第二章/秘密

(1)


 光に目が眩みながらも、咄嗟に茉莉を抱き寄せたことは覚えている。

 その後は高所から一気に落下したかのような浮遊感を感じ、消え失せていた地面が現れた。膝から下の力が抜け、思わずその場に座り込む。当然、腕の中にいた茉莉も一緒に。

 ゆっくりと目を開けて見えたのは、夢かと思えるほど非現実的な光景だった。

 石造りの広い部屋に、天井一面に彫られた西洋風のレリーフ。葵と茉莉を囲む円と紋様に、更に周囲には外国の宗教関係者のような恰好をした白装束。

「あっ……なんだ、これ」

 腹の底から不快感が沸き上がり、吐きそうな気分になったが、それを押し留めたのは茉莉だ。

「古賀君……」

 葵と同様の光景を認めた茉莉が、青褪めながら葵の名を呼び、その直後に目を閉じて脱力した。

「高橋さん!」

 気絶したのだろうが、意識のない人間を支える力も出ず、というか元々なかったのだが、せめて頭を打たないようにとゆっくりと茉莉を床に寝かせた。

 と、そこで初めて周囲の騒めきが耳に届く。

「猊下、これは……」

「このような例は初めてだが、娘の方がアレクサンダー様の……」

 意味不明な会話だが嫌な予感がしたので、葵はいつでも立ち上がれるように腰を浮かせた。

 ひと際豪華な格好をした禿頭の男が場を離れ、しかし少ししてから戻って来る。そして、他の男に指示を出し始めた。

 その指示をされた男が、葵たちに歩み寄って来る。

「恐れることはない。汝らは天命により導かれ、この世界に喚ばれただけのこと」

「……もっとわかりやすく説明して下さい。どういうつもりですか」

 葵が尖った声を発するが、目の前の男は気にした風でもない。聖職者なのだろうが、葵を迷える子羊とでも思っていそうだ。

 葵の気が立っていると見てか、次は『猊下』と呼ばれた男、というか『老人』と言っても差し支えない年齢の人物が近付いて、柔らかな声を出す。

「どうか怒らず気を静めて下さい。説明は致しますが、まずそちらのご令嬢を保護させて頂きたい。このままではお身体に良くないでしょう」

「説明が先だ。信用出来ない」

 葵が断固とした口調で返すと、『猊下』は目を細めた。

 彼の言う通り、冷えた石の床の上に茉莉をこのまま寝かせておくと、風邪でもひきかねない。それはわかっているが、異常事態下では現状把握が最優先だ、と本能が囁いた。

 攻撃的な、もしくは侮辱的な反応が返されるかと思いきや、『猊下』は笑みを浮かべる。そして葵の前に片膝を着き、片手を胸に当てる仕草をした。

「ここは、神に守護されしルデノーデリア王国。私は神にお仕えする枢機卿、ルキウス・ツィアーノと申します。『執行人』アレクサンダー様の伴侶を求める召喚術により、あなた方は元の世界より喚ばれたのです」

「………………」

 一応説明は理解出来た。理解出来たが、安心も信用も出来なかった。

 横文字名が多すぎて覚えきれなかったが、どうやらアレなんとかという男が結婚するらしい。だが肝心の嫁がいないので、その嫁を遠い世界から喚ぶ術を使ったらしい。そして喚ばれたのが、葵と茉莉であると。いや、喚ばれたのは茉莉だけなのだろうが。

「ええと……なんで僕まで?」

「それは私も分かりません。原因は不明ですが、次元を繋ぐ召喚術に綻びが生まれたようで」

「要するに、失敗したんですね?」

 葵が半分キレながら突っ込むと、『猊下』はそっと目を逸らした。

「では、アレクサンダー様の伴侶の保護を……」

「ちょっ……待て!」

 いつの間にか背後に回っていた最初の男が、茉莉に手を伸ばしていたので、叫ぶ。

 こんな状態で茉莉を任せたら、どういう扱いを受けるのかもわからないのだ。何が出来るかもわからなかったが、咄嗟に茉莉に近づく手を弾こうとした。

 が、強烈な眩暈が起きて姿勢が保てず、横倒しに倒れる。

「猊下、術の効果が現れたようです」

「ご苦労。連れて行きなさい。くれぐれも丁重に扱うように」

「はい」

 頭の上でそんなやり取りが交わされ、説明は時間稼ぎだったか、とようやく悟ったが、遅かった。


 目を覚ますと、豪華な部屋の中に置かれたベッドの上だった。

「高橋さん……!」

 叫びながら飛び起き、しかし真っ先に自分の身体を確認する。

 『召喚』された際に手荷物は失っていたが、葵の身に着けていたものは全て無事だった。眼鏡は勿論、財布やハンカチ、スマホと腕時計に、それと。

「………………」

 周囲を見渡して、誰もいないことを確認し、更にはドッキリで隠しカメラがある可能性を踏まえて天井や壁を目視でチェックする。

 見る者はいないと確信してから、葵はスーツの上着の下、腰の後ろに手をやった。

 そこにベルトで固定しているものをそっと取り、破損していないかを見る。

 使う機会はないと思っていたが、安心感を得る為に持ち歩いていた、護身用のスタンガンだ。勿論殺傷力はない。例えあったとしても、葵の覚悟の問題で使えないだろうが。

 ともあれ、電源を入れて使用出来ることを確認すると、元通りの位置に隠した。唯一の武器とも言えるのだから、これは最終手段にするべき、と考えながら。

 そっとベッドを降りて、床に揃えて置かれていた革靴を履くと、葵は唯一の出入り口へと向かう。開けようとしたが鍵がかかっていたので、声を上げた。

「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」

 すると、見張りがいたらしく直ぐ様扉が開けられ、映画の中でしか見たことのない、鎧を身に着けた騎士が顔を出す。

「起きられましたか。ご気分はどうですか」

 一応といった感じで丁寧に問われたので、葵は愛想笑いをする。

「大丈夫です。それで、その……ちょっとトイレに行きたいのですが」

「承知しました。しばしお待ちを」

 一旦扉が閉められたものの、一分も待たずに開けられる。

「ご案内致します」

「ありがとうございます」

 また愛想笑いをして、葵は頷いた。


 三日後、葵はあてがわれた部屋から出られない状態となった。

 騎士が油断した隙を突いて身を隠し、茉莉の元へ行こうとしたが、葵を探す騎士に見つかって連れ戻された。

 次はカーテンを裂いてロープを作り、窓から脱出しようとしたところを、外を歩いている人間に見つかって止められた。

 次は仮病を使って病院に運ばれる途中で逃走を図ったが、取り押さえられた。

 その間にも正攻法で茉莉に会わせろと繰り返し訴えてみたが、その内に、と言われただけだったので止めた。

 結果、トイレの時しか部屋からは出されず、それも四人の騎士に囲まれた上に腰に縄を巻かれての連行状態となり、格子の嵌った窓の部屋に変更された後は、食事は部屋に運ばれるようになった。

 早くも『最終手段』を使うしかなくなったが、最大限活用するには、スタンガンでひるませた隙に人質を取る方法が一番だろう。となると、それなりの地位にいる人物が来るのを待つしかない。

 だから葵は、スタンガンを使う光景を思い浮かべながら、じっと待った。


 ふと、扉の前が騒がしくなったので、足音が響く革靴は脱ぎ、しかし手に持って扉の傍に行くと、開けるように問答をしている声が微かに聞こえて来る。

 葵はそっと扉の横の壁際に身を屈め、深呼吸した。扉は外側に開くタイプだ。開いた扉の陰に隠れることは出来ない。葵は急いで脱いでいた靴を履いた。

 はっきりとは聞こえないが、短いやり取りの後に扉が開かれ、男達が室内に入って来る。

「おい、移動させたのか?」

「ええ? そんなはずは――」

 訝し気な声に、今しかないと息を止め、一番に見えた黒装束の男に向かって突進する。

「えいっ!!」

 男の脇腹にスタンガンを押し当てると、男が呻いて膝を着く。男が腰に剣を下げているのを認め、それを奪おうと動いたところで、続いて入って来た騎士に取り押さえられた。

「あっ!!」

 武器に見えたのだろう、騎士は真っ先にスタンガンを取り上げて遠くに投げ、更には葵の腕を掴んで捩じり上げると、俯せになった葵の背の中心に膝を乗せる。

 身動きが出来なくなったところで、前髪を掴まれて顔を上げさせられた。

「貴様、アレクサンダー様に――」

 その台詞と、視界に入った白刃に目を瞠る。

 ここで自分の人生が終わりなのか、と思った瞬間、

「止めろ!!」

 制止の声が上がる。

 唯一動く眼球を向けると、漆黒の獅子を連想させる、大男が仁王立ちしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る