答に、執事が僅かに目を細めた。


 少しでも早く戻ろうと馬車を呼ばせ、それに乗って寮に戻ると、アオイに告げていた時間よりも一時間ほど早く寮に到着する。

 まず自室に戻って衣類を片付けてから、本を手にアオイの部屋に向かったのだが、軽くノックをしても返答がない。

 眠っているのかとそっと扉を開けると、室内にはアオイの姿がなかった。

「アオイ?」

 一瞬首を傾げてしまったが、歩けるようになったのだから、アレクサンダーがいない内に食堂に水を取りに行くか、便所に行くことくらいあるだろう。

 それならそれでいいのだが、アオイは病み上がりと同じだ。僅かな時間でも付き添いが必要な状態であるのだから、ここで待つよりは迎えに行った方が良い。

 そう判断して、アレクサンダーは本をサイドボードに置くと、アオイの部屋を出た。


 昼が近い時間なので、寮内は人気が多くなく、いたとしても食堂に集まる時間だ。一応食堂を覗いてアオイがいないことを確認すると、次は洗面所に向かう。アオイはいなかった。

 気分転換に歩き回り、誰もいない場所で倒れたのかもしれない。そんなことを想像し、廊下を掃除していた管理人にアオイを見たか問い質したが、特に見ていないと言う。

 見習い騎士の寮だから、不届き者が侵入する心配はないとしても、流石に不安になって来た。

 他にアオイが向かいそうな場所は、と考えて、思い至った。


 やはり人気のない浴場に向かって脱衣所に入り、籠に一人分の衣服が置かれていることを確認すると、アレクサンダーは浴槽のあるスペースへ足を向けた。脱衣所との境目になる段差と柱はあるが、扉や壁で仕切られている訳ではない。が、二十人近くなら同時に入浴しても余裕で入れるだけの大きさとあって、湯気で視界は不明瞭だ。

 アレクサンダーは靴だけ脱いで湿っている床に降りると、数歩奥へ進んでから抑えた声を出した。

「アオイ……いるか?」

 返答があれば、回れ右して廊下で待とうと思っての呼びかけだったが、水音がしたのでそちらに顔を向ける。

 すると、アオイがいた。

 身体を洗い終えたばかりなのか、浴槽の縁に腰かける姿勢で。当然ながら裸だ。

 既に一度見て知っているのだから、改めて見ても特に何か感じることはないと考えていたが、血塗れだった状態との違いに、アレクサンダーは思わず息を呑んだ。

 血の気が失せて真っ白だった細身は朱が差し、水滴が灯を受けて光っている。短い黒髪も艶やかに湿り、額に張り付いた前髪の下の上気した頬は、艶めかしくさえ見えた。

 変化した顔の輪郭同様、手足には柔らかそうな肉が覗え、控え目な胸のふくらみと、やはり控え目な下腹部の男性器が絶妙なバランスで、違和感なく一つの身体に存在している。

 アレクサンダーが呆然と見つめていると、そこでようやくアオイが顔を上げ、アレクサンダーに気付いた。

「……え? は?」

 アオイが呆気に取られた顔をした瞬間、我に返ってアレクサンダーは悲鳴じみた声を上げた。

「す、すす、すすすまん! 倒れているんじゃないかと思って確認をしに来ただけで、決して意馬心猿から覗きに来た訳では!!」

「説明はいいから、出て行ってくれないかな」

 アレクサンダーの裏返った声に怒るよりも先に呆れたらしく、アオイが傍らのタオルを手に取って胸元を隠しつつ、半眼でアレクサンダーに言った。

 

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