〝彼は契約した〟

* * *


「父上、お話が」


 王の政務の間に通されると、アーノルドはまず人払いを願い出た。


 室内は威厳のある内装が施され、一方の壁には偉大な父祖の肖像画や歴史的な場面に由来した小振りな彫像などが飾られ、他方には法律書や過去の代の政務記録などを納めたガラス扉付きの書架が並んでいた。

 奥には王の執務卓が据えられ、手前には補佐官の机や会談用のソファセット、少し離れた場所に休憩用の丸テーブルが配置されている。


 王は立ち上がるとそのテーブルへ向かい、空いている椅子へアーノルドを招いた。


「おう、どうした?」


 身内の前では稚気を見せる王は、市井の父親のような気軽な口調で語りかけた。一方アーノルドは高貴な一族における年長者への礼節ある態度を崩さない。


「…先ほどアナスタシア嬢とお会いしまして、私の心は決まりました」

「ほう?」

「彼女の、えー、彼女の胸の内にある、真なる願いを叶えて差し上げることにいたしました」

「回りくどいな、嫌な話じゃないだろうな」

「私と彼女との……婚約を、解消いたします」

「なんで!?」

「話し合った上での結論です! 彼女はこの九年、そのことばかり考えてたそうですよ!」

「え、でもお前ら普通に幼馴染って感じで、別に仲悪くなかったじゃん?」

「だから余計に言いにくかったんでしょう。俺――私だって、それを分かってて割り切れる自信はありませんよ」

「本気かよ」

「本気です」


 王は、しばし鬚に覆われた顎を掻きながら考え込み、嘆息した。


「根性なしめ…まあ話はわかった。ご令嬢の再出発は早いほうが良いだろう。公爵への言い訳を考えよう」

「ありがとうございます。取り急ぎ、私から一筆書いてアナスタシア嬢に託しております」

「なんで!? 今オレが言い訳考えるっつったよね?」


 二度目の驚愕の声を上げた王は、九年の実績を白紙に戻す手間を考えろ、お前は後先考えずに安請け合いするのが悪い癖だと叱責した。


「はー、まったく。こんなんじゃお前にソロンは任せられんな。…よし決めた」


 王が、人の悪そうな笑みを浮かべた。


「ソロンの領政権な、お前が十八になったら代行官からお前に引き渡すことになってるが…それまでに代わりの婚約者を見つけてこい。さもなきゃお預けだ」

「なんで!?」


 今度はアーノルドが父親そっくりの叫び声を上げる番だった。


「だってお前、周りがこれぞ最適とお膳立てして手間隙かけて育てた相手じゃ気に食わんのだろう? 自力で納得行く相手を探してこいよ。いやあ、オレもなあ、当世ああいうのはそろそろ流行はやらんと思ってたんだよ。やっぱ気持ちが大事だよな、気持ちが。資質に見合うのは前提だが」

「それとソロンとどう関係が」

「国も領地も人で成る。人を見極め人と繋がり、人と支え合えねば成るものはない。まずはしっかりしてみせろ」

「ぐ…」


 王のからかうような口調や、一転して真顔で繰り出す正論がアーノルドを翻弄した。


「あーそれと、王室典範に則り、成人したら王室手当打ち切りは、ちゃんと適用するからな。ソロンの収入がなきゃ路頭に迷うぞ? まあそんときゃ政務官の使い走りか騎士団で修行する手もあるが、『ソロン公が自領行かないでなんでわざわざ?』ってちくちく言われるだろうなあ。お前耐えれんのかなあ。婚約者が好いてくれないんです!って程度で逃げ出しちゃうのに?」


 さらに容赦ない台詞に追い打ちされ、アーノルドは真っ赤になりながらただ口をぱくぱくさせていた。


* * *


「というわけで、殿下は将来ボンクラの烙印を押されないよう、急いで手を打たねばならなくなったんです」


 ウィスカーがそう言って話を結んだ。


「…いきなりそんなことを言われてもさっぱり見当などつくわけがない。そうしたら父上は『占い師にでも聞いてみろ』と」

「それでぼくが、あなたのことを推したんです。陛下が信頼なさるような占い師なんて、あなたしかいません!」


 いつの間にか従者たちも、あるじに断ることなく自然に話の輪に加わっている。こういう振る舞いも当世風なのだろう。遠慮のない言葉選びをするのはやや気になるが。


 微笑で表情を固定したまま話を聞いていた私は、箱庭運用の落とし穴に気づいた。


 箱庭は、本質的にはゲストのために存在する。しかしいくらお膳立てをしても、ゲストがそれに乗るとは限らないということか。そして、箱庭に生まれた住人たちにも独立した意思がある。ゲストがお膳立てを捨てることで納得の行く幸福を手に入れたとしても、役を失った住人は割りを食う。それが、今目の前にいる気の毒な少年アーノルドだ。


 アバターの眉が無意識にひそめられた。私は彼に同情を感じている。


「ご事情は理解できました。お力になりましょう」

「感謝する」

「ではまず、依頼の達成条件と報酬について取り決めましょう」

「あ、ああ」

「状況を整理すると、こうですね。殿下は十八歳の誕生日までに、殿下自身が心から求めるお相手との婚姻の約束を取り付けなければならない。その目的のために、私はそのお相手がどちらにいらっしゃるかを占い、情報を殿下にご提供する」


 キーパーソンでない住人にも意思はある。彼らの意思の響き合いとうねりが箱庭を熟成させるのだから、この仕様は不可欠だ。だがそのおかげで、父王ヴィンセントの自由意志はこんな変な条件を出してくれたわけだ。


「お待ち下さい。それだと殿下の片思いでもOKってことになります。『お互いが』心から求める、とした方が安全ではないですか?」

「なるほど。ごもっともです、ウィスカー様」

「あと、お相手が見つかってもすぐにうまくいくとは限りません。期限までに何度でも探し直すことになる可能性は高いです」

「承知しました」


 条件の詳細はウィスカーが進んで詰めてくれた。アーノルドは集中力が切れたのか、「お互いに…?」とつぶやいては目をきょときょとさせたり、「可能性…高いのか…」と消沈したりしていた。


「なので、約束を交わして、もう疑いがないという確証が取れるまでシェヘラザード殿にはお付き合いいただき、ご成婚を見届けましたら依頼達成としてはいかがでしょう」


 さすがに成婚までは少し長すぎるかもしれない。それに長期に渡り複数回対応する仕事となると、一括では王族のポケットマネーを超えかねない。


 結局、今回は守秘義務契約を兼ねて高めの初回料金をいただき、以降再依頼のたびに調査費の名目で前払いとした。そして、婚約して陛下の承認を得た時点で依頼達成とみなし、成功報酬が支払われて完了だ。


「では、お相手となる候補者を占うにあたり質問ですが、殿下が心から求めるようなお相手とは、どのような方なのでしょう?」

「それは…考えたことがないな…」


 アーノルドは、ウィスカーの残念そうな表情に耐えながら答えた。


「アナスタシアがいたから、もうその分野のことは考える必要がないと思っていた」


 ウィスカーはますます残念そうな顔になった。


「アナスタシア様こそが、殿下にとって理想の方でいらしたのですか?」


 助け舟のつもりで言ってみると、彼はゆっくりと首を振った。


「…彼女はいざとなると報復の手段を選ばない。そういう人間はちょっと」


 彼によると、子どもの頃木苺狩りに行き、彼女の籠からつまみ食いをしたら激怒され、野花の群生地に突き落とされた挙げ句大量の蛾にたかられまくった思い出があるとのことだ。


「全身鱗粉まみれになって、あの後三日ぐらい目の腫れが引かなかった」


 知っている。今生の子供時代はお転婆になったアナスタシアのレポートの中でも、オーバーロードWTが特にお気に入りのエピソードの一つだ。


「そうですか。では特に条件を設けないでおきましょう」


 私は脇にあった大きな水晶玉を前に出した。これは執務塔にある情報を確認できる端末だ。映される内容は彼らには視認できないようになっている。


 ゲストが私のお膳立てを忌避する、というのはまだ仮説に過ぎない。アナスタシアがアーノルドを解放したことで、別のゲストの幸福にアーノルドを組み入れる余地ができた。そのゲストの性格なら、彼を選ぶかもしれない。


「殿下、学園での交友関係を見直されてはいかがでしょうか」


 現在十六歳の彼は、王都で貴族階級及び市民富裕層の子女が通う学園に籍を置いている。十八歳で卒業予定で、その後は本来なら名実ともにソロンの領主となるはずだった。


「学園で? まあ手近でいいと言えば言えるが」

「はい。身分は少々釣り合いませんが、殿下のご友人がたともてらいなく会話を楽しまれる、溌溂はつらつとした方がいらっしゃるのではありませんか?」

「そんな女子生徒がいたかな? 俺は知らないな」

「ごく最近現れたのではないでしょうか。例えば、転入生として」

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