中編
私と華が友達になったのは、高校に入学して直ぐのことだった。
入学して1週間も経つと、スクールカーストや仲良しグループができ始める。私は華達のグループに入ることになったのだ。
この頃は、華とはまだ普通の友達の1人だったのだが、距離が縮まったのは夏休み前の7月だった。私が図書室に忘れたノートを取りに戻った時、彼女がそのノートを読んでいたのだ。
「あっ……」
「……? もしかして、これつっきーの?」
ドアを開けた私と華の目が合った。華は持っていたノートを閉じると、それを軽く掲げた。
私は違うと否定することもできたかもしれないが、顔や態度でバレバレだっただろう。小走りに華へと近づいた。
「ごめん。表紙に名前書いてなかったし、中を見れば誰のか分かるかと思って」
「……拾ってくれてありがとう。それ私のだから返して」
私はひったくるようにしてノートを受け取る。そして「このノートに書かれていたことは忘れて、あと誰にも言わないでね」と念を押して、図書室を出ていった。
廊下を駆け抜け、昇降口の前まで来たところで疲れて、ノートを抱きしめながら息を整える。廊下には冷房がなく、一気に汗が噴き出してきた。
ノートの内容は、私が書いている小説のプロットや設定集だった。
友達にも家族にも、私が小説をネットに上げていることは内緒にしている。冷やかされたりするのが恥ずかしかったし、自分の作品にまだ自信が持てなかったからだ。
私は大きく溜息を吐いた。ずっと隠れて執筆する予定だったのに、やってしまったなと思った。
でも、バレたのが華でまだ良かったのかもしれない。彼女は他人の秘密をむやみに話すタイプではないし、悪気があってノートを見たわけではないことも分かる。彼女が説明していたように、持ち主を探そうとしてノートを開けてしまっただけなのだろう。
「……念は押しておいたし、大丈夫……よね?」
窓から図書室の方を見上げてみると、窓際に座っていた華の姿が見えた。彼女は何かの本を読んでいて、さっきのやり取りを特に気にしいるようには見えなかった。
私もあまり考えすぎないようにしようと、ノートをカバンにしまって学校を出た。
――だが、その次の日の放課後。
「つっきー。つっきーの小説読んだよ」
華が笑顔で私にそう話しかけてきた。ノートには小説のタイトルも書いてあったし、探すのは難しくない。読まれることは想定していた。
でも教室でそんな報告をされるとは、思ってもみなかった。
「ちょっと……何でこんな所で言うのよ。秘密にしてって言ったでしょ?」
私は慌てて周りを見渡すが、今は日誌を書くために残っている私達しか居ない。そのタイミングまで待ってくれていたみたいだった。
「大丈夫だよ、つっきー。もちろん誰にも言ってないし、言うつもりもないから。つっきーとの友情を壊したくないし、創作活動がバレるのが恥ずかしいって気持ちも分かるしね」
「……そういう心理が分かるなら、触れずに黙っておくって選択肢はなかったの?」
私としてはこのまま干渉されず、華とは普通の友達として付き合っていきたいと思っていた。友達とはいえ、他人の心に深入りするのは良くない。嫌がっていることには、見て見ぬふりをすることも優しさだと思うのだ。
「それも考えたけどさ。でもつっきー、私が小説を読んでるかもしれないって、察してはいたでしょう? 読んでるのに無反応だったら、それはそれで嫌じゃない?」
でも華は、私の心に一歩踏み入ろうとする。それはそれで、彼女なりの優しさだった。
「……それは、そうかも知れないけど」
実際、私の小説はコメントどころかpvもほとんどないのだ。反応に飢えているのは否定できなかった。
恥ずかしい気持ちはまだ強いが、それよりも感想が欲しい気持ちに、私も心が傾き始めていた。
「……それで、どこまで読んだの?」
「全部読んだよ。2万文字くらいだったしね」
私の気持ちを華も察しているのだろう。いや、朝からずっと話したかったのかもしれない。華はやや早口で語り始めた。
「私はつっきーの小説面白いと思ったよ。読者を不快にさせないように綺麗な表現を選んでるって感じられたし、主人公に感情輸入しやすくて応援したくなったし。それに……やっぱりラストかな、『世界中の人を敵に回してもお前を守ってみせる』って――」
華は感情を込めて、台詞を言い始める。
「待って……ごめん、嬉しいけど……待って」
興奮する華を見て、恥ずかしさが勝った。私は手の平を前に出し、顔を赤くして華から視線を逸らす。そんな私を見て、華は楽しそうに笑っていた。
「まだまだあるよ」
華は身を乗り出して追撃しようとする。
「いい加減にしなさい!」
私は華の額にチョップを食らわせた。華は「ごめん、ごめん」と額を抑えながら身を引いた。
チョップはかなり弱く打ったし、私も本気で怒っているわけではない。ほとんどが照れ隠しだった。これだけ自分の作品について熱く語ってもらったのは初めてで、上手く気持ちを表せなかったのだ。
華もそれぐらいは分かっていると思う。でも彼女は額を抑えたまま、何かを考えるように黙ってしまう。さっきから、というよりも、私はいつも彼女のペースに流されてしまうため、態度が変わると不安になった。
「……華?」
私が華の顔を覗き込むと、彼女はハッとした様子で顔を上げた。
「どうしたの? チョップを食らわせたのは悪かったけど、怒ってるわけじゃないよ」
「……うん。大丈夫。ごめんね。さっきは褒め方が悪かったけど、つっきーの小説が好きなのは本当だよ。他人の秘密を茶化すのは良くないって分かってるけど、つい調子に乗っちゃって……本当にごめん」
華は軽く咳払いをすると、真面目な顔つきで私を見た。
「つっきー。つっきーには私の秘密も教えてあげる。私だけ一方的に知っているのは、あまり気分が良くないでしょ? 私がつっきーの秘密をうっかりバラしちゃた……なんてことがあったら、私の秘密をバラしてもいいから」
華が嘘を付いているようには見えない。部活の喧騒も蝉の鳴き声も遠のき、妙な緊張感があった。
「いや、そこまでしなくても」
私は止めようとしたが、華は首を横に振る。
「つっきーには知っていてほしいんだ」
有無を言わさないような、口調と目だった。私は何も言えず、彼女の言葉を待つしかなかった。
「……つっきー。私は実はね、その……いわゆる“レズ”なんだ」
「……えっと……?」
予想もしていなかった告白に、どう答えれば良いのか分からない。
華がチラチラと不安げに、私の様子を窺ってくる。反応のなさに痺れを切らしたのか、「何か言って」と、困ったように言った。
「ああ、ごめん。正直、そうなんだぐらいにしか思わなかったから……どう答えればいいのか悩んでて……私に恋愛感情があるとか?」
「そうではないけど……レズって聞いても何とも思わない?」
「うん」
華はしばらくジッと私のこと見ていたが、嘘を付いていないと納得したのだろう。
「そっか……なら、良かった」
華は安心したように目を閉じ、息を大きく吐いた。彼女からしたら結構勇気のいる告白のようだった。
私はそうなんだぐらいにしか思わなかったが、確かに同性愛者だと言われれば、その人を見る目も変わってくる。簡単に打ち明けられることではないだろう。実際に、私は華が同性愛者だと今まで知らなかった。
――それにしても、何で彼女はいきなりそんな秘密を私に話してくれたのだろうか?
私に対して負い目があったにしても、私の制止を振り切ってまで言わなければいけないことだったようにも思えなかった。
「ねぇ、華。何で私にそんな大事なこと話してくれたの? できれば言いたくはないことだったんでしょ?」
私はどうしても気になって訊いてみた。秘密を打ち明けてもらった後でこんなことを訊くのは卑怯な気もするが、華は話してくれた。
「それはだって、もし私のせいでつっきーが小説を書くのを止める、何て言ったら嫌だったから。それに……」
華は一呼吸置く。また私の反応をチラチラと窺いながら言った。
「秘密を共有する友達って、ちょっとドキドキしない?」
「…………分かる」
「でっしょう!」
私の返答を聞いて、まるで同士を見つけた、みたいな顔をして華は笑った。
秘密を共有する友達――というよりも、彼女は本当の自分を知ってくれる、そんな友達を欲していたようだった。
その気持ちは私にも分かる。私だって知り合いに小説を読まれるのは嫌だが、それでも誰かに読んでもらいたくてネットに上げている。それと同じような心理なのだと思う。
日常でそういった友達を作るのは難しい。それこそ、他人の弱みを握るくらいの保険やきっかけがなければ、打ち明けられなかったのだろう。
秘密を知って他人の心に踏み込むのも、打ち明けて他人に自分の本心を晒すのも勇気がいる。
そんな友達も、華となら悪くないような気がした。
「つっきー。私はこれからもつっきーの小説のファンとして、それと友達として付き合っていきたいから……その、これからも仲良くしてくれる?」
照れ臭そうな笑顔をして、華は手を差し出す。私もその手を取った。
「うん。よろしくね。華」
本当の意味での私達の出会いは、こんな感じだった。
他の子とは違う『特別』な存在。
夏が過ぎ、秋が過ぎ――日を追うごとに、私の中で『特別』の意味が少しずつ変化していった。
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