(4)


 とりとめのないことを話しながら食事を終えると、アレクサンダーが食器をまとめて食堂に返しに行き、そのついでに厨房の人間に湯を沸かすように頼んだ。

 一旦アオイの部屋に戻ると、ベッドに腰かけているアオイに言う。

「外には出てないが、汗もかいてるだろう。湯を頼んでるから、それで身体を拭こう」

「あ、ありがとうございます」

 アレクサンダーの気遣いに、アオイが微笑んだ。


 が、その十分後、アオイの笑顔は凍り付いた。アレクサンダーが湯の入った盥をサイドボードに置くと同時に、タオルを手に構えたからだ。

「いえ、自分で出来ますから」

 顔を強張らせて言って来るアオイに、アレクサンダーも厳しい顔をした。

「背中だけだぞ、手伝うのは」

「自分で出来ますから」

 顔を赤くしてまで固辞するアオイに、アレクサンダーは首を振る。

「恥ずかしいのは理解出来るが、君は病人と同じだし、俺は看護人と思ってくれればいい。手が回らない部分だけを手伝ったら、俺は部屋の外に出る」

「………………」

 アレクサンダーの説得に、アオイは背中を丸めてしばし唸っていたが、観念したのか小さく頷く。

「上を脱ぐので、向こうを……」

「ああ」

 ほっとしつつ、言われた通りに背を向けると、背後で衣擦れの音がする。

 アオイの身体の造りを鑑みれば、見られたくないのはわかる。だが一方で、そこまで隠すことに必死になるものなのか? とも思う。

 アレクサンダーの考えが及ばないところに、彼が肌を見られるのを忌避するそれなりの理由があるとも思うが、そうやって一生何かに怯えて暮らすのだろうか。

「アレックスさん、いいですよ」

「ああ」

 呼ばれて向き直ると、寝間着の上だけを脱ぎ、それを胸に当ててアレクサンダーに背を向けたアオイが見える。

 アオイは顔を向こうに向けていたが、赤い耳が見えたので手早く済ませようと思った。

 タオルを未だ熱い湯に浸し、軽く絞ってからアオイの背に当てる。一瞬アオイの肩が震えたが、特に何も言われなかった。

「熱すぎないか?」

「あ、大丈夫です」

 アレクサンダーが肩から肩甲骨の辺りまでを丁寧に拭うと、アオイが幾分緊張を和らげながら返して来る。

 アオイの贅肉はないが筋肉もない華奢な背は、拭く手に力を籠めるのも憚られる。これがベネディクトなら、皮膚を削がんばかりに拭くだろうな、と考え、思わず口元を緩める。

 その吐息が聞こえたのか、アオイが僅かにこちらを覗う様子を見せたので、慌てて言った。

「街で買ったものを、マツリに渡すのを忘れていたことを思い出した。明日持って行こうと思うが、何か言伝はあるか。……と言っても、この回復具合なら、あと三日もしない内に直接会えるだろう」

 アレクサンダーが言うと、アオイは少しだけ考え込み、そして顔を上げる。

「アレックスさん、前に言ってましたよね。召喚される条件の一つが、元の世界に未練がないことだって」

「……ああ」

「正直な話……タカハシさんにも色々あると思います。いくら仲良くしていても、タカハシさんの全部を知っている訳じゃないから。だから、タカハシさんが元の世界に戻らず、こちらで暮らすと決めたとしても、僕はそれには反対しません」

「うん」

 アレクサンダーがタオルを白い背から離し、再度湯につけて絞っている間も、アオイは続ける。

「でも、どういう悩みでも――特に、元の世界に未練が無くなる程の悩みなら、元の世界から離れたら解決……なんて簡単なものじゃないと思うんです。だから、何が言いたいかっていうと……」

 アレクサンダーが無言でアオイの言葉を待つと、彼は少しだけ俯いてから、また声を発した。

「タカハシさんがアレックスさんと結婚するかしないかは関係なく、タカハシさんを気にかけていて欲しいんです。僕があっちに戻ったら、この世界にタカハシさんは一人きりですから。それがタカハシさんが選んだことだとしても、だからって気遣わなくていいってものじゃないと思うので」

「………………」

 手を一瞬止めてしまったが、逡巡の後に湯を含んだタオルをそっと肌に押し当てる。そして、言葉を選びつつ、言った。

「……ああ。俺としても、もしこちらに残ってくれるのなら、絶対に後悔させたくない。マツリは大切な友人だからな」

 言うと、アオイがほっと息を吐く。その様になんとなく頬を緩ませて、続けた。

「アオイも……俺にとっては大切な友人だぞ」

 途端、アオイがやや丸めていた背を伸ばし、肩越しにアレクサンダーを見る。高熱でもあるかのようにアオイの顔は赤くなっており、耳どころか首筋まで色を変えている。

 その反応に逆に不安になり、アレクサンダーは眦を下げた。

「あ……迷惑だったなら済まない、一方的に決めることじゃなかったな」

「ち、違います! 迷惑とかでもないし……いや、そういうことじゃなくて……」

 肩を落とすアレクサンダーにアオイは慌てて言い募り、そして赤い顔はそのままに、僅かに笑みを見せる。

「……嬉しいです。僕に兄がいたらこんな感じかなって思ってたので……友人と言ってもらえるのは、すごく嬉しいです」

 アオイのその表情に、形容し難い感情が沸く。分類的には嬉しいと表現されるものだろう。だが、その言葉では足りない程に、心地良く体温が上昇するのを感じる。

 それを何と言い表すのかがまだわからず、アレクサンダーはとりあえず言った。

「じゃあ、公認の友人と言うことで、俺に敬語はもう使わないように。俺を呼ぶ時は『さん』付けはなしだな」

「うえぇっ!?」

「友人なら当たり前だろう。ほら、清拭の続きをやるから前を向け」

「………………」

 アレクサンダーがしれっと言うと、アオイはしばらく震えていたが、ぐりんと勢いよく前を向いてから、ぼそぼそと言って来た。

「わ、わかった……アレックス」

「ん」

 小さくとも届いてきた声に、アレクサンダーは目を細めて頷く。

「『アレックス』が言い辛かったら『アル』でもいいぞ」

「ハードル上げないで!」

 アレクサンダーの提案に、アオイが悲鳴じみた声を上げたので、それには声を上げて笑ってしまった。


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