(4)
「古賀君!」
葵の姿を見るなり、薄い桃色のドレスを身に着けた茉莉は、駆け寄って来て葵に抱き着いた。
「高橋さん……」
元の世界ではここまで触れることはなかったものの、現状を考えれば不安の大きさの表れなので、葵は引き剝がしたりせずに茉莉の背中を軽く撫でた。
それで落ち着いたらしく、少し経ってから茉莉は自主的に身を引き、目尻に浮いた涙を指先で拭う。
「ごめんね、巻き込んで……喚ばれたのは私だけだったのに、私を助けようとして、古賀君まで……」
「高橋さんのせいじゃないよ」
言って葵が笑うと、茉莉もほっとしたように笑みを見せた。
ソファセットに移動して、葵と茉莉、アレクサンダーとベネディクトとで向かい合って座ると、これからどうするかをもう少し詰めよう、という流れになった。
「まずは寝泊まりする場所だが、マツリはこの部屋のまま、アオイの部屋はここの近く……出来れば隣辺りに用意するというのはどうだろう」
「いえ、あの、城の中はちょっと」
葵と茉莉がやや青褪めながら辞退すると、アレクサンダーは首を傾げた。
「安全性から言えば、ここが最適だと思うのだが」
アレクサンダーはそう言うが、葵はというと、この人、生まれながらのお坊ちゃんか、と少々冷めた目で彼を見る。
「安全かもしれませんが、そのう、ゴージャスすぎて気詰まりというか……」
「僕ら、小市民なので……もっとアットホームな場所の方が……」
茉莉の説明の補足に葵も声を上げると、いまいちピンと来ない様子のアレクサンダーに、ベネディクトが助け舟を出してくれた。
「アレックス。この世界に慣れさせたいなら、城からは少し距離を置いた方が良いんじゃないか? 特にアオイは、事故でこっちに来たようなものだ。言うなれば『事故現場』がしょっちゅう目に入る場所で、寝泊まりはしたくないだろう。な? アオイ」
「そ、それですそれ!」
ナイス・ベネディクトさん! と内心で親指を立てながら賛同すると、アレクサンダーは名案を思い付いたようだ。
「それならば、町中に二人が暮らせる家を一軒用意して……」
「止めて下さい」
葵と茉莉がまた青褪めて、しかも同時に止めると、声色で断固拒否だと通じたらしい。
気落ちしたのか、少しばかり肩を落としたアレクサンダーに、ベネディクトが不思議そうに問う。
「っていうか、アレックスの館なら部屋が余ってるんじゃないのか。わざわざ別に用意しなくても……」
「ん?」
ベネディクトに対して、アレクサンダーこそ不思議そうに小首を傾げる。
「何を言ってるんだ。執事や使用人以外で一緒に住むのは、婚姻関係か血縁関係のある家族だけと決まってるだろう」
「えっ」
「え?」
目を丸くするベネディクトに、アレクサンダーも目を丸くした。やり取りを静観していた葵と茉莉も、息を呑んで硬直する。
一分近く沈黙が続いてから、最初にベネディクトが動いた。
「……とりあえず、ここから少し歩いた場所に、見習い騎士の寮がある。男女分かれてるし部屋もあるから……」
「それはいいですね」
「お願いします」
スルーすることにしたらしいベネディクトが折衷案を出してくれたので、葵と茉莉はぶんぶんと頷いた。突っ込みたかったが、触れてはならない気がしたからだ。
アレクサンダーだけは、微妙な空気に首を傾げていたが。
性別で分けていても、距離自体はそう離れていないらしいので、四人で連れ立って歩いて宿舎に向かいながら、茉莉はこそりと葵に言った。宿舎に移るとあって、葵も茉莉も新たに用意された平民服に着替えている。
「毎日じゃなくても良いから、決まった時間に散歩でも行こうね」
「あ……うん」
慣れない世界で知り合いがおらず、心細いのは葵も同じだ。茉莉の提案には頷き、しかし、茉莉からの告白を思い出して、葵は小さく息を吐いた。
よくよく考えると、深刻な状況に置かれているのは、茉莉ではなく葵かもしれない。
茉莉はある意味、アレクサンダーの妻になるという『役割』の為に召喚された。つまり、茉莉がその気になりさえすれば、茉莉はアレクサンダーの元で何の不安もなく、平和に暮らせるだろう。
茉莉の男嫌いが壁となるかもしれないが、アレクサンダーなら茉莉もいずれ心を許す。彼はそれが確信出来る程の好青年だ。
それに比べて葵は、無力で何の取り柄もない、平凡な人間だ。
アレクサンダーは葵を評価してくれたが、彼が挙げた葵の美点は、この世界で生きる役に立つのかどうか。
茉莉の意思も確認すべきだが、例え茉莉がこの世界で生きて行くと決めたとしても、葵は元の世界に戻るべきなのだろう。
葵からしたら、自身の問題が解決しない限り、どの世界で生きるのも同じようなものなのだが、少なくともこの世界は、葵を必要としていないのだ。
先に女子寮に向かい、寮母的存在の女性に茉莉の事情を話して部屋を用意してもらうと、茉莉は女子寮に残して、三人で男子寮へ向かった。
「マツリもだけど、君達は客と同じ扱いになるから、君達が寝泊まりするのは見習い騎士達と同じじゃない。食事や風呂や洗面、トイレは共同だけど、部屋は鍵付きの少し良い所だよ」
「良いんですか?」
ベネディクトの説明に葵が問うと、アレクサンダーが頷いて補足する。
「見習い騎士達には別に家族との家があるから、定期的に帰ることもあって私物はそう多くはない。だが、アオイ達はそうじゃないだろう。皆と同じような狭い部屋だと、貴重品は勿論、着替えも碌に置けない。その辺りは誰もがわかっているから、心配するな。一応、ベンからも説明させておく」
「は、はい」
葵がほっとして頷くと、アレクサンダーは続ける。
「寮には俺用の部屋もあるから、しばらくの間は俺もこちらで寝泊まりする。その方が何かと都合がいいだろう」
「あー、そうだね。じゃあアオイの部屋は、アレックスの部屋の隣にしておくか」
ベネディクトがアレクサンダーの台詞に、頷きながら言った。
女子寮もそうだが、男子寮は四階建てとなっており、葵の部屋は最上階だった。
部屋に通されると、装飾としてのそれではなく、実用性が優先された家具が備え付けてある。隅に簡素なソファセットがあるが、部屋自体が広めなのでがらんとした印象だ。アレクサンダーが窓に近づいて外を眺めつつ、葵に言う。
「今はそうではないかもしれないが、日が経てば色々と要るようになるだろう。遠慮せず言ってくれ」
「はい……」
「俺の部屋は右隣だ。気兼ねなく来てくれていい。それに、今から館内を案内しようか。あと……」
アレクサンダーはそこで、顎に手を当てて思案する様子を見せる。
「今日はもう遅いから明日になるが、マツリも呼んで、街に出て買い出しだな」
アレクサンダーはそう続けたが、なんとなく楽しげに見えた。
案内が終わると、アレクサンダーはこれからのことを執事に言っておく必要があるからと、ベネディクトと葵を残して出て行ってしまう。
直ぐ戻るとは言われたが、取り残された葵がベネディクトを見ると、彼は表情を硬くし、葵に言った。
「――アオイ、ちょっと話をしておきたい」
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