第一章/召喚

(1)


「刑を執行する」


 アレクサンダーが薄い唇からそれを発しただけで、『罪人』は炭と化した。

 『罪人』の周囲の地面も広範囲に渡って燃え上がり、草花を焼きながら黒煙を立ち昇らせる。十分な距離を取っていたというのに、熱風がアレクサンダーの髪を激しく嬲った。

 しばらくの間、アレクサンダーはそのまま佇み、前方をじっと見守る。『罪人』が強力な魔法士だった為、遠慮は無用とばかりに力を奮ったが、自然破壊をしたかった訳ではない。

 遠くに見える木々まで延焼は起きていないと確信してから、アレクサンダーはふ、と息を吐き、地面に突き立てていた剣先を抜いた。

「ルタザール、ヘルミルダ。ご苦労」

 アレクサンダーと同じく、事の成り行きをじっと見守っていた『相棒』に告げると、彼らは一陣の風だけを残して消え失せ、その風が熱を持っていたアレクサンダーの髪を冷やす。

 その心地良さに目を閉じて深呼吸をしてから、剣を鞘に納めた。そして踵を返し、背後の森へと踏み入る。少し歩いたところに、同行者の騎士が待っているからだ。


「アレックス!」

 森を抜けた先の開けた場所で待っていた、鎧とマントを身に纏った騎士が、アレクサンダーを見るなり駆け寄って来る。

「どうだった?」

「見ての通りだ。十秒で終わった」

「いや、見ただけで十秒で終わったかどうかはわからないよ?」

 騎士でもありアレクサンダーの遠縁でもあるベネディクト・ヴォルフから、間髪入れずに挟まれたツッコミに思わず渋面になってしまったが、とかく恐れられがちな『執行人』という自分の立場を鑑みると、彼のような存在は貴重だ。

 なので、アレクサンダーは風に揺れる髪を掻くだけに留めた。


 アレクサンダー=ダクマルガ・ヴォルフは二十七の誕生日を迎えたばかりの『執行人』だ。

 自他共に認められた偉丈夫だった父親譲りの整った精悍な顔立ち、騎士家系の血を如何なく発揮した広い肩幅と恵まれた身長、アレクサンダー自身の努力によって鍛え上げられた肉体は『鋼』に例えられることも多い。

 加えて、腰まである波打つ黒髪と漆黒のマントは、相対した者に死神を連想させる。実際、アレクサンダーと対峙するのは『罪人』ばかりなので、あながち間違いでもないのだが。

 とまれ、待たせていた馬二頭にベネディクトと共にそれぞれ跨ると、アレクサンダーはゆっくりと馬を歩かせた。

 アレクサンダーが身に着けているものは、鎧を装着しているベネディクトよりも軽装になるのだが、黒のマントに黒のロングジャケット、黒のベストに黒のハイネック、黒のズボンに黒のベルト、極めつけに黒のロングブーツ、と何もかもが黒で統一された執行人専用の衣服は、季節によっては拷問服となる。

 『仕事』は終わって後は帰るだけなのだから、少しくらいは木陰の涼しさを堪能しても罪にはなるまい。

 鼻腔をくすぐる緑の香りに思わず目を細めると、並んで馬を歩かせていたベネディクトが小首を傾げた。アレクサンダーの顔を覗っていたらしいが。

「大丈夫かい?」

「何がだ」

「今すごく、不快そうな顔をしてたから」

「………………」

 アレクサンダーは絶句し、指先で自身の眉間を揉んだ。



 森を出て二時間ほど馬を走らせると、ほどなくルデノーデリア王国の外壁が見えて来る。中央の城を三重の壁が取り囲んだ、国そのものが堅牢な檻となっているような造りだ。

 門番に止められて誰何されるも、ベネディクトが名を言うだけであっさりと通される。門番が『執行人』アレクサンダーの顔を知っているからでもあるが。 

 ともあれ、ベネディクトは王城へ任務達成の報告、アレクサンダーは自宅への直帰となるので、門を潜った先の広場で別れることになった。

「頼むぞ」

「ああ。じゃあ、後で」

 アレクサンダーが念を押すと、金髪に陽を受けて輝かせながら、城へ通じる別の門へとベネディクトは去って行った。その背をしばし見つめて、小さな点となった辺りで馬を方向転換させ、アレクサンダーも自宅のある方向へと駆けた。


 時と場合によっては城に数日留まることもあるので、王城にほど近い場所にもアレクサンダーが寝泊まりする為の部屋がある。

 が、任務前や任務後には親から管理を任された館に帰り、英気を養うのがアレクサンダーの日常だった。

「坊ちゃま、お帰りなさいませ」

 ベネディクトとは別に、早馬でアレクサンダーの帰還を先立って報せていたので、館の前には既に執事と数名のメイドが待ち構えている。

「変わったことは」

「ございません」

 アレクサンダーが馬から降りながら問うと、いつもと変わりない返答が返される。

 既に用意されていた湯浴みをつつがなく終えると、アレクサンダーはグレーのシャツと黒のズボンを身に着け、長い髪も結ってから館を出た。

 馬は使わず、徒歩で。


 一時間ほど歩いて石造りの住宅街に到着すると、ベネディクトの住む一軒家が見えて来たので、慣れた動作で獅子の意匠が施されたノッカーで扉を叩く。

 と、そう時間をかけずに扉が開き、赤毛の女性が姿を見せた。

「アレックス、ようこそ!」

「邪魔をする」

「邪魔だったら呼ばないわ」

 アレクサンダーが身を屈め、苦笑をする女性の頬に軽くキスをすると、女性からもキスを返される。

「ベンはまだなのよ。少し待っててくれる?」

「早く来すぎたな」

 居間に通されると椅子を勧められ、持たされたワイングラスに琥珀色の液体を注がれたが、主人のベネディクトの姿はない。

 ベネディクトは報告があるから、帰宅がアレクサンダーよりも遅れることを見越し、時間をかけて訪問したつもりだったが、まだ時間潰しが足りなかったらしい。

 アレクサンダーを迎えた女性はベネディクトの妻・オリヴィアで、当然この家は二人の愛の巣だ。血の繋がりがあるとあって、アレクサンダーとベネディクトは組んで仕事をすることが多く、いつからか仕事が終わると、ベネディクト宅でオリヴィアの手料理を振舞われるようになった。

 アレクサンダーとしては、命が危険な場合もある任務の後なのだから、帰還を祝う席の邪魔者になるのではないかと問うたことがあったが、独り身のアレクサンダーを慮ってのことだと返されたことがある。

 ベネディクトは楽観的な気質で鈍いこともままあるが、基本気の善い男だ。血生臭い仕事をアレクサンダー一人が負っていることに、彼なりに杞憂を抱いているのだとその時知った。

 ふと気付くと、目の前につまみの皿が置かれているので顔を上げると、オリヴィアが目を細める。

「お腹空いてるでしょう? メインはベンが帰って来てからだけど、それまではそれで我慢して」

「いや、別にそこまで減っては……」

 と言った途端に腹が鳴ったので、アレクサンダーは渋面になり、オリヴィアが噴き出した。


 一時間もしない内にベネディクトも帰り、三人で食卓を囲んだ。

 アレクサンダーの収入なら豪華な食事を毎日摂ることも出来るし、その気になれば金で雇った女と夜を過ごすことも出来る。

 だが、アレクサンダーにとってのベネディクトとオリヴィアとの食事は、他では得られない安らぎの時間だ。

「アレックス、君ももう二十七だ。そろそろ結婚を考えないか?」

 身を固めることを、しつこく勧められなければ。

 また始まった、と嘆息し、ワインを一口含んでから返す。

「俺にはルタザールとヘルミルダがいる。伴侶は必要ない」

「相棒は相棒、伴侶は伴侶だ。そもそも、召喚獣と主の間で子供は作れないだろう」

 ベネディクトがワインによって頬を染めながら発した台詞に、オリヴィアがフォローを入れる。

「彼らがアレックスにとって、とても大切な存在だっていうのはわかってる。けれど、あなたには相棒とは別に、あなたを愛してくれる人が必要だと思う」

「いや、俺には……」

「私もベンもあなたを愛しているけれど、愛を誓った相手からのものとは違うのよ」

 逃げ道を塞がれて、アレクサンダーは口を閉じた。

 ベネディクトとオリヴィアの言いたいことは、理解している。が、アレクサンダーにも言い分はあるし、それを口にすればこの話は終わるだろう。

 しかしそれを言ってしまうと、愛する親戚を更に心配させるだけだともわかっている。

 なので、アレクサンダーは出来る限り真摯な表情を作って、告げた。

「確かにその通りだ。前向きに考えておく」

「嘘だな」

「アレックス。あなたの良いところと悪いところは、嘘が下手なところよ」

「………………」

 即座に二人に切り捨てられ、アレクサンダーは肩を落として顔を伏せた。



 馬車で帰るように勧められたが、酔い醒ましも兼ねて歩いて帰ると言い、二人に見送られながら帰路に着いた。

 住宅街を出て街中も通り抜けると、農園や畑が広がっている場所へと差し掛かる。夜目が効くので、舗装された道でなくとも難なく歩いていると、少し先にランプの灯りが見えた。

 深夜となると警戒すべきことだが、そのまま歩いて行くと、数人の男が待ち構えていると分かる。

「兄ちゃん、止まってもらおうか」

「怪我をしたくなければ、有り金を全部渡せ」

 定番の台詞を口々に吐かれ、アレクサンダーは大きな息を吐いた。『執行人』であれば国の中での帯剣も認めらているが、ベネディクトの家に無粋な空気を持ち込みたくなかったので、今のアレクサンダーは手ぶらだ。

 そして、この手の輩には何を言っても無駄だとわかっている。アレクサンダーは右手の人差し指と中指を揃えて前方に突き出し、一言だけ言った。

「ヘルミルダ。切り裂け」

 途端、アレクサンダーの後方から風が生まれると、アレクサンダーの結っていた髪が解けて銀色へと変化する。風は突風となると盗賊の方へと流れて行ったが、同時に鮮血が舞った。

「……えっ?」

 呆けた声は、盗賊のものだ。

 彼らはアレクサンダーの姿を呆然と見つめ、それから下方へ視線を向ける。そこには、肘の辺りで切断された腕があった。盗賊の人数分。

「うわああっ!」

「ぎゃああああ!!」

 複数の悲鳴が上がる中、中断していた行動を再開し、アレクサンダーはまた自宅へ向かって歩く。その時には既に、髪は闇に溶ける色に戻っていた。


 アレクサンダーの帰宅を待つ灯りが見えたところで、アレクサンダーはまた嘆息した。


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