第2話 ずっと聴いていたい君の音 <昼>


 ドアのノック音。

 ドアが開いてバタバタと玄関で音がする。ビニール袋の音が聞こえる。

 彼女がコンビニから帰ってきた。


 先程よりは慣れた様子だけど、それでもまだ遠慮がちに


「おじゃまします」


 といって彼女が部屋へと入ってくる。


「ちゃんと寝てた?」


 部屋の中央あたりにおいてあるテーブルの上でビニール袋から何かを取り出しながら話しかけてくる。


「薬は飲んだの? だめだよ。食欲がなくても何か胃に入れないと。……ほら、ゼリー飲料と薬買ってきたから、飲んで」

 

 彼はゼリーと飲料を飲み、さらに薬も飲んだようだ。


 彼女は初めての男の子部屋で緊張しているのを隠すような口調で


「まったく。こんな季節に風邪引くなんて。……どうせ昨日の夜も髪を乾かさないままエアコンつけっぱなしで寝たんでしょう」

 

 弱気になっている彼は再び謝罪をしたようだ。

 少女は慌てたように


「あ、あやまらなくていいの! ちがうの! ごめん!」


 彼女の声のトーンは次第に優しくなっていく


「別にそんな事が言いたいわけじゃなくてね……。あたしもつけっぱなしはよくやるし……まああたしは丈夫だから風邪とかは全然引かないんだけど……あはは」


 彼女は何かを決心したかのような口調で


「とにかく。いいからあんたは寝てなさいな」


 しばらくの間。


 彼女は部屋の中央辺りに立ったまま動かない。

 かすかな呼吸音と、手持ち無沙汰で時折重心を入れ替えることによって床がうっすら軋む音だけが聞こえる。

 彼の様子をずっと見ているようだ。

 

 彼は気になって目を開け、彼女の方を見たようだ。

 彼女は少し不思議そうに話しかけてくる。


「どうしたの? ほんとに気にしなくていいってば。それともなにかほしいものでもある?」


 彼は眠れない理由を説明する。

 彼女は本気で不思議そうに


「そこで立ってられると寝れない? どうして? え? 圧迫感を感じる? なによそれ意味分かんないんですけど」


 最初は首を傾げた彼女だったけどすぐに自分に言い聞かせるように


「まあ、それもそうか。そうかもね……。じゃ、じゃあ失礼して、座らせてもらおっかな」


 そして座る音。スカートの衣擦れの音がかすかに聞こえる。

 彼女の視線を感じるものの彼は高熱のため意識が朦朧としていたようでそれからは反応がない。


 すると彼女がビニール袋を持って立ち上がる。

 部屋の玄関付近においてある冷蔵庫を開けた音がする。


「ゼリーとか飲み物とかいっぱい買ってきたから冷蔵庫に入れておくね」

 

 引いた声で呆れながら


「ってなにこれ。賞味期限切れたパンと空のバターの箱? 捨てなよこんなの」


 冷蔵庫を閉める音。


 ぶつぶつと独り言を言いながら


「普段何食べてるのよ……なんかゴミもカップラーメンばっかりだし……」


 彼女は再び部屋の中央へ移動して座る。


 彼女の呼吸音とスマートフォンを操作しているかすかな音だけが聞こえる。

 しばらくの間が空いた後、つぶやくように


「けっこう散らかってるねえ。男の子の一人暮らしだからこんなものか。ってあたしも人のこと言えないんだけどさ」


 短い間。


 彼からの反応がないことに気づいた彼女は、彼の方へ向いて話しかけてくる


「あれ。寝ちゃったの?」


 床の軋む音。彼女は四つん這いになって彼に近づく。

 ベッドの横まで来て


「おーい」


 更に顔を近づけて。ほぼ耳元に近いところから、ささやくように気遣った小さな声で


「寝てる?」


 彼の反応はないようだ。


 もう一度床が軋む音。距離がすこし離れ、力が抜けたような声で

「あたしが寝ててっていったんだから別にいいんだけどさ……ほんとに寝ちゃったのかー」


 彼からの返事がなく、寝てしまったことを確信した彼女は

 しばらくまた、スマートフォンの操作をし始める。

 彼女の薄い呼吸音だけがかすか聞こえる。

 同じ部屋に誰かがいてくれるという安心感が彼の眠りを深くした。


 誰に言うでもなく、つぶやくように


「ちょっと片付けでもしてあげよっかな。いや、でも勝手に部屋のもの触ったら怒るかな……ゴミまとめるだけならいいかなあ。いいよね」


 後半は不安そうに、言い訳がましさが含まれたように言った。


 立ち上がる音がすると彼女は動き始める。

 窓を開ける音から始まり、忙しく動き回る足音やビニール袋の音が続いて聞こえる。

 テーブルの上にあったゴミを広い、床に散らかしていた衣服をいくつか畳んでくれているようだ。

 最後にドアの向こうの老化沿いにある水道で手を洗う音がして、また部屋の中央へと戻ってきた。


 少し得意げな感じで


「よし、これで片付いたっと」


 すぐに恥ずかしさを押し殺した声で


「ってあたし何やってんのかな。これじゃまるで新妻みたいじゃんか……」


 さらに慌て、そして早口で。最後は呆れたように


「は? 新妻!? いやいやせめて同棲彼女とかでしょ! って彼女!? ど、ど、同棲!? あたし何言っちゃってるんだろ。き、きもっ! あたしきもっ!!」


 続いて、照れ隠しするような声で


「さ、さてー、男の子の部屋に来たのならやらないといけないわよね……エッチな本探し」


 距離が近づき、ベッド脇に来てささやく。


「寝てていいのー?」


 更に顔を近づけてくる。かなりの至近距離で


「おーい。起きないとあたしにあんたの性癖バレちゃうぞー」


 そのまま彼女は距離が近いまま、呼吸音が直ぐ側で聞こえる。こちらの様子をうかがっている。 


 彼の様子を見て気づいた彼女は、低い真面目な声になる。


「息が荒いね……それに……つらそう」


 少し離れ、不安そうに


「どうしよ。冷たいお絞りとかおでこにのせてあげればいいのかな。とりあえずあたしのハンカチでいいかな」


 立ち上がり、足音が遠ざかる。

 ドア向こうの水道でハンカチを濡らす音。

 水道をしめ、また足音が直ぐ側まで近づいてくる。


 かなりの至近距離に彼女の気配を感じられる。

 彼の額に水で濡らされたハンカチが置かれる。


「ん……と。これでどうかな。気持ちいいかな」


 至近距離から、ちょっと動いたせいでかるく息の上がった彼女の呼吸音が聞こえ続ける。

 そのまま彼の様子を観察しているよう。


 至近距離かつ、真面目な声でつぶやく。


「汗、すごくかいてるなあ」


 さらにしばらく観察した間が空いて、ようやくつぶやく。

 ちょっと調子を外した声で


「ふ、拭く?」


 すぐに慌てた様子で


「いやいやいやいやいやいや」


 急に大きな声を出したことを自省し小さな声で早口で


「拭くってどうやってよ。彼は服を着ているんだよ? 体を拭くには服を脱がさないといけないんだよ。いったいどうやって拭くつもりなんだよ?」


 ヒソヒソ声のまま、自分自身に呆れたように突っ込む。


「ってあたしは誰と会話してるんだよ……」


 声は普通のトーンにもどっているものの、まだ落ち着かない様子で早口で。


「拭くっていったってさ、男の子の寝巻きの脱がし方なんてわかんないし。ま、まあさっき見た感じだと、普通の寝巻きだったと思うけど……もしかすると女子とは違う仕組みなのかもしれないし。も、もし、万が一よ? 下に何も履いてなかったりしたら……」


 ついちょっと声を大きくしてしまいながら


「ってどこまで拭くつもりなんだあたしはっ!」


 大きな呼吸音。自分に言い聞かせるように


「落ち着こう。一旦。おちつけあたし……そうだ、水を飲みましょう」


 買ってきたらしいビニール袋からペットボトルを取り出し、勢いよく水を飲む音が聞こえる。

 3回喉を鳴らし一旦息継ぎして、さらに2回喉を鳴らす。

 こちらが眠っていると思って容赦なく音を立てて豪快に飲む。


 小さな間のあと、普通のトーンに戻る。落ち着きを取り戻したように


「ふう……でもこのままじゃ気持ち悪いだろうし。せめて上半身だけでも……」


 いきなり彼の耳元でささやく。

 これまでで一番の至近距離で吐息がかかるほどの近さで


「ねえ、ほんとに寝てる、よね?」


 立ち上がる音がして、決意した様子で彼女は


「よ、よし。やるか!」


 といった。

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