第16話 山小屋で

 僕はそれから、見知らぬ場所で夜を明かした。

 目蓋は異常に重くて、身体も頭も、全てが重かった。空いていた筈のお腹も、そんな事どうでもいいと思える程に、僕の頭は混乱していた。


「何で、誰も知らないんだ……?」


 寝転がりながら、目を閉じたまま呟く。


 ーーもしかして、異世界に来たとか?


 まるで自分が2次元の世界に入り込んでしまったみたいな設定に、僕は思わず笑う。と同時に、昨日何も口にしていない所為かヒビ割れる唇に、痛みを感じ僕はゆっくりと起き上がる。


「山小屋……海」


 僕は、切りだった崖の上にある小屋の横で夜を明かしたようだった。そしてその奥には海神様が居ると言う白い領域もある。


 よく見れば、そんなに家から離れていない、山の中腹程度の場所に居るようだった。

 今考えてみれば自分の体力でそう遠くまで行く事も出来ない。僕は少し自虐しながらも、山小屋の扉に手を掛けた。


「ふっ……!」


 扉は少しガタついていたものの、最後の力を振り絞り扉を開く事に成功する。


 小屋の中は埃と蜘蛛の巣が充満しており、扉を開けた所為か最悪なパレードが始まっていた。


 薄目で中を確認すると、壁にはクワや剣先のスコップが立て掛けてあり、その近くには空となった肥料袋も置かれている。


「……あ」


 視線を右往左往させていると、僕は壁際に積み重ねられた段ボール箱を見つける。何故かそれには祠は被っていなかったが、真新しい上面には『190g×30本 緑茶』と書かれていた。


 申し訳ないがーー。


 僕は徐ろに缶を取り出してプルトップを上げた。


「………プハァッ」


 一気に飲み切り、久々の水分にもう1本、もう1本と計3本を飲み切った所で、不明瞭だった頭がやっと鮮明になった気がする。


 僕は一旦落ち着こうと、外に出て小屋の壁を背に海が見える位置に座り込んだ。


 手元にある草は朝露で湿っていて、山奥特有の青くさい臭いと海風が運んでくる潮の臭いに、身体が自然と一体になったかの様な気がした。


「………まさか、忘れられてしまうとはなぁ」


 ボソッと呟いた言葉は、海風に運ばれて山の中へと消えて行く。


 突然皆んなは僕の事を忘れてしまった。

 それは紛れも無い事実で……まずは認めよう。問題は何故忘れてしまったのかだ。


 僕は花園さん達と廊下で話した後、そのまま家に帰った。お爺ちゃんとお婆ちゃんに迎えられて、何も言わずに部屋に行った……その時まではお爺ちゃん達も僕の事は覚えていた。


 目が覚めたら、全てが変わっていた。


「……何でだよッ」


 吐き捨てた言葉は、葉の擦れ音にまた消えて行く。


 冷静に考えても分からない。

 だからと言って、僕の事を思い出すように闇雲に何かしたとしてもダメだというのは何となく分かるし、自分はそういう事を出来ないというのも分かっていた。


 ーー忘れられたなら、丁度良いのかも。


 人と関わるのが、僕は辛い。

 人に避けられるのが、辛い。

 生きて行くのが、辛い。

 僕は多分、社会には不適合な人間なんだ。


「ん?」


 海を見ながら黄昏ていると、小屋の前の方から足音が聞こえて来て、僕は振り返り壁越しに様子を伺った。


「アレ? 小屋の扉が開いてる!!」

「ほんとうだ! だれか来たのかな?」


 そこから聞こえるのは、聞き覚えのある声ーー学校でかくれんぼをした時に居た小中学生達のだった。


「ほら〜、だからちゃんと戸締りはしないといけないって言ったじゃん」

「そんな事言ったか?」

「言ったよ〜、田舎でも泥棒は居るんだから〜」

「はぁ、はいはい。流石警察官の娘。昨日知らない男にビクビクしていただけはある」

「ん〜? 何かバカにしてる?」

「まぁまぁまぁ! お2人さん! 折角秘密基地に来たんだから仲良くしようよ!」


 そして僕と特に関わりの深い、同級生の3人組の声が聞こえて来る。


 最悪だ。どんだけ僕は運が無いのか……ここは離れるが賢明だろう。


「お兄さん、ここで何してるの?」

「って、俺達のお茶飲んでんじゃん!! 勝手に飲まないでよ!!」


 いつの間に回り込んだのか。その声で直ぐに前に居た3人も来てーー。


「お前はッ……!」

「うわ……最悪っ」


 2人の突き刺さる様な視線に、勝手に身体が離れようとする。当然だ。僕はもう、突き飛ばされたりされたくない。

 でも、そこから離れる事は叶わなかった。


「まぁまぁまぁまぁ! この人にも何か事情があるんだよ!! 私達と歳もそう変わらなそうだし……ね?」


 ーー仲間さんが、ウインクしながら僕の手を取った。

 喧嘩別れしていた筈の、僕をビンタした筈の仲間さんが、僕の事を忘れている筈の仲間さんが擁護してくれている。


 見ず知らずの他人に、こうも優しく接する事が出来るのかと感心した。

 そこで僕は改めて、仲間さんが他の人にはどう接するのか気になった。


「僕は……高2の白崎涼。改めて、よろしく」

「私は仲間奈津! 私達も高2だよ! よろしくね!!」


 彼女の晴々しい笑顔が、僕に向けられる。


 何故、そこまで他人を助けようとするのか。今だからこその僕からの視点でーー。


 僕は、新しい僕として、仲間さんと接する。


 これが彼女との2度目の邂逅だった。

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消え去る海神様に、願いを込めて。 ゆうらしあ @yuurasia

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