シリーン 〜ああ、保護されるなんて

* * *


 ガレンドールの森で保護されてから、数日が過ぎた。

 わたしは殿下やピートさんの計らいで、王都の下町のはずれにあるピートさんのお知り合いの老夫婦のお家にご厄介になっていた。ジェフさんとノーラさんというご夫婦は、トスギル人を世話することに慣れているようで、最初の晩もトスギル風の料理を出してくださった。

 殿下たちはわたしの事情を聞き、身の振り方が決まるまでここへ滞在するようおっしゃった。以来、ピートさんやヨハンくんが遣いとして訪れてくれる。

 殿下自身も度々いらっしゃるが、恐れ多くてどうもぎこちなくなってしまう。殿下のお名前はアーノルドと言い、この国の王太子なのだそうだ。いきなりそこまで身分の高い方に出会ってしまい、こちらこそ無礼ばかりだったと身が縮んだ。


「気にすることはありませんよ。乙女に矢を射かけた失態が、お姫様抱っこ程度で相殺されるもんですか」


 たまたま殿下に付き添ってきたウィスカーさんが、わたしがあえて見ないようにしていた気持ちを代弁した。


「ぐっ…。いや、この者の言うとおりです。僕の罪は消えませんが、せめてあなたの安全が十分に確保されるまで、支援させてください」


 殿下は高貴なはずの頭を惜しげもなく下げ、緑の瞳でまっすぐにわたしを見た。王族とはこのように高潔なものだったろうか。トスギルの王太子は放蕩不埒の代名詞だったというのに。


 わたしは、トスギルへ帰るべきか決めあぐねていた。通商路が補修されれば、ピートさんの家の商隊に同行して帰れるかも知れない。けれど帰ったところで、聖女ではないわたしに居場所はない。

 父に追い出されたとき、いっそ遠くへ逃げ出したいと確かに思ったけれど、まさか本当にガレンドールなんて遠いところに飛ばされるとは思わなかった。言葉も文化も違うこの地では、わたしはどうやって暮らしたらいいのかわからない。


「大丈夫ですよ! ガレンドールはいいところです。遠慮なくぼくたちを頼ってください!」


 思考がどうどうめぐりしやすいわたしを、ヨハンくんが明るく励ました。彼は遣いの用がなくても頻繁に顔を出し、話し相手になってくれていた。

 十四歳だという彼は、トスギルの食べ物や風俗文化のことをたびたび聞きたがった。そしていつも、よく陽を吸ったようなマンダリンオレンジの色の髪を揺らしては、大きな淡い茶色の目を好奇心で輝かせ、笑顔で耳を傾けてくれた。居ずまいはまるで愛玩犬みたいなのに、平然と猟犬を躾けられるなんて意外だ。


「実はぼくたち、この夏にトスギルへ行くつもりだったんですよね」


 あるとき、何気なしにヨハンくんが言った。


「殿下が、夏の休暇中にお忍びで訪問してみようということになって。陛下もお許しになって、オリバー様やピート様と一緒に旅程や人員の計画を練っていたんです」


 それで、森で出会ったときにあのような反応になったのか。


「でも水害で通商路の難所が通れなくなってしまって。そのうち学園の新学年も始まってしまい、殿下もさすがに諦めようかと思っていたところなんです」

「どうしてそんなにトスギルに来たかったの?」

「うーん…言ってもいいのかなあ?」


 彼が頭をかしげると、髪から今にも甘い香りがしてきそうだった。


「ぼくたち、聖女に会ってみたかったんです」

「えっ?」

「でも驚きです。聖女の方から来てくれるなんて! 殿下も運が向いてきましたね」


 一体、他国の王族が聖女に何の用だろう。聖女はトスギルの安寧と繁栄のために祈りを捧げる存在だ。他国のために何かできる力も義理もあるとは思えない。

 精霊の加護も、トスギルの外には及ばない気がする。いや、今わたしは高位精霊に助けられてこの地にいるのだから、そうも言い切れない。まさか彼らも聖女を国母として求めているのだろうか。わたしはもう聖女ではないのに…。


* * *


 聖女のこと、精霊のこと、トスギルの国家体制などは主に殿下にお話しした。ひょっとしたら、トスギルの王太子妃になっていたかもしれないわたしが、外国の王族相手にあまり話すものではないのかもしれない。でも世話になっている手前、聞かれたら断るわけにいかないし、正式な国交があるわけではないから大した影響はないだろう。

 ただ、価値観の違いにはよく辟易させられた。


「それにしても、高位精霊ともなれば通訳も請け負うとは知らなかった。今後の国際会議にはトスギルから聖女を派遣していただくよう、父上に進言しようかな」


 さすがに最近では互いにぎこちなさは取れ、殿下もくつろいだ口調になっている。とは言え、くっくっと笑いながらこんな軽口を叩く彼に、わたしは憮然とした。

 この人は聖女や精霊を何だと思っているんだろう。


 また、聖女が時の王太子妃になるという話には、殿下は眉をひそめた。


「聖女になれる者がいない時は、どうするんだ?」

「聖女候補の中から選ばれます」

「どうやって決める?」

「聖女候補は多くいます。教会で精霊魔法の力を見極めるので、有力な司教から推挙されます」

「魔力、いや司教で判断するのか。客観的に、統治者を支える者としての資質は考慮されないのか?」

「聖女は祈りによって王を支えます! ほかに資質が必要なんですか?」

「いや、失礼した。他国のやり方に俺の立場からどうこう言うまい」


 殿下が何を気にしているのかさっぱりわからなかった。トスギルの王は、国家の祭事を行う大司祭でもある。その王を、聖女が精霊の加護によって支えることほど王の威光を確かにするものはない。


「ただ、聞けば君はそのために実の妹と引き裂かれ、熾烈な争いを余儀なくされたんだろう? 育ての親も君を政治の道具としてしか見ていない。俺には君が、君の心が、ひどくないがしろにされているように見えるよ。聖女とは、そんな思いをさせられてまで、なるものなのか?」

「……」


 この人は何を言っているの? あまり難しいことを言わないで。わたしの心ですって?

 わたしは、父に叱責されたわけでもないのに頭が回らなくなった。


「まあ、そういった見方もあるってことだよ。我が国も、貴族たちが幼少期から婚姻契約を結ぼうとする悪習があったので、よそのことは言えないが…」


 何かばつの悪いことがあるのか、殿下の視線が逸れたのでわたしのパニックも少し鎮まった。


「…そろそろおいとましよう。シリーン、まだしばらくは気兼ねなくガレンドールに居てくれていい。なるべく不自由させないようにする」


 そういうと殿下は立ち上がった。ヨハンくんが帰り支度を始める。


「お気遣い、ありがとうございます。でもわたしなんかに、なぜそこまで?」

「難民の保護は国の義務だ。それこそ蔑ろにしては威信に関わる」


 な、難民!? わたしは難民として扱われていたのか。

 言われてみればそうかもしれない。祖国を逃げ出し、国境を越えて彷徨さまよい込んだのだから。けれど、彼らは聖女に会いたかったと言いながら、わたしを聖女でなく難民として扱おうというのだ。

 一体彼らは何をしたいのか、わたしにはまったく見当がつかなかった。

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