(6)


 ある意味こちらの世界に喚ばれた時よりも何かと『濃い』一日だったが、色々と進展があった分気持ちが軽くなっている。

 食欲も完全に復活したらしく、夜になると空腹を感じたので、一階にある食堂へ行こうかと思ったところで、扉がノックされた。

「はい」

 なんとなく予想していたが、扉を開けるとそこには平民服を身に着け髪を一纏めにしたアレクサンダーがおり、葵の顔色を覗う仕草をしてから言った。

「アオイ、夕飯はどうする? 食堂は時間によっては混むから、下で食うなら今の時間が丁度いいぞ」

 アレクサンダーの口調から礼儀正しさが若干抜けたように思えるのは、気のせいではないだろう。それにどこか安堵するのを自覚しながら、葵は微笑みながらアレクサンダーに返す。

「ありがとうございます。ちょうどお腹が空いて来たところでして。良ければ食堂で一緒に食べませんか?」

 アレクサンダーなら頷くものと思っていたが、何故か彼は思案する様子を見せる。立場上、葵の誘いを断れないと思っているのなら、困らせてしまったかなと思い、言い直す。

「あの、用事があればそちらを優先して下さい」

「いや、そうじゃないんだ」

 アレクサンダーは苦笑し、葵の憂慮を払うように軽く手を振る。

「……ベンはともかく、俺がいると見習い騎士が緊張する。だから俺はここに留まる時、食堂では食わないようにしてるんだ」

 身体が資本の騎士だから、食事は気兼ねなくさせたい、と続けるアレクサンダーに、葵の誘いが迷惑な訳ではないと理解し、葵は頬を緩めた。

「部屋で食べてるってことですよね? でしたら、それにご一緒させて下さい。聞きたいことはまだまだあるので、食べながらでも教えて欲しいんです」

 言うと、アレクサンダーは目を細めて歯を見せた。


 食堂に二人で降りて、数種類用意されている定食からそれぞれ選び、追加で取れる副菜の小皿とデザートをトレイに載せると、アレクサンダーの部屋へと向かった。

 テーブルに向かい合って座ると、葵は手を合わせて声を出す。

「いただきます」

「……城で食事した時もしていたな。食事前の祈りのようなものか」

「似てますけど、意味が違うかもしれないです」

 葵の返答に首を傾げるアレクサンダーに、葵は苦笑した。

「多分この世界のお祈りは、神様に感謝する意味でしてるんだと思いますが、僕らの国じゃ食べ物になった動物や植物に感謝するんです」

「ほう」

 アレクサンダーが興味深そうに身を乗り出したので、頬が思わず緩んだ。

「生物は他の命を食べなければ生きて行けないので、自分の糧になってくれた命に感謝して『頂く』という意味ですね」

「なるほど……」

 感心したように頷くアレクサンダーに、一応補足した。

「とはいえ、人によっては同じ言葉でも考え方が変わるんですけどね。『作ってくれた人に対しての感謝』で言う場合もありますし」

 葵の説明に、アレクサンダーは目を細める。

「どちらもとても良い考え方だな。信仰心を否定するつもりはないが、アオイのお祈りは何と言うか……地に足が着いている感じがする」

「そ、そうですか?」

「ああ。例えるなら、死にかけている俺をベンが助けた場合、俺が神に感謝するかベンに感謝するかのような違いだろう」

「もう少し穏当な例をお願いします」

 鹿爪らしい顔で述べるアレクサンダーに葵が半眼で突っ込むと、アレクサンダーは汗を流して唸る。

 その様子に思わず葵が噴き出すと、アレクサンダーも釣られたように笑った。


 城で食べたものよりも豪華さでは劣っていたが、寮での食事も美味しく食べられた。

 デザートまで平らげて食後のお茶の段階になると、アレクサンダーはふと思い出したように言う。

「言い忘れていた。見習い騎士にも任務が割り振られる場合があるから、深夜に戻る者がいた場合のことを考えて、浴場が使えない時間は掃除と水の入れ替えの一時だけだ。汗を流したいだけでも、遠慮なく使ってくれ」

「は、はい」

 葵が表情を陰らせたのを認めたアレクサンダーが、不思議そうな顔をし、そして得心したように補足した。

「使うのが男ばかりでも、きちんと清潔に使われてるぞ? 泳ぐ者はたまにいるそうだが、疥癬や性病の類がうつったという話は聞かないし……」

「そっちの心配ではありません。他人と入浴する習慣がないだけです。……人がいない時間に使わせて頂きますね」

 葵が汗を流しつつ説明すると、アレクサンダーは特に気にした様子もなく頷いた。

「確かに俺もそうしてるな。理由は食堂と同じだが。一人で大丈夫か? 慣れるまで付き添うが」

「いえ! 流石にそれは、ちょっと……」

 アレクサンダーの提案に、葵が強く首を振ると、アレクサンダーは「そうか」とだけ言って引いてくれる。少しばかり残念そうだったが、こればかりは譲れないので、葵は胸中で謝罪した。

 食事を終えて食器類を片付け、アレクサンダーと挨拶を交わして別れ、部屋に戻ると眠気が沸いて来る。

 城に軟禁されていた時は、沸かした湯を持って来られ、身体を拭くように言われていたので、そろそろ風呂に入りたい頃合いでもある。

 葵は眠気を耐えて人が起きている気配が消えるのを待つと、そっと部屋を出て浴場へ向かい、誰もいないことを確認してから、手早く身体を洗って入浴を済ませた。

 広く清潔な浴場で数日ぶりの入浴となると、長く湯に浸かりたい欲求もある。が、葵はそれも我慢した。



 翌日、またアレクサンダーと共に食事をすると、茉莉を含めて三人で街に行くことになる。

 準備をするように言われたので葵は昨日と同じ服を身に着け、念の為にベルトにスタンガンも留めると、アレクサンダーの部屋の扉をノックした。

「アレックスさん」

 声をかけると入室の許可をされたので、特に考えずに扉を開けて入ると、上半身裸のアレクサンダーが見えた。

「わっ!? ――す、すみません!」

 葵が悲鳴を上げて退室しようとすると、着替えの途中だったらしいアレクサンダーがきょとんとする。

「謝ることはない。少し座って待っててくれ」

「は、はあ……」

 なんとなく赤面しながら、かつ目のやり場に困りつつ、アレクサンダーに勧められた椅子に歩み寄る。が、そこで目の端に見えたアレクサンダーの身に、目が吸い寄せられた。

 服を着ていても相当鍛えている男だと思っていたが、実際アレクサンダーの身体には余分な肉が一切伺えず、全ての部位が引き締まっている。スポーツ選手やボディビルダーのそれとは違う、肉体の機能性を追求した、軍人の身体だ。

 だが葵が凝視したのはそこではなく、アレクサンダーの脇腹だ。一部がどす黒く変色し、見るからに痛々しい。

「それ、もしかして……昨日の?」

 葵がアレクサンダーに、スタンガンを押し当てた場所に違いない。彼に駆け寄り青褪めると、葵とは対照的にアレクサンダーは何とも無さそうに言う。むしろ、葵が驚いていることに驚いている、といった感じだ。

「ああ、この程度なら直ぐ治る。もう痛みはないから気にするな」

「……ごめんなさい」

 長袖のチュニックを頭から被るアレクサンダーに、葵が視線を彷徨わせて謝罪を口にすると、長い髪を外に出したアレクサンダーは、葵の頭頂部をぽんぽんと軽く叩いた。

「あの状況だと、俺は敵と見られて当然だ。アオイは敵地の中で自分とマツリの為に戦っただけで、誰かに咎められるようなことはしていない。……謝ることはないんだ」

「………………」

 気を遣ってではなく、本音で言っているとわかる声色と、掌の温かさに思わず息が詰まった。そして自覚する暇もなく、葵の目尻から涙が零れる。

「アオイ?」

「あ、すみません……」

 自分でも驚き、咄嗟にアレクサンダーから顔を背けようとしたところで、葵の肩にアレクサンダーの手が回され、軽く抱き寄せられる。そして、今度は背中を撫でられた。

「アオイは謝ってばかりだな」

 と、微かに笑みの含まれた声が耳に届き、行動と台詞のずれ具合に、思わず笑ってしまった。その拍子にまた涙が出たが、不思議と心地良かった。


 葵が落ち着きを取り戻すと、アレクサンダーは中断していた準備を再開する。慣れた手付きで髪を三つ編みにするアレクサンダーを見て、葵は昨日のベネディクトの台詞を思い出した。

 元はアレクサンダーも金髪だったと言うが、確かにアレクサンダーの髪はよく見ると、陽に透けた時に僅かに色を変える。漆黒のようだが、漆黒に見えるだけだ。視点を変えると全く別のものに見える、錯視を思い出す。

 身支度を整えたアレクサンダーは、ベッド脇に立てかけていた剣を腰に下げると、葵に微笑んだ。



 寮の外に出て、アレクサンダーと共に女子寮の方へ赴くと、アレクサンダーは警備の騎士に茉莉を呼ぶように伝えた。

 十分ほど待ったところで、ポニーテールにワンピースを身に着けた茉莉が駆け足で飛び出して来る。

「お、お待たせしました!」

 アレクサンダーと葵の前で急ブレーキをかけ、身を屈めて両手を膝に着き、背中を上下させて息を整える茉莉に、アレクサンダーが苦笑する。

「そんなに楽しみだったのか」

「はい!」

 きっぱりと言う茉莉にアレクサンダーは目を丸くし、それから頬を緩めた。

「昨日よりも顔色が良い。よく眠れたようでなによりだ」

 そういうアレクサンダーに茉莉は頷き、寮では親切にされていること、食事も美味しく食べられたことを報告する。

 アレクサンダーに話しかける茉莉のやや上気した顔を見て、葵は茉莉が召喚された理由をまた思い出していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る