(5)


 清拭が終わって盥などを片付けると、アオイが眠そうな顔をしていたので、アレクサンダーはアオイに寝るように促した。

「明日天気が良かったら、少し外に出るか。日光も浴びないとな」

 言いながら、横になったアオイに毛布を掛けてやると、アオイがくすくすと笑った。

「何だ?」

「アレックスって、友人ていうより、お母さん……」

「おい」

 渋面になってアオイの前髪を掻き混ぜると、アオイは笑みを消さないままで目を閉じる。

 そのまま眠るかと思われたが、アオイはまた薄く目を開けて、

「今夜は自分の部屋で寝て。僕は大丈夫」

 とだけ言った。

「だが……」

 アレクサンダーが迷う様子を見せると、アオイは苦笑する。

「ここ数日ソファでしか寝てないから、隈が酷いよ。何かあったら声を出すから……」

「……わかった」

 アレクサンダーが観念して頷くと、アオイはようやく目を閉じ、数秒もしない内に寝息を立て始める。

 薬の効果もあるとしても、安心の度合いを表しているように思うのは、アレクサンダーの願望だろうか。

 アレクサンダーはもう一度アオイの額を撫でて、部屋の灯りを消した。睡眠の妨げにならないよう、部屋の入り口付近だけを淡く照らすようにランプを調節し、部屋の外に出る。

 合鍵で施錠をして隣の部屋に戻ると、客がいた。ベネディクトだ。

 彼はソファに腰かけて足を組んでいたが、無許可の入室もいつものことなので、アレクサンダーはそこはスルーした。

「どうした?」

「東の方に、不穏な気配があるそうだ。恐らく数日中、『罪人』の討伐命令が出るだろう」

「そうか……」

 アレクサンダーがそれだけを言うと、ベネディクトは苦笑する。

「最近、アオイにかかりきりだな。でも、良い関係が築けているようだから安心した」

「ベン」

 アレクサンダーが正面に腰を下ろすと、ベネディクトは眦を下げる。アレクサンダーの声色に何かを感じ取ったらしい。

 そんなベネディクトに、アレクサンダーはやや背を丸めて告げた。

「もし……もしもの話だが、俺が討伐に失敗したら……アオイとマツリのことは頼む」

「弱気は良くないぞ」

「負けるつもりはない。だが、有り得る話だから言ってるんだ」

 説教の気配に渋面になると、背筋を伸ばしてソファの背凭れに背を預け、髪を掻き上げる。その様子を見てベネディクトが目を細めたので、それを目の端に捉えて視線で問う。

 と、ベネディクトは歯を見せた。

「負けた時のことを考えるのはいただけないが、執着が出て来たのは喜ばしいことだ」

「執着?」

「この世界に」

「………………」

 ベネディクトはよっこいせ、と声を出しながら立ち上がり、部屋の隅にあるカップボードからワインとグラスを取り出す。そしてソファセットに戻ると、二人分のワインを注いだ。

「『執行人』はお前自身が望んだ訳じゃない、押し付けられた『役割』だってのに、嫌な顔一つ見せず使命を全うして来たのは、自分が嫌がれば誰かが代わりになる可能性を考えたんだろう? いくら召喚獣との波長の問題があるとはいえ、戦闘能力面での適性があるかどうかもわからないのに、たった一人に賭けるのはリスクが大きすぎる。……候補がお前以外にもいたとしても、おかしくない」

 そこで言葉を切り、ベネディクトはグラスを片方アレクサンダーに差し出す。それを素直に受け取って、アレクサンダーは透明な赤い液体を一口含んだ。

 そして、言う。

「買い被りすぎだ。俺はそこまで高尚な人間じゃないし、自己犠牲精神に溢れてもない。ただ……最も波長の合う人間として俺が選ばれた時、アンフィスバエナのことを考えた」

「?」

「人間の都合で一方的に喚ばれるというのに、俺の都合で一方的に拒否されたらどうなるんだろう、と思った。同情とも違うが……」

 アレクサンダーがぼそぼそと言うと、ベネディクトは突然大声で笑い始めた。

「何がおかしい」

「いや……人間、自分のことが一番わからないものだと思ってな」

「………………」

 アレクサンダーが半眼になるが、それに構わずベネディクトはワインを一気に飲み干して、グラスをテーブルに置く。そして立ち上がって腰を伸ばしながら、言った。

「その内、アオイとマツリを連れてうちに来い。オリヴィアに話したら、料理を振舞いたいってさ」

「……ああ、わかった」

 アレクサンダーが頷くと、ベネディクトは笑みを見せてから部屋を出て行く。

 それを視線で追うと、ふと部屋の隅に置いている箱が目に入った。先刻アオイに言った、街で買った品々だ。

 立ち上がってその箱の中を覗き込むと、見慣れない小瓶が入れられていた。取り出すと、マツリがの為に買った化粧品類だ。

「……早めに持って行くか」

 窓の外を見て陽の落ち具合を確認し、この時間ならまだ大丈夫かと思ったので、マツリの物だけを別の箱に移し、それを持って部屋を出て行く。

 重さはそこまでではないが、そこそこ大きな箱を抱えて歩いていると、通りすがりの見習い騎士が手伝いを申し出て来る。が、それはやんわりと辞退した。

「ありがとう。だが大切な物だ。自分で運ぶ」

 言うと、見習い騎士らは得心したように引いてくれた。


 女子寮の前に来ると、通りがかった見習い騎士の女性に言伝を頼み、マツリを呼んでもらったのだが、マツリはアオイに何かあったのかと勘違いしたらしい。

 彼女は髪を乱しながら飛び出して来て、血相を変えてアレクサンダーに食って掛かる。比喩だが、実際食われるかもと思うくらいの勢いだった。

「コガ君に何か……!?」

「違う。落ち着いてくれ」

 アレクサンダーが箱を下ろして示すと、背を丸めてマツリは大きな息を吐く。その様子に、少しマツリを放置しすぎたと思った。アオイがマツリについて言うのも当然だ。

「アオイは明後日辺りに会わせられると思う。今は長時間起きているのも難しい状態だから、もう少し待ってくれるか」

「いえ、私よりコガ君の都合を優先して下さい……。早く会いたいけど、私の我儘を優先してコガ君の治りが遅れたら、合わせる顔がない……」

 マツリは物憂げな顔でそう言い、アレクサンダーに苦笑する。

「アレックスさんも、今はコガ君の傍にいてあげて下さい。荷物は嬉しいけど……」

「そのアオイが、君を気にかけてたのだが」

 アレクサンダーが言うと、マツリはえっ? と目を瞬かせた。

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