〝彼は躊躇した〟

2


 大国ガレンドールの王都――その商業地区のうち、中階層向けの店舗が並ぶ通りを二、三本奥に入ったありふれた小路の途中に、その店はある。

 店と言っても看板はなく、扉に占い師を表す星と目の記号が小さく彫られているだけだ。

 その小さな店に、今日は変わった客層の訪問者がやってきた。


「たーのもーっ!」


 およそ占い師の力など必要としなさそうな、三人の身ぎれいな若者が扉の前に立っていた。一人はフードで容貌を隠しており、最も若そうな小柄な少年が今の声を上げた。声量に他の二人がびくりとしたところを見ると、なるべく目立ちたくないようだ。


 中から応答した声を聞き、フード姿ではない青年が扉を開けた。様子をうかがい、店主はどこにいるのかと目で探している。


 内部は静かで、ふわりと香が漂う。入口のマットの柄を含め、ガレンドールにおいては異国の趣きがある内装だった。室内は極細の紐で編まれたカーテンで仕切られ、その奥にはラグが敷かれた空間がある。客用の丸く固いクッションと、背や体を預けられそうな大きなクッションが散らばっていた。ここでは、テーブルと椅子を使わず床に直接腰を下ろす流儀だ。最奥に、店主である『私』が座している。


「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」


 珍しそうに見回している彼らに、もう一度声をかけて奥へ招き入れる。

 青年が代表して問いかけた。


「…あなたが、『占い師シェヘラザード』?」


 そう、私はこの店の主。「占い師シェヘラザード」は、箱庭管理者である私の『この箱庭での姿アバター』だ。


* * *


 私は、通常は管理者の執務塔で過ごしているが、時折このようなアバターをまとって箱庭の中に紛れ込むことがある。目的の一つはゲストの環境を微調整するためであり、もう一つはレポートの精度を高めるためだ。


 箱庭に受け入れたゲストのログを見ていると、たまにやり直しの進捗が良くないことがある。ゲストが迷走したり周囲の人物や要素が欠けたりして、ゲストにとって目指すゴールが遠のくといったことが起きた場合に、あからさまでない方法で支援するのだ。指先でひと押しする程度のものに過ぎないが、うまく行けば不運からの逆転劇を生み出すので、管理手段の一つとして許可されている。


 一方、収集したログを再構成してレポートに仕立て直しているが、ログはあくまで行動記録であり、それに至る動機やその瞬間何を感じていたかといった心の内は、住人の口から語られない限りわからない。


 住人に実際に接触してアバターの目を通して観察することで、私は彼らの感情を推論する。また、私自身もアバターとなることで、自分の内部で住人と同様の思考や感情が発生する様を、観察することができる。こういった経験で学習したことが、レポートにも厚みを与えるのだ。


 なお、アバターは基本的に住人と同じ組成でできているため、管理者としての能力は制限される。記憶域は主にアバターから受ける情報を蓄積することに使われ、執務塔から取り出せる情報も基本的にこの箱庭に関するものに限られる。とは言えアバターとして活動中でも、並列で執務塔での作業は続いているので、短時間であればこの制約はリスクではない。


 ここガレンドールを足場とするアバターは、二十代の女性で金茶の肌に黒檀の瞳、濃紺の波打つ長い髪を持つ。

占い師という職業を演出するため、異国風の風貌にしてあるのだ。


 私はクッションから立ち上がらずに彼らを手招いた。

 三人の中で、フード姿の者だけが進み出て私の向かいに腰を下ろした。つまり先程のにぎやかな少年と先導役の青年は彼の従者で、私に用があるのはその主人である彼なのだろう。


 フードを後ろへよけた彼もまた、少年だった。黒い髪と緑の瞳の端正な顔立ちで、若者らしい英気にあふれている。富裕層の市民風の身なりをしているが、こんなところに気軽に来られる身分ではないことを、箱庭管理者である私は知っていた。


「……」


 彼はあぐらの上で両手を軽く組み、親指をとんとんと遊ばせた。まだ私を警戒しており、用向きを語るべきか決心しかねているようだった。

 私は水を向けてみた。


「本日はどのようなご用向きでしょうか、――『ソロン公』?」


 彼の肩書を告げると、ぎこちない空気にひびが入った。彼は後ろを振り返ったが、青年の方の従者は素っ気なく答えた。


「先触れはしてません」

「なるほど、高名な占い師だと言うヨハンの話は本当らしいな」


 ヨハンというのは少年従者の方らしい。目を輝かせてこくこくと頷いている。


 ソロンは、この国の代々の王太子に与えられる公爵位及び領地で、王太子が成人すると次代の王として戴冠するまでの間治めるのが習わしだ。つまりソロン公と呼べばすなわち王太子を指すのである。


「察しの通り、俺はアーノルド・レグルス・ガレンドール。この国の王太子だ」

「存じております」


 彼は私の態度に一切変化がなかったためか、やりにくいな、といった表情を一瞬ぎらせつつ話を続けた。


「占い師シェヘラザード。あんたは俺の従者によれば、依頼を違えたことがないとの評判だ」


 彼はちらりとヨハンに目をやった。


「はい! 占い師シェヘラザード殿は、どんな小さな失せ物も、地の果て星の海から探し出し、助言を求めれば組み木のように全てが然るべきところに収まり、願い事は不思議な糸に織られるように導かれて叶うと聞いております!!」

「相当な持ち上げようだな」

「もったいないことでございます」

「で、あー…そんな人智を超えるかのような才を持つあんたに、いささか、下らないことを聞きに来て悪いのだが…」


 どうやら本題に入ろうとしているようだが、途端に歯切れが悪くなり目も泳ぎだした。

 すると、彼の背後で従者の青年が鼻を鳴らした。


「殿下、とっとと腹を決めたらどうですか。自分で蒔いた種じゃないですか」

「いや、ウィスカー。国の将来にも重大な影響を与えることだぞ。おいそれと話せるか」

「どっちなんですか」


 下らないのか重大なのか、とウィスカーは呆れている。


「まずは契約だ。シェヘラザード、この依頼を受けるか」

 王族からの依頼だ。当然ながら応諾以外の選択肢はない。

「勿論です。報酬については内容をおうかがいしてから申し上げましょう」

「よし」


 アーノルドは咳払いをして、やっと核心を口にした。


「俺は今十六だが、訳あって十八になるまでに伴侶を見つけねばならなくなった。その手がかりに、助言が欲しい」


 これはどういうことだろう。彼はあるゲストのために私が配置していた重要な人物のはずだったが、想定と異なる展開になっているようだ。


「確か、殿下にはすでに婚約者様がいらしたと存じますが。ハイリッジ公爵のご息女、アナスタシア様では」

「解消した」

「はい?」

「彼女との婚約は昨日解消した。まだ本人と父上――陛下の合意を取り付けたばかりで、正式に確定するのはこれからだが」


 一体何が起きているのだろう。頭の中で執務塔の書庫を漁り、直近四十八時間分の王宮内ログの塊を急いで解いた。情報がアバターに届くまでは時間がかかる。間を持たせるため、私はアーノルドに質問した。


「婚約解消の経緯をお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「……」


 アーノルドが口ごもる。


 ゲストであるアナスタシアは、プロフィールに準じこの国の王太子、つまり彼と七歳の時婚約した。この箱庭は彼女の前世に似通った要素を持っているが、全く同じではない。彼女の家族は前世より温和で協力的であり、婚約者となった王太子アーノルドも、より親しみのある態度で接していた。前世では婚約「破棄」が不幸の頂点だったが、今回は婚約「解消」となっているということは、それが彼女の目指すゴールだったのだろうか。


 該当のログが見つかった。彼は昨日の午後アナスタシア嬢と王宮内の一室で談話しており、その後国王と私的な面会を行っている。


「…別に、彼女は悪くない。ただ、幼少期に婚約を決めるのはもう時代遅れだと俺は思ってる。幼馴染で気心が知れてるだけに、互いになおさらその手の気持ちになりにくいのに、縛り付けるのは気の毒だろう」

「畏れながら、彼女の側にもお気持ちがなかったと?」

「ああそうだな。特にここ数ヶ月は、急に距離を置かれるようになった。会っても押し黙っているし、何かに怯えている風だった。公爵家や領地や彼女の人間関係などはすべて良好で、悩む要素なんかない。心変わりするような誰かに出会った形跡もない。それなのに俺の前でだけああいう態度なら、…まあそういうことだろ」


 アーノルドは両手をひらひらさせて自嘲気味に笑ってみせたが、付き合って笑うわけにもいかない。黙って続きを促す。


「なら俺だって茶番を続けるほど鈍感でも恥知らずでもない。どうせ何か無理があれば取りやめられる契約だ。それで昨日、俺から彼女に解消を持ちかけたんだ」


「アナスタシア様、とても嬉しそうでしたね!」

「ヨハンっ!」


 無邪気に合いの手を入れたヨハンを、すかさずウィスカーが叱った。

 アーノルドは背後から槍で突かれたかのようにぐらりと倒れ込みかけ、組んだままの両拳を床に着いてこらえた。


「ぐっ…まあとにかく、当事者間での合意は得たんだ。すぐにも父上のお許しと公爵への取り成しをお願いに行ったのだが…」


 アーノルドの話と王宮のログから再構成した国王ヴィンセントとの会話は、概ね次のような内容だった。

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