(2)
キン、と鉄と鉄が打ち合う心地よい音が響き渡り、そして消えた。
「え? 今何て?」
ベネディクトが剣を持つ手を停止させ、青い瞳を丸くして問うて来た。なので、アレクサンダーは剣先を引いて腰撓めに構え直すと、踏ん張っている踵に力を込めてから、一気に突きを放った。
「たわっ!」
ベネディクトが咄嗟に剣の腹を盾代わりにしたが、突きの威力に負けて吹っ飛ぶ。悲鳴を上げて背中から倒れ込んだベネディクトに、アレクサンダーは言い直した。
「家庭を持つのも悪くないかもしれない、と思った」
「ど、ど、ど、どしたのいきなり!? どういう心境の変化が!! 何かの病気でも!?」
「………………」
そこそこのダメージを受けたはずなのだが、それをものともせずに起き上がり、更には剣を適当に放り投げてアレクサンダーに詰め寄る親戚に、アレクサンダーは半眼になった。あんまりな言いように、少しばかり傷ついたのもある。
とまれ、アレクサンダーも剣をそこらの地面に刺して手を放し、腕を組んだ。
二人がいる場所はアレクサンダーの館の庭で、天気も良いから遊び半分の修練をしようとベネディクトに誘われたので、気楽な運動着に着替えての打ち合いをしていたところだった。
どこから話そうと数秒だけ迷ってから、ベネディクトが気にしている『心境の変化』から話すべきだと判断し、アレクサンダーは口を開いた。
「昨晩、お前の家を辞した後、悪漢に襲われたのだが」
「ええっ!?」
「心配するな、俺は一切手傷を負ってない。で、その悪漢どもの腕を切り落としてから帰宅したところ……」
「ああ、嫁が欲しいな……と思ったの?」
何故か青褪めているベネディクトに、アレクサンダーは頷く。
「そうなるな」
そう返したアレクサンダーに、ベネディクトは頭を抱えて唸ってから、数秒後に顔を上げた。
「うん、アレックス。君が口下手なのは今に始まったことじゃない。もう少し突っ込んで聞かせてくれないか。それと、哀れな暴漢の件は、俺が上に報告しておく」
「ああ」
どんと来い――とまでは言わなかったが、鷹揚に頷くアレクサンダーに、ベネディクトは大きな息を吐く。
「君の説明だと、『悪漢の腕を切って嫁が欲しいと思った』しかないから、何と言うか……君が血に飢えた異常者のように思われる」
「言われてみればそうかもな」
「言われなくとも自覚して欲しいんだけど。まあともかく、腕を切って帰宅して、何かを感じたから嫁が欲しいと思ったんだろ? その『何かを感じた』部分を知りたい」
「ああ……」
ようやく理解して、アレクサンダーは指先で顎を撫でた。ベネディクトの言い分はわかるのだが、アレクサンダーからすると『現実に何が起きたかだけに絞って伝えた』だけなので、目に見えない部分を知りたがるとは思わなかった。
晴天の下で動き回ったので、こめかみに一筋汗が流れて来る。それを手の甲で拭って、更にはその汗で濡れた部分をシャツで拭いてから、項で縛って纏めていた髪を解いた。
軽く首を振ると、腰まである波打つ黒髪が風に流れ、心地よい空気が通る。それにほっと息を吐いてから、アレクサンダーは言葉を選びつつ言った。
「普段から『罪人』を処刑する任務に就いているから、悪漢の腕や足の一本や二本切り落としたところで、今更何かを思うことはない。だが、帰宅して血の臭いを落とす為に湯浴みをしたところ……ふと、お前の家を訪れて、オリヴィアに出迎えられた時のことを思い出した」
「オリヴィアはやらないよ」
「誰が欲しいと言った」
口を挟む愛妻家・ベネディクトに即座に真顔で返し、そして続ける。
「殺伐とした任務が終わった後、ああいう風に誰かに出迎えられたらどんな感じだろうと、少し思ってな」
「アレックス……」
神妙な面落ちで聞いていたベネディクトが、僅かに碧眼を潤ませて見つめて来る。なんだか湿っぽい雰囲気になったので、打ち合いを再開しようと思ったのだが、ベネディクトが突然アレクサンダーに歩み寄り、更には手を握り締めて来たので、アレクサンダーは両目を瞬かせた。
そして、ベネディクトからそろそろと目を逸らしつつ、汗を流しながら言う。
「……すまない。俺は偏見はないつもりだが、妻帯者の上に親戚の男とは……」
「いや、迫ってるんじゃないから。感動の現れだから」
途端に半眼になったベネディクトに、じゃあ何だと視線で問うと、ベネディクトは手を放して胸の前で拳を握った。
「そういうことなら、気が変わらない内に俺が手配しよう! 君にぴったりのお嫁さんを連れて来るよ!!」
「あ?」
興奮気味のベネディクトに呆けた声を上げてしまったが、見合いのセッティングをしてくれるということだろう、とアレクサンダーは判断した。
「そうか。では頼む」
「任せてくれ!」
それが間違いの元だった。
ベネディクトが自宅へ向かって爆走すると、アレクサンダーだけが取り残される。
それに嘆息して館に入り、汗を流して気楽な服に着替えるとバルコニーに椅子を置いて、濡れた髪を陽に晒して乾かすついでに読書に勤しんだ。
執事が紅茶とクッキーを運んで来、それに手を伸ばしつつ休暇を堪能していると。
「坊ちゃま。城より召喚状が届いております」
「何?」
突然の呼び出しに身を起こし、思わず訝し気な顔をしてしまった。
昨日任務を終えたばかりで、連日の『執行』はそうそうあるものではない。逆に言うと、間のない案件は余程のことがあった、となる。
「わかった。支度を」
「かしこまりました」
顔を引き締めて立ち上がったアレクサンダーに、執事が頭を下げた。
執行服ではなく、黒地に金糸で縁取りされた登城用の礼服を身に着けて馬に跨り、一定以上の地位にいなければ通行出来ない通用門を駆けると、ほどなく王城に到着する。
門番に馬を預けて、両開きの荘厳な扉の前にいる全身甲冑の騎士の前で、アレクサンダーは声を上げた。
「『執行人』アレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフである。王の命により馳せ参じた。道を開けよ」
名乗ると、封印のように扉の前に作られていた長槍の交差が解かれ、扉を開けられる。
更にここから謁見の間へ向かって陛下との面談を、となるのだが、エントランスホールに待ち構えていたベネディクトを見て、アレクサンダーは目を丸くした。
「どうした?」
「いや、言っただろ。君のお嫁さんを連れて来るって! 猊下もお待ちだ!」
「猊下?」
何故見合いに聖職者が? と思ったが、先導するように歩いて行くベネディクトに続くしかない。
「おい。まさかとは思うが、見合いをすっ飛ばして結婚式をするとかじゃないだろうな?」
「なんでだよ」
顔色を変えたアレクサンダーの問いに、流石に否定が入ったので安堵する。が、ベネディクトが向かう先には聖堂があったと思い出し、アレクサンダーの表情に不安が広がる。
「ベン、先に教えてくれ。一体何をするつもりだ」
直感から何かとんでもないことが待ち受けていると確信し、足を速めてベネディクトの前に回り込み、通せんぼをするようにして問う。と、ベネディクトは小首を傾げた。
そして、栗鼠を連想させるあどけない表情で、恐ろしい台詞を吐いた。
「何って、君の伴侶を召喚するんだよ」
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