日常と短い冒険
白黒灰色
本編
私は子供の頃、電車が好きだった。
窓の外の景色が、どんどん後ろに流れていく。その速さにワクワクしたし、デパートとか動物園とか、好きな場所へ連れて行ってくれる。
電車があればどこにでも行けるのだと、私はそう思っていた。
小学3年生の時、私は電車に乗ってどこまで行けるか『冒険』したことがあった。改札を通らなければお金を払う必要がないからと、隣の駅までの切符を買い、適当に電車を乗り換えていったのだ。
当然迷子になり、そもそも帰り時間のことを考慮していなかったので、何とか隣の駅まで戻ってこられたのが、夜の9時過ぎ。両親にこっぴどく怒られてしまったが、今となってはいい思い出だった。
そんな私も高校生になり、少し遠くの高校へ進学することになった。
その高校へ進学したのは主に学力的な都合なのだが、電車通学をしてみたかったからでもある。
小学校は徒歩、中学は自転車――そして高校では、電車に乗って更に遠くの学校に通う。
高校のセーラー服に袖を通し、定期券を手にすると、何となく自分が成長したような気がした。
高1の夏休みが終わり、私は今日も電車に乗って高校へと向かう。
9月は一応、秋のはずだが、まだまだ暑い。電車の冷房を浴びるとほっとする。運よく空いている席も見つけ、私は迷わずそこに座った。
窓の外の景色が、どんどん後ろに流れていく。昔はその光景にワクワクしていたが、今の私はもうそこまで純粋でもない。流石に半年も経つと、学校生活も電車通学も、すっかり日常になっていた。
毎日毎日、同じことの繰り返し。代わり映えのしない景色が、それを象徴しているように思える。
人生とはそういうものだといってしまえば、そうかもしれない。別に、今の生活に大きな不満があるわけでもない。
でも、何となく退屈だった。
――せっかく電車に乗ってるんだし、また『冒険』に出てみようかな。
退屈だったから、こんなことを考えてしまったのだと思う。
ドア近くの席に座れたのは運が良かった。私は支柱にもたれかかり、電車の揺れに身を任せて目を閉じた。
このまま寝過ごしたふりをして、学校をさぼる。
1日……いや、数時間。
こんなことをして何かが変わるとは思えないが、少しくらい、いつもの日常からはみ出してみたかった。中二病とまでいかなくても、思春期に浸っている自覚はある。あの時とは、違うワクワクを感じていた。
視界を閉じると、周りの乗客や外の景色が消え、電車の音や揺れをより強く感じる。
……それにしても、電車の揺れって、どうしてこうも眠気を誘って来るのだろうか?
視界に次いで、他の感覚も闇の中に消えていく。まるで、自分の意識が知らないどこかへ運ばれていくみたいだった。
「神崎さん。神崎さん……神崎さん?」
誰かが私の名前を呼んでいる。その声で私は目を覚ました。
電車の音や揺れ、周りの景色が戻ってくる。私の目の前には、長い黒髪に学校の制服と思われるブレザーを着た女の子が立っていた。
私の名前を知っているということは、知り合いだと思うのだが、他校の知り合いなんていただろうか? 寝起きで頭がはっきりしないのか、直ぐにピンとこなかった。こっそりと太ももをつねってみるが、痛覚はある。夢でもないようだった。
「…………」
私は彼女の顔をじっと見つめる。ぼやけていた視界が段々と鮮明になっていく。よく見ると、可愛らしい顔立ちをした美人さんだった。
「あの……神崎さん?」
無言でじっと見つめてくる私を不審に思ったのか、彼女は不安げな声を出す。また何か言おうとしたので、私は『待った』と手の平を前に出した。
過去の記憶と目の前の顔がようやく一致する。
――そう、彼女は小中と一緒だった……。
「高島さん」
私がその名を呼ぶと、高島さんはほっと胸を撫で下ろした。
「よかった。やっぱり神崎さんだよね。何も言わずに不思議そうにこっちを見てるから、人違いかと思ったよ」
「ごめん。ごめん。寝起きで寝ぼけてたから、直ぐに反応できなくて……」
「……私のこと、忘れてたわけじゃないよね?」
高島さんは苦笑いを浮かべる。どうやら人違いよりも、そちらの方を気にしていたらしい。直ぐに思い出せなくて悪い気がした。
「もちろん、覚えてたよ。ただ私も、高島さんにこんなところで会うなんて思ってなかったし、人違いかなって思っちゃって……」
私も誤魔化すように苦笑いをするが、言ったことは本当だった。高島さんとは小中と一緒でクラスも何度か同じになったが、友達のグループは違ったし、彼女がどこの高校に進学したのか知らなかったのだ。もちろん、この半年間電車で見かけることもなかった。
「……それもそうだね。私も最初、神崎さんかどうか、ちょっと自信なかったし」
「そうでしょう? それよりも起こしてくれてありがとね。危うく、不良の道に片足を突っ込むところだったよ」
外の景色を見てみると、私が降りる駅までまだ少し余裕がある。大した時間寝ていたわけではないようだった。
「不良の道……?」
「それはこっちの話だから気にしないで。それよりも隣、座る?」
私は隣の席をポンポンと叩く。私の寝る前には知らないお兄さんが居たはずだが、どこかで降りたのか今は居なくなっていた。
「う、うん。ありがとう……失礼します」
高島さんは軽く頭を下げると、私の隣に座った。
「何で敬語?」
「……? えっと……なんでだろう?」
高島さんは小首を傾げながら、困ったように笑う。半年ぶりの思わぬ再開に、若干距離感が迷子になっていた。
でも、嫌な感じはしなかった。彼女の笑顔がそうさせているのだろう。何だか新鮮で、私も彼女に釣られて笑った。
お互いの学校のことや、同じ学校に進学した中学時代のクラスメイトのこと。
私は高島さんとそんな話をした。迷子だった距離感を埋めていく。こうして隣同士で話をしていると、中学時代に戻ったような気がした。
高島さんとは中学の時に一度だけ、席が隣になったことがある。
その時の高島さんの印象は、大人しくて真面目な笑顔の可愛い女の子だった。
裁縫や料理も得意で女の子っぽい。がさつで面倒臭がりな私とは正反対で、私は彼女のそんなところに密かに憧れていた。
調理実習で失敗した時、さりげなく助けてくれたこと。
教科書を忘れた時、机をくっ付けて見せてくれたこと。
授業中に寝てしまった私を起こしてくれて、板書できなかった部分のノートも写させてくれたこと。
そんなことばかり思い出す。高島さんは本当に良い子だった。
……それに引きかえ、私はあの頃から何も変わっていない。
高島さんは私のお姉さんとかじゃないんだから、もっとしっかりしなくては。私は心の中でこっそりと反省した。
電車が3駅通り過ぎ、私が降りる1つ前の駅で止まった。私はその時、ふと気になったことを訊いてみた。
「そういえば、高島さんとは半年ぶりだよね。その間電車の中で見かけることなかったし、いつもは違う時間の電車に乗ってるの?」
半年間同じ電車に乗っていたのに気が付かなかったとしたら、何だか気まずい。そんなことを思いながら高島さんの様子を窺っていると、彼女はきょとんとした顔で答えた。
「『いつもは違う時間の電車に乗ってる』って、それはそうだよ。だって、もう10時だし」
それもそうか……いや、おかしいな。
一瞬納得しかけたが、妙な数字が聞こえて、私は固まる。高島さんは気付かずに続けた。
「私は今日、家の用事があって遅刻しているんだけど、神崎さんもそういう――」
「ごめん。ちょっと待って」
『遅刻』という言葉まで聞こえてきて、私はまた『待った』をかける。自分でも顔が青ざめていくのが分かった。
「……今10時なの?」
「……? うん」
高島さんは不思議そうな顔で頷くと、スマホを取り出して画面を見せてくれた。
――10時13分。
私も自分のスマホで確認すると、同じ時間だった。
いつも7時45分には駅に着いているはずなのに、どうなっている?
いや、何が起きているかは理解できる。ただ認めたくなかった。
動き出した電車の揺れが、私の心を煽る。気まずい沈黙が流れた。
だが高島さんも事情を察したようで、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「もしかして神崎さん、いつもと同じ時間の電車に乗ってて……その……寝過ごしちゃったの?」
「……うん。それで電車が終点まで来て、折り返して戻って来ちゃったんだと思う」
どう考えてもそういうことなのだろう。やってしまったなと、私は頭を抱えた。
確かに私は、学校をさぼってみたいと思っていた。でも、こんなさぼり方をしたかったわけではない。じゃあどんな風にさぼりたかったのかといわれたら返答に困るが、寝ているだけなのは嫌だった。
あの時の『冒険』は最終的に怒られたが、道中は楽しい旅だった。だからこそいい思い出になったのだが、今回はただ怒られるだけ。それが嫌なのだ。
こうなったら本当に1日さぼってやろうかとも思ったが、高島さんの手前、それも何だかやりづらかった。
怒られるのは自業自得だから仕方がない。
――でも、何か得るものが欲しい。
私は顔を上げると、じっと高島さんの顔を見つめた。
「ねぇ、高島さん。さっきの質問の続きだけど、いつもは何駅から何時の電車に乗っているの?」
「えっと……若園駅から7時発だけど」
何でその質問に拘るのだろうと、そんな顔をしながらも高島さんは答えてくれた。
若園駅は、私が乗る駅の1つ前の駅だった。電車も1本早い。道理で今まで彼女を見かけないわけだった。
「あの……高島さん。もしよかったら、明日から私と学校に行かない?」
「神崎さんと一緒に?」
「うん。電車通学って思ってたよりも暇でさ、その……せっかくこうして会えたし、もっと話とかしたいなぁ……なんて。もちろん高島さんは、いつもの時間の電車に乗ってくれればいいから」
「えっと……」
今度は高島さんが、私の顔をじっと見つめてくる。真顔なせいか何を考えているのか分かりづらい。さっき起こしてもらった時も、彼女の視点ではこんな感じだったのだろうか? 何だか不安になってしまった。
突然のお願いに高島さんは気持ちが追い付いていないのかもしれない。私としても勢い任せの思い付きで言ったことだった。
私と高島さんは学校が違うし、そこまで仲が良いわけではない。それに私はいつも1人で登校しているから考慮していなかったが、高島さんには普段一緒に学校に行く友達が居るかもしれなかった。美人だし中学の頃から友達は結構いたし。
優しい彼女のことだから、今やんわりと断る理由を考えているのかもしれない。
いい加減に後先考えずに突っ走ってしまう、この性格を直さないと。
「あっ、高島さん。やっぱり今のは――」
なし、と言いかけたところで――
「いいよ」
と、私の言葉を遮るように、高島さんが言葉を被せた。
「……いいの?」
「うん」
驚く私に彼女は照れ臭そうに笑って頷いた。
「お願いした私がこんなこと言うのもあれだけど、本当にいいの? 迷惑じゃない?」
相手が『いいよ』と言ってくれているのにこんなことを言うのは、失礼だと分かってはいるが、つい訊いてしまう。
「いいよ」
高島さんはもう一度言う。私を安心させようとしてくれたのか、さっきよりも力強い口調だった。
「私も電車に乗ってる時は暇だし、それに神崎さんと話していると楽しいから、中学の時からもっとお話がしたいなって思ってたんだ」
「そうなの?」
「うん。 ……ねぇ、LINEとかやってる? もしよかったら、私と友達になってくれますか?」
高島さんは少し緊張した様子で、スマホを手にする。
だが何かを思い出したようにはっとした表情をすると、直ぐに言い直した。
「私と、友達になってくれる?」
高島さんは小首を傾げながら、上目遣いで私を見る。一気に距離を詰められてしまった。これは勝てない。
「わっ……私なんかでよければ」
私も慌ててスマホを手に取り、LINEを交換した。
何で友達になるだけなのに、変に緊張しているのだろう。「やった」とスマホの画面を見ながら嬉しそうに笑っている高島さんを見て、私は少しドキドキしていた。
まさか高島さんからそんな風に思われていたとは、知らなかった。私との会話のどこが楽しいのかよく分からないが、嘘をついているようにも見えない。『友達になってくれる?』と言ってくれたことも、もちろん嬉しかった。
分かってはいたが、高島さんは本当に良い子だ。もっと早くから友達になれていたらなと、今更ながら思う。
最も友達になるきっかけなんて、いくらでもあったはずだった。席が隣になった時はもちろん、自分から作ることだってできた。
だけど私と高島さんは全く性格が違うし、合わないだろうと勝手に思い込んでいたのだ。
高校生になって学校は別になったのに、こうしてまた“きっかけ”ができた。私がいつも通りに学校に行っていたら、多分彼女とは3年間会うことはなかっただろう。そう考えると、運命的なものも感じた。
「神崎さん。私はいつも1号車に居るから。明日待ってるからね」
高島さんは楽しそうに笑う。ここまで言われてしまったら、もう約束を破るわけにもいかない。
――運命云々はともかく、この“きっかけ”は大切にしたいと、私は素直に思った。
電車が止まり私は駅のホームに降りる。階段の近くまで来た時、別れが名残惜しくなって私は高島さんの方に振り向いた。
高島さんと目が合う。せめて最後に何か言いたい。でも『また明日』だとありきたりだし、もう少し何か印象に残ることがいいかな?
「ねぇ、高島さん。私、今から怒られてくるから、明日慰めてくれると助かる」
自分でも何を言っているんだろうと思う。これなら『また明日』の方がましだった。
「ふふ……分かった。じゃあ、何か考えておくね」
高島さんは可笑しそうに笑いながら、親指を立てる。思ったよりもノリのいい子だ。彼女の笑顔を見ると、恥ずかしさより嬉しさが勝った。
「高島さん。また明日ね」
結局、私はそう言って階段を下りた。軽く手を振ると高島さんも振り返してくれたのが嬉しい。
「また明日か……」
私は小声で呟く。いい言葉だなと思った。
私は改札を通り、駅の外に出る。
さっきまで冷房の効いた車内に居たからか、余計に暑く感じる。電車は既にホームを出発していて、直ぐに青空の向こうに消えていった。
私の短い『冒険』は終わった。これからまた日常が始まる。
でも日常あっての冒険だし、得られたものもあった。悪い気はしない。
LINEに登録された高島さんの名前を見ると、つい顔が綻んでしまう。私はほっぺを叩いて表情を戻すと走り出した。
どうせ遅刻は確定なのだから急ぐ必要はないのだが、何となく走りたい気分だったのだ。
ただ繰り返すだけだった毎日が、ほんの少し変わった。明日からはいつもと違う景色が見られるだろうか?
空を見上げてみると雲一つない快晴で、青空がどこまでも広がっている。
もしかしたら明日からといわずとも――今からでも、ずっと遠くまで見渡せるような気もした。
久しぶりに全速力で走ったせいか、横腹が痛い。私は校門の柱に手を置き、呼吸を整えていた。
ついさっき聞こえていたチャイムは、2限の終わりのチャイムだろう。その証拠に校門と校舎を繋ぐ通路では、ジャージ姿の担任の先生が待ち構えていた。
物凄くいい笑顔なのだが、高島さんの笑顔と比べるとやたらと怖く感じた。
そりゃあ待ち構えているよね。グラウンドの前の道を通った時、目が合っちゃったし。
こうなることは分かっていたのだ。早く済ませてしまった方がいいのだろう。
「あははは……」
私は苦笑いを浮かべながらも、覚悟を決めて校門を通った。
――これから怒られることも含めて、今日という1日が、いい日だったと思える日になればいいな。
「か・ん・ざ・きー」
「ごっ…………ごめんなさいでしたー!」
日常と短い冒険 白黒灰色 @sirokuro_haiiro
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