(6)


 少し離れた場所にあるベンチに箱ごと移動し、アレクサンダーはマツリと並んで腰を下ろした。

 アオイがマツリを案じていたことを改めて伝えると、マツリは薄暗い中でもはっきりとわかる程に頬を染める。

「……そうですか、コガ君が……」

 言って、零れて来た髪を耳にかける様子から、流石にアレクサンダーも気付く。

「マツリは、アオイが好きなんだな」

「わぎゃ!」

 途端にマツリがベンチの上で飛び上がったので、言うべきではなかったかと一瞬思ったのだが、思い直して続けた。

「なら、俺との結婚の話は保留ではなく、完全にないものとしなくては。誰かに――勿論アオイに聞かれても、そう答えるようにする。それがいいだろう?」

「……はい」

 マツリはほっとしたように頷くが、それでもアレクサンダーに気遣わし気な表情を見せる。

「あの、私がこういうことを言うのもなんですけど。……構わないんですか? 結婚したくて私を喚んだのに」

「構うも何も。君の要望を優先すると話しただろう。俺が家庭を持とうと思ったことは確かだが、そもそも召喚術で強制的に喚ばれるのだから、即座に喜んで俺と婚姻を結んでくれると思える程、俺は楽観的じゃない。説明と交流を重ねた上で、納得してくれてからの結婚を考えていた」

「………………」

 アレクサンダーが眦を下げつつ説明すると、マツリの顔から何かが抜け落ち、そして、代わりに違う何かが込められた気配がした。目に見えるものではないが、恐らくは警戒と信頼、それに近いものだろう。

 マツリはアレクサンダーから目を逸らし、膝の上で両手を握ると、僅かに肩を窄めて苦笑した。

「私……こっちの世界に来て良かったかも」

「?」

「私、向こうの世界にうんざりしてたんです。何もかも嫌で嫌でたまらなかった。死にたいって思ったりはしなかったけど、かといって、今日突然事故か何かで死んじゃったとしても、思い残すことはないかなって感じで……」

 問い質す前にマツリから口にするとは思っていなかったので、アレクサンダーが言葉をなくしていると、マツリが顔を上げてアレクサンダーに笑う。

「もしかして、コガ君が一緒にここに来たのって、私がコガ君に執着してたからかもしれませんね。だって、いっつも思ってたから。『コガ君と二人でどこかに逃げられたら』って」

 行く宛てなんてないんですけど、とマツリは自嘲気味に言った。


 マツリと別れて男子寮の自室に戻ると、アレクサンダーは入浴を済ませてからベッドに潜り込んだ。

 だが眠りはすぐに訪れず、考えるのはアオイとマツリのことだ。

 話を聞く限り、アオイは元の世界に戻ることを前提として考えている。だが、マツリが『こちら』に残ることを望み、更にはマツリがアオイにも『こちら』にいて欲しいと願ったならば、アオイはずっと『こちら』にいてくれるだろうか?

 アオイはマツリを『友人』だと評したし、彼女は恋人ではないという言葉も事実だろう。だが、それにしてはアオイは自分よりもマツリのことを考えすぎる。時には、マツリを優先するあまり、自分をないがしろにしていると感じられるほど。

 マツリがアオイに抱いているのは友情以上の愛情だが、それはアオイにも言えるのかもしれない。

 であれば、アオイもマツリも元の世界には帰らず、ずっと『こちら』で暮らせばいいのではないのだろうか。

 そこまで考えて、アレクサンダーは目を閉じた。

 こうしてアオイとマツリのことで頭を悩ませているのは、結局は自分の為だとわかっている。二人に手の届く場所にいて欲しいから、彼らが戻らなくていい理由を必死になって探しているのだ。

 最初に結婚をしようと思い立ったのも、『妻』という限られた立場の人間を求めていたのではなく、単純になんのしがらみもなく接してくれる相手、損得勘定なく自分を思いやってくれる誰かが欲しかったからだ。

 召喚術によって現れたのは『配偶者となる人間』ではなかったが、奇しくもアオイもマツリも、アレクサンダーが望んでいた人間だった。それだけのことだ。

 アレクサンダーがこんな身勝手な人間であることをアオイとマツリが知ったら、彼らはどういう視線を自分に向けて来るだろう。

 数日ぶりのベッドは心地良い弾力で、ソファより数倍寝心地の良い代物だったが、口中に沸いた苦味のせいで、アレクサンダーの眉間に皺が寄った。



「アレックス。顔色が悪いけど、何かあったのか?」

 すっかり敬語が抜けたアオイにそう問われ、アレクサンダーは思わず背筋を伸ばした。

 例によってアオイの部屋で、二人で食事を摂っている。アオイの予後は良く、念の為付き添いは必要だが、少しの距離なら自力で歩けるようになった。

 先刻洗面所に連れ立って向かった際は、アオイの活躍を見聞きした見習い騎士と会う度に、賞賛の声を投げられたりもした。騎士にならないかと誘われた程だ。アオイは笑いながら辞退していたが。

 さておき、アオイの質問にアレクサンダーは意識して頬を緩め、しかし今の内に伝えておこうと切り出す。

「恐らく数日中に、任務で離れることになる。その間は俺は勿論、ベンもここからいなくなるから、その間のことを決めておかないといけない」

 アレクサンダーの仕事について、ベネディクトが説明してくれていたのだろう。アオイは思い至ったように返して来る。

「任務……『執行人』の?」

「ああ」

 首肯するアレクサンダーにアオイが僅かに眉を潜めたのは、『執行人』の仕事への嫌悪ではなく、アレクサンダーの身を案じてだとわかる。それが願望ではない証拠に、アオイはスープを飲むのに使っていたスプーンを置き、僅かに身を乗り出す。

「アレックスとベネディクトさんだけなのか? 大変な仕事なのに」

「正確に言うと、仕事をするのは俺だけだ。ベンは、万一のことがあった場合の報告係だ」

「万一って……」

「『罪人』に負けた場合だ。俺の生死は、何があっても国王陛下に伝えられなければならない、最重要事項に位置付けられている」

 アレクサンダーが目を伏せながら言うと、アオイの眉尻が下がった。事が事だけに、軽々しく何かを言うことも憚られるのだろう。

 アレクサンダーにしても、激励も同情も返す言葉がなく持て余すだけなので、アオイが何も言わないのは有難く思えた。

 だがそれでも、言っておく。

「そんな顔をするな。危険ではあるが死ぬことが仕事ではないし、俺は別に死にたがりじゃない。手に負えないと判断した時は、一旦の帰投も命じられている。心配することはない」

 アレクサンダーが笑みを浮かべながら言った台詞に、アオイはやっと表情を緩めた。


 朝食を終えると、散歩がてらにマツリと会おうという話になったので、アオイが身支度を整え終えると、二人で寮を出た。

 昨夜マツリと話したベンチにアオイを待たせ、アレクサンダー一人で女子寮に行くと、マツリはやはり飛び出して来る。

「コガ君は!?」

「あっちのベンチだ。もう一人で歩けるようになった」

 アレクサンダーの説明にマツリは歓声に近い声を上げ、アレクサンダーを追い越すようにしてベンチのある場所へ向かって走って行く。アレクサンダーはマツリの背を眺めながら、自分はゆっくりと歩いて行ったのだが、アオイのいる場所へ向けて遠ざかっていた背中が、ぴたりと止まった。

 マツリが棒立ちになってアオイを凝視しているが、理由が分からない。アレクサンダーが追い付いてもそのままだったので、マツリに問うた。

「マツリ、どうした?」

「あの……アレックスさん。……あの人がコガ君で、間違いないですか?」

「?」

 妙な質問にアレクサンダーこそ戸惑い、マツリの横に立ってアオイを見る。

 正真正銘アオイで、間違えるはずがない。アオイはマツリ達に気付くと、ベンチから腰を上げて軽く手を振っていた。

「アオイだが、違う人間に見えるのか?」

 思わず小首を傾げて問うてしまったが、マツリも我に返ったように首を振り、

「ごめんなさい。ただの見間違いです。……一瞬、コガ君が全然違う人に見えたんです」

 そう言いながら、曖昧な笑みを浮かべた。

 

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