第7話 ありがとう

宙は次の日学校に行った。彼女は誰にも話しかけず、授業もろくに聞かず、放課後はたった一人学校の屋上に上がった。そこで一人体操座りして俯いたまま、大気のことを思い出した。


二人は仲が良くて、よく一緒に遊んだり勉強したりした。宙は大気を自慢の弟だと思っていた。でも、あの日、あの事故が起きてから、宙は大気を失ってしまった。宙が大気に「逃げろ!」と言ったその瞬間、大気の自転車は目前に迫っていたトラックにひかれてしまった。宙は悲鳴を上げて駆け寄ったが、もう遅かった。大気は血まみれで動かなかった。宙は泣き叫んだ。

「大気!大気!起きてくれ!ごめんな!ごめんな!」

 

それから何日も経ったが、宙は自分を責め続けていた。自分がお土産の紙袋を間違えなければ、自分が直ぐに間違いに気づいて家に取りに戻っていれば、自分がもっと注意してやれば、大気は死ななかっただろうと。宙は涙を流しながら、屋上で呟いた。

「大気…ごめん…あたいの不注意のせいだ…」


そこに真智が現れた。彼女は宙の様子がおかしいことに気づいて、屋上に探しに来たのだった。彼女は宙の後ろに立って声をかけた。

「宙…」


宙は驚いて振り返った。真智の顔が心配そうに見えた。

「なんだよ…」


真智は優しく笑って言った。

「宙…大丈夫?」


宙は素直になれなかった。

「ふざけるなよ…お前に何がわかるんだよ…」


真智は怒らずに言った。

「わからないこともあるけど…わかることもあるよ…」


宙は不信感を隠せなかった。

「何が?」


真智は深呼吸して言った。

「あたしは過去に…可織という妹を亡くしてるんだ…」


宙は驚いて言った。

「え?」


真智は目を潤ませながら話し始めた。



「可織はあたしより三つ下の妹だった。あたしと同じくらい元気で明るくて可愛い子だった。あたしたちは仲が良くて、よく一緒に遊んだりおしゃべりしたりした。でも、ある夏の日、あたしたちは海に行ったんだ。

あたしは友達と泳いだり砂遊びしたりしていた。可織も一緒に来ていたけど、あたしはあまり構ってやらなかった。自分が楽しければいいと思っていた。それが間違いだったんだ…」


真智は声を震わせながら言った。


「あたしが友達と遊んでいる間に、可織は波にさらわれてしまったんだ。誰も気づかなかった。あたしも気づかなかった。気づいたときにはもう遅かった。可織は海から引き上げられたけど、もう息がなかった。あたしは泣き叫んだ。

「可織!可織!起きてよ!ごめんね!ごめんね!」

あたしは体内の水が全て無くなってしまうほどの大粒の涙を流し、声が出なくなるまでずっと可織のことを叫び続けた。


「それから何ヶ月も経った後も、あたしは自分を責め続けていた。自分がもっと妹のことを見てやれば、自分がもっと妹と遊んでやれば、自分がもっと妹を守ってやれば、可織は死ななかっただろうと。私は毎日、部屋で呟いた。

「可織…ごめんね…あたしの不注意のせいだ…」


宙は真智の話に驚いて聞き入っていた。彼女は真智の目に同じ悲しみと後悔を見た。彼女は真智に言った。

「そんな…真智…」


真智は笑って言った。

「でもね…今は違うよ…」


宙は訊いた。「どうして?」


真智は言った。

「あたしはある日、母親に言われたんだ。

「可織はあなたに命をくれたんだよ。あなたが生きてるのは、可織のおかげなんだよ。だから、あなたはその命を大切にしなさい。可織にありがとうと言いなさい」って…」


宙は言った。

「それで?」


真智は言った。

「それであたしは考え直したんだ。確かに、可織はあたしに命をくれたんだ。あたしが生まれた後に、可織が生まれてくれなかったら、今のあたしは存在しなかっただろう。可織はあたしの姉妹だし、友達だし、宝物だった。でも、可織はもうこの世にいない。あたしがどれだけ泣いても、どれだけ謝っても、どれだけ責めても、可織は戻ってこない。それならば、あたしは可織の分まで生きなきゃいけないと思ったんだ。可織が見てくれてると信じて、あたしは笑顔で生きることにしたんだ。そうすれば、可織も喜んでくれると思うから…」


宙は言った。

「それで…?」


真智は言った。

「それであたしは毎日、「可織…ありがとう…」と言ってるんだ。ありがとう、あたしに命をくれて。ありがとう、あたしの妹でいてくれて。ありがとう、あたしの友達でいてくれて。ありがとう、あたしの宝物でいてくれて。ありがとう、あたしを見守ってくれて。ありがとう、あたしを笑わせてくれて。ありがとう、あたしを強くしてくれて。ありがとう、あたしを幸せにしてくれて…」


宙は真智の言葉に感動した。宙は真智の目に同じ悲しみと後悔だけでなく、感謝と希望も見た。宙は真智に言った。

「真智…すごいな…」


真智は宙の手を握って言った。

「宙もそう思わない?大気くんにごめんじゃないよ。大気くんに…」


宙は真智の手に力がこもっているのを感じた。


彼女は真智の手を握り返して言った。

「ありがとう…じゃないかな?」


真智は嬉しそうに笑って言った。

「そうだよ。大気くんは今まで宙にたくさんの思い出をくれたはずだよ。

今の宙があるのは、大気くんのおかげなんだよ。

だから、宙はその気持ちを大切にして。

いつも大気くんにありがとうと思えるように」


「ありがとう、真智」

宙の顔は口角が緩みつつも瞳は真っ直ぐ見開いていた。その穏やかな表情には、真智の言葉から何かを確信したような強さが浮かんでいた。


「大気…ありがとうな…」

宙は屋上から大気のいる病室を見つめた。

青空に映える窓には、彼女の笑顔が浮かんでいた。

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