(4)


 ルデノーデリア王国における『執行人』は、国王に次ぐ権威を持つ高位者だ。

 王の命があれば、例え相手が枢機卿であろうと処罰する権利を持ち、殺人さえ許される。勿論、『罪人』が腕力のない女子供や老人ばかりとは限らないので、『執行人』にはそれなり以上の能力が求められる。

 戦闘能力だけでなく精神力、高潔さまで備えていて当然と見做されているので、アレクサンダーはベネディクトの顎を砕くのは何とか我慢した。代わりに脳内で殴ったが、これくらいは許されるだろう。

「アレックス、落ち込むなよ。永遠に結婚出来ないって訳じゃないんだから」

「天命であれば一生独身も受け入れるが、そういうのとは違うだろう」

 歩きながら憮然と言い返すと、ベネディクトは神妙な顔をする。

「確かにな。結婚なんてしなくていいやって思ってる時なら何とも思わないけど、その気になってからあっちから遠ざかられたら、なんて言うか……凹むよな」

 ベネディクトの台詞に、アレクサンダーは足を止めて大きな息を吐いた。

 そうか、この重苦しい感覚は『凹む』と言うのか……などと得心している場合ではない。

「ベン。俺はとにかく……中途半端な状態を長引かせるのだけは止して欲しい。任務に支障が出兼ねない」

「ああ、わかった。猊下には俺から色々聞いておくよ」

 胡乱な視線と共に投げられた頼みに、ベネディクトは胸を叩いた。



 基本楽天的なベネディクトでも、彼なりに責任を――もしくは使命感を――感じていたらしく、三日後にはアレクサンダーは再度王城に向かうこととなった。


「召喚されたお嬢さんが、どうもパニックを起こしたらしくてね」

「それは……」

 先導するベネディクトの説明に、それはそうだろう、と言いかけたが、止めた。

「事情説明をして落ち着くまでは、俺との面会は差し控えようという判断を取った、ということか」

 代わりに違うことを言うと、ベネディクトはうんうんと頷いた。察しの良いアレクサンダーに満足げだが、それとは逆にアレクサンダーは内心で己を恥じた。

 最初にベネディクトに話を聞いた時点で、召喚された者のあれこれを案じておきながら、それが完全ではなかった。今の状況は、自身の至らなさが招いた結果と言えなくもない。

 だが、その罪悪感から逆に心が決まった。

 自分の勝手な都合で召喚された女性を、命を捧げる覚悟で支えようと。

 そんなことを考えながらベネディクトの後を歩いていると、賓客用の部屋が並ぶ一角へ到着する。その中の一つの扉の前に、ベネディクトの部下の騎士が二人立っていたので、そこに自分の『妻』がいるのだろうと見当をつけた。

 実際その通りだったらしく、ベネディクトが頷いただけで騎士が脇に引いて扉を開ける。ベネディクトがアレクサンダーに軽く頷いたので、アレクサンダーも首肯を返し、室内に踏み入った。

 窓際に立って外を眺めていた小柄な女性が振り向き、ベネディクトを見て不安な表情をし、続けて扉を潜ったアレクサンダーを見て、びくりを身を震わせる。元々白いのであろう顔色が一層色を無くすのを見て、どうやら第一印象は最悪らしい、とアレクサンダーは内心で嘆息した。

 ベネディクトは騎士二人に廊下で待機するように指示をし、扉を閉めさせる。そして咳払いを一つすると、微笑みながら女性に言葉を投げた。

「ええと、緊張しないで欲しい。取って食ったりはしないから」

 それを聞いて、女性は軽く唇を噛んでベネディクトを睨む。

 当たり前だ、とアレクサンダーは思った。召喚された理由を聞かされているのなら、正に『取って食う』為に喚ばれたようなもので、それも強制的にだ。

「ベン、俺から話をさせてくれ」

「え? あー、うん。わかった」

 なんにせよ、全てアレクサンダーの責任なのだから、ベネディクトに前に立たせる訳にはいかない。

 ベネディクトに後ろに下がるように言い、アレクサンダーは前に進み出た。女性が気圧されたように身動ぎして一点に視線を固定させたので、気付いたアレクサンダーは腰に下げていた剣を鞘ごと外し、ベネディクトに渡す。

 それから改めて女性に近づき、しかし近すぎない位置で足を止めて、その場に片膝を着いて続ける。

「危害を加えるつもりはない。まずは話を聞いてくれないか」

 自分の顔には、ベネディクトのように愛嬌がないことはわかっている。だから自分に出来るのは、誠実さを見せるだけだ。

 その思いから身を屈めたのだが、アレクサンダーの挙動を見て、女性が徐々に表情を変えるのが見えた。緊張から安堵へ。


 女性の名は『タカハシ・マツリ』というらしい。

 『タカハシ』が家名らしいが、聞き慣れない響きにアレクサンダーは思わず小首を傾げた。

 今は膝を着いておらず、ソファセットに向かい合って座っているのだが、ベネディクトだけがアレクサンダーの剣を持って扉の前だ。

「俺はアレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフ。近親者からはアレックスと呼ばれているから、そう呼んでくれ。君のことは『マツリ』と呼んでも?」

「あ、はい……」

 そう頷くマツリは、どこからどうみても普通の女性だ。

 ブラウンの艶やかな髪に、成人しているとは思えない幼い顔立ち。小柄なだけではなく肩幅も狭く、手足も細かった。

 彼女は恐らくこちらで用意されたのであろう、装飾が控え目なドレスを身に着けていて、彫りの深くない顔立ちにはぴったりだ。

 アレクサンダーの顔を覗っているマツリに、こちらから口火を切る。

「既に聞いていることと思われるが、君がここに召喚されたのは、その……俺の伴侶となって貰うためだった」

「は……はい」

 やや口ごもりながら言うと、マツリは微妙な表情で頷く。色々と思うところはあるが、本人を前にして顔に出すのは憚られる、といった感じだ。

 アレクサンダーから見れば無用の配慮なのだが、彼女の立場からすれば無理もない。

 なので、アレクサンダーははっきりと言った。

「強引な手段で喚び寄せたのだから、信用されなくても仕方ないが……俺は君の意思を尊重したいと思っている」

「アレックス!?」

 話を聞いていたベネディクトが声を上げたが、それにはひと睨みをして黙らせた。

「元の世界に戻りたいなら手を尽くすし、この世界に留まる選択をするのなら、君の生活は保障する。勿論これは、俺との結婚が条件ではない」

「………………」

 アレクサンダーがマツリに淡々と告げると、マツリはかなりの時間黙り込み、それから言う。

「アレックスさんの考えはわかりました。……でも、まだ少し混乱しているので、考える時間を頂けますか?」

「ああ。ただ……護衛をつけることだけは許して欲しい。窮屈だろうが、君の身の安全の為だ。監視ではないから、出来得る限り自由に動けるよう手配しておく」

「ありがとうございます」

 アレクサンダーの言葉に深々と頭を下げるマツリに、アレクサンダーは腰を上げた。

「身一つで来たから、色々と要りようだろう。必要なものがあれば、遠慮なく言って欲しい。気分転換になるものでも構わない」

「は、はい」

 顔を上げたマツリの頬に朱が指していたので、ほっとしながら扉へと向かう。ベネディクトから剣を受け取り、それを腰のベルトに差したところで、マツリが立ち上がって声を上げた。

「あの……コガ君は今どこにいるんですか? まだ会えませんか?」

「……何?」

 一瞬聞き取れずに振り返ると、マツリがまた青褪め、しかしやや強めの口調で続ける。

「私と一緒にこの世界に来た、コガ・アオイ君です! 最初の日から引き離されて、それからずっと会わせてもらってません……」

「なんだと……」

 思いもよらない情報に、思わずベネディクトを睨む。と、彼も蒼白になってぶんぶんと首を振った。知らなかったらしい。

「ベン……! どういうことだ!?」

 アレクサンダーが怒鳴るように問うと、ベネディクトは扉を乱暴に開けて廊下を駆けて行く。『コガ・アオイ』とやらを探しに行ったのだろう。

 遠ざかる足音を聞きながら嘆息し、それからマツリに告げる。

「俺の名に誓って、君の友人は必ずここに連れて来る。待っていてくれ」

 きっぱりと宣言すると、アレクサンダーもマツリに背を向けて扉を潜った。


 ベネディクトが必死になってくれたおかげで、コガ・アオイとやらの居場所はすぐに判明した。

 マツリと同様に賓客用の部屋にいるそうだが、何度も脱走を試みて暴れたことから、軟禁状態になっているらしい。牢屋でないだけマシ、というところか。

「全く……なんて有様だ!」

 アレクサンダーがどかどかと足音を立てながら大股で廊下を進むと、ベネディクトは小走りで追って来た。

「すまない、こんなことになってるとは……」

「………………」

 ベネディクトのせいではない、とは言えないが、ベネディクトの責任と言うのも憚られる。

 結果、アレクサンダーは口を閉じてひたすら進み、目的の部屋の前に到着した。やはり騎士二人が立っている。

「通せ」

 アレクサンダーが歯軋りするように告げるが、騎士達は躊躇いを見せる。

「お待ち下さい。この中にいる異世界人は、暴力的かつ反抗的です。危険な未知の術を使うかもしれません……」

「通せ、と言った。聞こえなかったか?」

 アレクサンダーが低い声で、敢えてゆっくりと繰り返すと、途端に騎士二人が青褪めて、ベネディクトに視線を送る。

「ヴォルフ騎士団長……」

「……通してやってくれ」

 嘆息しながらのベネディクトの許可に、騎士二人がおずおずと身を引いた。彼らが動くのを待たず、アレクサンダー自らが扉を開け、中に踏み入る。

 が、マツリがいた部屋よりは狭いというのに、誰もいない。

「おい、移動させたのか?」

「ええ? そんなはずは――」

 戸惑うベネディクトを置き去りにし、アレクサンダーが更に歩を進める。壁際に潜んだ気配に気づいた時には、小柄な影がアレクサンダーに接近していた。

「えいっ!!」

 アレクサンダーが身構えるより早く、掛声と共に脇腹に衝撃が走る。

「ぐ……!?」

 魔法ではないし、刃物でもない。だが、何かを当てられた瞬間全身が強張り、思わずその場に膝を着いた。

「アレックス!!」

 まさかの事態にベネディクトが声を上げ、廊下に留まっていた騎士二人が駆け込んで来る。そして、アレクサンダーに攻撃をした男に突進し、二人掛かりで床に倒して組み伏せた。

「あっ!!」

 手に持っていた何かを弾かれ、更には背中に足を乗せられて身動きが出来なくなった男の髪を、騎士の一人が掴んで顎を上げさせる。

「貴様、アレクサンダー様に――」

「止めろ!!」

 細い喉に剣が当てられる寸前に叫ぶと、騎士の動きが止まった。その隙に立ち上がり、怒号を上げる。

「その異世界人は我が朋友と同じ! 乱暴は許さん!!」

「しかし……」

 アレクサンダーの剣幕に怯えを見せるも、男を解放しようとしない騎士に更に叫ぶ。

「『執行人』アレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフの顔に泥を塗る気か!? ならば我が召喚獣、双頭の蛇アンフィスバエナの餌にしてくれる!!」

 言い終えた途端、アレクサンダーの漆黒の髪が一瞬で緋色に染まり、足元に魔法陣が現れる。腰に下げた剣を抜き、剣先を魔法陣に突き立てようとしたところで、ベネディクトが慌ててアレクサンダーと騎士達の間に割り入った。

「待て待て待て! 城ごと燃やすつもりか!? お前らもそいつを放せ!!」

「………………」

 脅しも入っていたが結構本気だったので、アレクサンダーは動きを止めたままでベネディクトを睨む。ベネディクトはアレクサンダーに背を向け、騎士達に再度告げた。

「お前達は廊下で待ってろ。絶対に入って来るな」

「……は、はい……」

 ベネディクトの声の厳しさに、逆に冷静になれたらしい。騎士達は立ち上がり、微動だにしないアレクサンダーの横を恐々とすり抜けて外に出る。

 アレクサンダーがゆっくりと剣を収め、同時に魔法陣が失せると、ベネディクトが唇を尖らせた。

「アレックス――」

「ベン、お前も外に出ていろ」

 アレクサンダーが端的に告げると、ベネディクトはまた息を吐き、しかし肩を竦めながら部屋を出て行った。

 髪の色が漆黒に戻るのを待ち、それから身を起こそうとしている男の前に膝を着く。

「すまない。君がコガ・アオイだな? マツリから話を聞いた」

 言って掌を差し出すと、逡巡の後に華奢な手が預けられた。その細さに、これが男の手かと驚いていると、コガ・アオイが顔を上げる。

 アレクサンダーを真っ直ぐに見つめる、深淵のような黒瞳が見えた。



■第一章/召喚:終

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