(2)
アレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフという男を見て、葵はこれが元凶か、と思う。
この国では標準サイズなのかもしれないが、葵と比べると大男としか言えない体躯の青年が、葵の前に片膝を着いて手を差し伸べた。
断る理由もないので肉厚の掌を借りて立ち上がると、眼鏡がいつの間にか外れていることに気付く。
周囲を見渡すと、少し離れた場所に眼鏡と、スタンガンも転がっている。歩み寄ってそれを拾い上げ、眼鏡は顔にかけるがスタンガンは手に持ったままでアレクサンダーを振り返ると、彼は先刻の葵同様視線を彷徨わせてから、壁際にある椅子を一脚持って来た。
それをベッドの前に置くと、葵にベッドに腰かけるように促す。
殺されかけたところを助けられたこともあるので、それには従って腰を下ろすと、アレクサンダーも椅子に座ってから、徐に頭を下げた。
「先刻は失礼した。非礼を働いただけでなく、騎士にあるまじき見苦しいところを……」
「え? あ、いいえ……」
葵こそスタンガンで痺れさせたのだが、理由はどうあれいきなり攻撃をした相手に頭を下げられると、毒気が抜ける。
それでも気を抜かないよう意識しながら、アレクサンダーを観察する。
腰まである長さの豊かな黒髪が真っ先に目に入る、精悍な顔立ちが肉食獣を連想させる男だ。
全身黒ずくめなのだが、金の糸で複雑な刺繍が施された、一目見て高級品と分かる衣類を見るに、かなりの人物なのだろう。
だが髪の次に目に入るのは服ではなく、彼の両目だ。
アレクサンダーの瞳は左右で異なっており、燃えるような深紅の右目に、透き通るような青の左目を持っていた。オッドアイは視力に影響が出ると聞いたことがあるが、不自由しているようには見えない。
そんなことを考えていると、アレクサンダーが小首を傾げて葵を見つめている。正確には、葵が持っているスタンガンに。
「あの……?」
「不躾な質問で済まないが……それは?」
どことなく輝いている瞳に、好奇心で聞いているのが伝わって来たので、葵はスタンガンをアレクサンダーの前に掲げ、数秒間だけ放電させる。と、アレクサンダーが猫のようにびくりと震えて目を丸くした。
「雷を出せる道具なのか?」
「えっと……まあ、そんなもんです」
電気はなさそうな世界だから、曖昧に頷いておくと、アレクサンダーは頬を緩める。
「異世界の技術はすごいな。長年『執行人』をやっているが、俺に膝を着かせたのは君が初めてだ」
「………………」
先刻の剣幕とあまりにも違う表情に、こちらに来て初めてまともな人間に会ったように思う。
だが、アレクサンダーの賛辞に葵は顔を伏せた。
「……僕がもっと鍛えていて強かったら、こんなものに頼ることはなかったんですがね」
自嘲気味に呟くと、意外にもアレクサンダーから否定が返された。
「俺は頼るのが悪いとは思わない。天から与えられる能力が平等ではない以上、差を何かで埋めるのは当然だろう。身を鍛える努力や知識、もしくは道具か、その違いというだけで」
その台詞に顔を上げ、アレクサンダーを見る。同情からではなく、本気で言っている表情が見えた。
色々と恵まれているように見えるが、葵の気持ちに思うところがあるということは、アレクサンダーにも何か苦い経験があるのだろうか。
思わず苦笑して、アレクサンダーに軽く頷く。
それから、アレクサンダーがここにいる経緯を思い出し、顔を引き締めた。
「アレクサンダーさん。高橋さんのことですが……」
言うと、わかっている、という風に掌で制される。
「マツリとは先刻顔を合わせ、その時に君のことを聞いて、急いでここに来たんだ。マツリは丁重に扱われているから、怪我などの心配は無用だ。……少し参っているようにも見えたが、君が余程心配だったのだろう」
アレクサンダーも真剣な顔をし、そしてまた頭を下げる。
「情けない話だが、当事者でありながら、俺に君のことは一切伝えられていなかった。本当に済まない」
「い、いいえ。もうそのことはいいですから、今後のことを話しましょう。……それに、高橋さんに会えますか?」
「勿論だ。君の体調が悪くないなら、今すぐにでも……」
と、アレクサンダーがほっとしたように身を乗り出したところで、葵の腹が派手に鳴った。
食事はきちんと三食用意されていたが、食欲もなかったので死なない程度にしか食べていなかった、と思い出す。
葵が顔を赤くすると、アレクサンダーは目元を和ませて立ち上がった。
「少し待っていてくれ。食事と……あと、着替えも用意させる。マツリにはその後で会いに行くと伝えておこう」
「あ、ありがとうございます。アレクサンダーさん」
言いながら踵を返したアレクサンダーに、今度は葵が頭を下げると、アレクサンダーは歯を見せた。
「アレックスと呼んでくれ。俺も君をアオイと呼ぼう」
一旦部屋を出て行ったアレクサンダーだったが、戻って来た時は手に衣服を持っていた。
「食事は今用意させている。少し時間がかかるから、先にこれを着ていてくれ。サイズは合っていると思うが……」
「は、はい」
アレクサンダーの手から服を受けとるが、それを持ったまま葵は棒立ちになる。そして、アレクサンダーをじっと見た。
「ん?」
視線に気付いたアレクサンダーが、頭部を傾ける。
「……すみません、着替えの間だけ一人にして頂きたいんですが」
「ああ、分かった」
特に気にした様子もなく、アレクサンダーは再度部屋を出て行く。完全に扉が閉まるのを確認してから、葵はスーツの上着を脱ぎ、シャツのボタンに手をかけた。
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