第14話 廊下で

 僕は暫く、水道から顔を冷やすのと同時に頭から水を被った。でも夏の水道水は温くてちっとも顔は冷えず、僕は片頬を赤くしたまま教室へと戻った。


「……」


 痛む頬を抑えながら教室の扉を開けると、僕は何故か時が止まった様な感覚に陥った。


 僕の頭が濡れているからか? と一瞬思ったりしたが、どうやら違う。


 皆んなのぎこちない表情、僕には気付いているにも関わらず敢えて話さない様なもどかしさ。この感覚には身に覚えがある。


 僕は仲間さんが教室内に居る事を確認して、自然と自分の席へと着いた。



 ーー皆んなが、僕に不信感を覚えている。



 背中姿しか見えない仲間さん、それでもイラつきと悲しみが伝わってくる様な後ろ姿をしている。そして、そんな彼女の後に教室に現れた頬を腫らした転校生。

 関わりがないという方が可笑しいだろう。


 仲間さんはクラスの中心人物、そんな人に嫌われた僕は皆んなに避けられても仕方がないのかもしれない。


 水を被った所為か、それとも皆んなの視線からか、窓から差し込む日差しが自分の身体を蒸発させていく様な感覚がある。


 この感覚はいつになっても苦手だ。

 僕はこの目の前の現実から逃げたくなり、空を見上げた。


 ーー水の様に溶けてしまえば、水蒸気になって、雲になって、そして雨になって……結局はまた水へと戻ってしまう。

 この世から消えてしまえるのは生きている生物の特権なんだと、僕はそんな事を考えていた。


 そしてホームルーム後、僕は真っ直ぐ天国家へと帰った。誰とも話そうとせず、誰にも話しかけられず……そして僕はまた直ぐに眠りに着いた。




 その翌日、学校である事件が起こった。

 早朝、昇降口の近くにある茂みから斎賀先生が倒れているのが発見されたらしい。

 早くに、鍵を開けに来た先生が見つけたお陰か、幸い命に別状を無かったものの半年程は休養が必要だと下された。


 次から次に起こる事件。

 その情報は学校の中だけではなく、数日でここら一帯の地域に直ぐ広まったーー。

 そして、この事件で深く関わるクラスが1つ。


「やっぱさ、アイツが来てから何か可笑しいよな?」

「あぁ。転校した次の日に渡辺先生の謹慎、斎賀先生の入院、葵の奴もずっと何か元気ないしよ」


 男子2人の会話だ。


「『疫病神』だなぁ、本当に」

「最近じゃ、アイツに声掛けるのも皆んな怖がってるしなぁ。いや〜、恐ろしい恐ろしい」

「てか、そろそろ『祭り』だけど誰を誘うか決めたか?」

「あー、前田辺りなら来てくれそうではーー」


 声が段々と遠ざかって行くのを確認して、僕はトイレの個室から出た。

 ここ数日で僕はトイレの個室でお弁当を食べる『疫病神』だなんて言われる様になっていた。


 ハッキリ言って、何処に行っても視線が鬱陶しくて仕方がないからの応急処置だ。まぁ、だからと言ってトイレにずっと引き篭もってるのも嫌だからーー。


 僕はトイレから出る。

 そして時間を潰せるであろう、いつもの場所へと向かった。


 そこは沢山の木や花で囲まれた、あの白い領域が見える学校の中庭のベンチ。


 この雑多で汚く感じる学校で、何故か今、此処では僕の心を落ち着かせる事が出来るのだ。


「あの、白い領域を見てるからなのか……?」


 海神様が居ると言う、此処に来てから何かと目に入る領域。

 激しく波打っている海の中にある白い領域。ただポツンっとそこにある領域は、今の自分とは違い寂しくも凛と佇んでいた。


 自分には凛とする事も出来ない。佇む事も出来ない。周りから逃げて、逃げて、逃げてばっかりだ。


「やや〜っ! 有名人くんではないか〜」


 自分を卑下しながらボーッと白い領域を見ていると、背後から花園さんがあたかも今見つけた様な動きをして、隣へと座った。


「別に、有名人じゃないよ。ただの『疫病神』」

「あ〜……聞いたんだ? ま、耳に入らない方が無理があるか〜」

「何か用? 僕と一緒に居たら何か災難が起こるかもよ?」

「いや〜、そんな自虐しないでよ〜……私が応援しちゃった立場でもあるから、ちょっと罪悪感がね〜」


 言われて、昨日の音楽室前での出来事を思い出す。励ます様にガッツポーズを向けられた。だが、それは違う。


「元々僕も言おうとは思ってたんだ。それをあの時に言ってやったってだけ。別に花園さんの所為じゃない」


「それなら良いけど……」と花園さんは頭を掻きながら微笑する。

 変に気を遣われていたみたいだ。


「それにしても、奈津には困ったもんだね〜。まさかあんなに拗らせてるとは……」


 拗らせている、何が? と聞こうと思ったが、昨日の2人の会話を聞いた僕には何となく分かる気がした。


「何で仲間さんって、あんな人の問題に頭を突っ込むのかな……」

「何でだろな〜。最初はあんな子じゃなかったんだけど」

「そうなの?」


 ああいう陽キャは最初から陽キャだと思うのだが、もしかして陰キャからも陽キャに進化出来るのだろうか。


「最初は捨てられた子猫みたいに、皆んなを警戒して誰とも仲良くしてない大人しい子ってイメージだった。でも、いつの間にか仲良くなってたんだよね……」

「きっかけとか何かあった?」

「う〜ん……あっ」


 花園さんは少し考えた後、何かを思い出した様に目を見開いた。


「タカちゃんなら知ってるかも」

「あの人が?」

「うん。一番最初に奈津と仲良くなったのはタカちゃんだったから。折角だから一緒に聞いてみよ〜ッ!」

「あ! ちょっと!」


 僕は思った。僕が元に居た場所よりも、此処らへんの女子は元気が過ぎると。


 僕と花園さんは、教室で友達らしき者達と弁当を食べているタカちゃんの元へと行った。


「タカちゃ〜ん、ちょっと良い?」

「真里と……白崎か。何か用か?」


 僕の名前が中々出なかった事、名前を呼ぶ瞬間眉間に皺が寄った事は気の所為ではないだろう。


「いや、僕は別に用はないから。それじゃ

「2人でタカちゃんに聞きたい事があってさ〜」


 ……無理矢理だ。


「俺に?」

「うん。此処じゃなんだから、ちょっと廊下出よ〜」


 怪訝に片眉を吊り上げるタカちゃんを連れ、僕達は廊下へと出る。

 廊下は昼休みで皆んなご飯を食べている為か、人通りは少ない。


「で? 聞きたい事って?」

「タカちゃんって、奈津とどうやって仲良くなったの?」

「……何だ突然」

「いや〜、奈津と最初に仲良くなったのってタカちゃんじゃん? 何で強面のタカちゃんとなんて仲良くなったのかな〜って!」


 明るく言えば何でも良いと思ってないか?

 花園さんの言葉に強面の顔が更に強面になって行く中、タカちゃんは僕の方をチラッと見る。


「……此処では話したくねぇ」


 あからさまだ。

 僕は最近此処に来た。タカちゃんと仲が良い訳でも無く、今となってはクラスメイトから『疫病神』扱い。そんな奴と仲良く話なんてしたくないだろう。


「僕、そう言えば先生に呼ばれてるんだった」


 そう言って、僕は二人から離れた。

 こういう事には慣れている筈だった。だけど、僕には何処にも居場所が無いのだと、僕は何処に居てもこうなってしまうのだと突きつけられているようで、僕の身体は急激に冷えていく。


「あ、涼くん!」


 後ろから花園さんの静止の声が聞こえて来る。

 僕はそれに手を振った。


 口角が震える。指先の感覚がない。踏みしめている筈の床がフワフワしている。


 ーー自分の顔がどんな風になっているのかさえ、僕には分からなかった。

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