第三章/変容

(1)


「アオイ!!」

 最後の一人の首を斬り落とすと、アレクサンダーは直ぐ様身を翻してアオイに駆け寄る。気絶したマツリも気になるが、緊急性が高いのは怪我を負ったアオイだ。

 アオイの傍らに膝を着き、項に手を添えて頭部を浮かすと、自分の膝に乗せる。呼びかけながら血の気のない頬を叩いたが、茫洋とした視線だけが返って来た。

 意識はあるようだが、応答が出来る程意識が鮮明ではないという状態だ。血が流れたこともあるし、アオイの身体は驚くほど細く、軽い。そんな身体に矢を受けたのなら、ショック死しなかっただけマシだ。

 アレクサンダーはアオイの腹に深々と刺さっているボウガンの矢を見、唇を強く嚙んだ。

 全て、自分の責任だ。

 戦闘に慣れていない素人を同行させ、結果守り切れずに怪我をさせた。アオイが望んで連いて来たから、などと言うのは言い訳でしかない。

 しかし、後悔しても時間が戻る訳がない。こうしている間にもアオイの血は失われて続けているのだ。

 まずはアオイに刺さっている矢を抜き、応急手当てをしなければ。

 アオイの後頭部をそっと地面に置くと、アオイを横臥状態にして、血で濡れたシャツを捲ると、脇腹を確認する。ボウガンの矢はアオイの薄い腹を貫通し、背中側に血塗れの矢尻部分が僅かに覗いていた。

 毒が塗られている様子はない。ということは、この矢は抜かずにこのままの状態で清潔な場所に運び、矢を抜いて直ぐに止血、そして治癒魔術で治療。これが最適な手順かもしれない。

 であれば、まずは矢を固定しなくては。

 アレクサンダーはチュニックを脱ぎ、それをアオイの腹部にぐるぐると巻き付けた。小柄なアオイと大柄なアレクサンダーだから、十分事足りた。

 ほっと息を吐いたところで、外から声が複数聞こえて来る。そして、その中から聞き慣れた声が届いた。

「アレックス!」

「遅い!!」

 思わず怒鳴りつけると、ベネディクトが青褪めて震え上がる。八つ当たりなのはわかっていたが。

 ベネディクトはそれでも足を止めずにアレクサンダーの傍に来、経緯を問う状況ではないと察してくれる。

「マツリは任せろ。後始末はしておくから、お前は俺の馬で街に行け」

「ああ」

 即断するベネディクトに頷くと、アレクサンダーはアオイを抱き上げた。矢の刺さっている部分に誤って触れないようにしたが、それでも振動でアオイが呻く。唇は紫になり、白い額には玉のような汗が浮いていた。今にも息を引き取ってしまうのではないかと思うと、心臓が冷える。

「アオイ、頑張ってくれ」

 何度も声をかけながら、外にいた騎士の手も借りて馬に乗ると、馬の腹を蹴った。


 騎士が世話になることが多い病院に到着すると、説明せずとも看護人が動いてくれる。

 ここには治癒魔術を使える医師がいるから、アオイも助かるだろう、とアレクサンダーはほっと一息ついた。待合室のソファに腰を下ろしたところで、看護人の一人が気を遣ってアレクサンダーにシャツを渡してくれる。

 そういえば服はアオイに使ったんだった、と思い出す。そろそろ夕方なので空気も冷えかけているが、気付かなかった。

 看護人に礼を言ってシャツを着こんだのだが、そこに処置室から医師が出て来て、アレクサンダーに困ったように言う。

「患者が抵抗しております。説得出来ませんか」

「抵抗?」

「治療の為に服を脱がそうとすると、嫌がりまして」

 医師の台詞に、アレクサンダーは両目を瞬かせた。


 アレクサンダーが処置室に踏み入ると、ベッドの上に瀕死の動物のように丸まっているアオイが見えた。

「外に出てくれ」

 看護人に告げて処置室から追い出し、しかし医師だけは入り口近くにいるよう頼むと、アレクサンダーを知っている人間ばかりなので、特に反論もなく言った通りにしてくれる。

 アレクサンダーは背を丸めて胸元を掴んでいるアオイに、そっと声をかけた。

「アオイ。怪我の治療をしたい。手を離してくれ」

 多少は意識が戻ったのか、アオイは蒼白になりながらも乾いた唇を動かす。

「……触るな……」

 掠れた声で言われ、この世界に召喚される人間の条件を思い出す。マツリだけでなく、アオイにも何か事情があるのは察していたが、ここまで根深いものだとは思っていなかった。

 そして、自分はまだ彼の信頼を得られるに値しないのだと悟ると、説得とは違う台詞が喉から出た。

「必ず助ける。俺を信用してくれ」

 言って、アオイの冷えた頬に掌を当てると、アオイは目を閉じて胸元を掴む手を緩めた。

「アオイ?」

 呼びかけるが、息はあるが返答はない。アレクサンダーは医師に顔を向けて頷いた。そして、アオイの気持ちを優先しようと、歩み寄って来る医師に言う。

「看護人は呼ばずに処置出来るか? 俺も手を貸す」

「……やってみます」

「頼む」

 心底感謝しながら頷くと、医師は薬湯を用意してアオイに飲ませる。アオイの呼吸が明らかに整い始めたので、アレクサンダーはほっと息を吐いた。それから医師に指示をされたので、自分の髪を纏めてから口元を布で覆う。

「痛みを緩和させる薬を飲ませました。矢を抜きますが、服は切るしかないですね」

「ああ」

 現状それしかないので、医師の確認に特に考えずに頷いたのだが、医師がアオイのシャツに鋏を当ててざくざくと切って行き、血塗れのシャツが取り払われたところで、アレクサンダーは息を止めた。

 無言でアオイの胸元を凝視していると、医師が雑談のように言って来る。

「男性じゃなく女性でしたか、失礼しました。服装が男性用なので、てっきり――。……アレクサンダー様?」

 医師が不思議そうに顔を向けたが、アレクサンダーはアオイのいるベッドに背を向け、掌で顔を覆った。

「アレクサンダー様? 矢を抜くのでお手を……」

「あ、ああ。わかった」

 どう返せばいいかもわからず、とにかく今はアオイの治療が先決と両頬をバシバシと叩いてから、アオイの方を向く。

「矢尻と羽根があるので、そのまま抜くのは無理です。まずは半分に切断しないといけませんね。このナイフで切って頂けますか?」

「………………」

「アレクサンダー様?」

「そ……そうだな。何をすればいい?」

 アレクサンダーが聞き返すと、医師の半眼が返されたので、我に返って手渡されたナイフで矢の中程を切断する。

 アオイの身体を見ながらしなくてはいけなかったので、必然的に胸のふくらみが目に入り、アレクサンダーは胸中で百回程アオイに謝罪した。

 その後はまたアレクサンダーが矢を抜き、間髪入れずに医師が傷口を消毒し、身体に空いた穴を塞ぐ魔術を使用する。

「傷は深かったですが、若さで助かりましたね。子供や老人の場合、魔術を使っても亡くなる場合もありますから。失った血の補充は魔術では出来ませんので、あとは投薬と安静ですね。傷口は塞いでも、痛みはしばらく続きますよ。鎮痛剤も用意します」

 医師の説明に、アレクサンダーは大きな息を吐いた。

「……ありがとう。助かった」

「いえいえ」

 アレクサンダーの礼に医師は首を振り、それからぐったりと目を閉じているアオイを見た。

「ひとまず治療は終わりましたが、弱っている状態で不衛生なのは危険です。彼女を洗わないと」

「……後は頼んでいいか?」

 流石に女性の清拭は手伝えないと、アレクサンダーが項垂れながら問うと、医師は目を細めて頷いた。そして、アオイの残りの着衣に手をかけ始める。

「すみませんが、外にいる看護人を呼んでもらっても?」

「ああ」

 お安い御用、とアレクサンダーが廊下に出ようと背を向けたところで、

「……アレクサンダー様、お待ち下さい」

 医師の堅い声に呼び止められた。


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