第10話 高一のクリスマス 後編

「あと1ヶ月でクリスマスだけど、どこに行く?」


 暖房の効いた図書館。僕は彼女へと問い掛けた。

 彼女の服装も変わり、制服の内側には黒いセーターを着ており、膝にはブラウンのブランケットが敷かれていた。


「ん……そうね。何処でも良いわ」

「何処でも良いって、随分テキトーだな。初めてのクリスマスだぞ?」

「そうね……そうなるね。じゃあ、貴方の行きたい所に行きましょう」


 彼女は寒そうに机に突っ伏しながら、ダルそうに答えた。


 これまで行く場所は彼女が決めていた。それなのに僕が決めるだなんて、こんな怠そうにしてるし……もしかして女の子の日だろうか? と思った。だけどそれは僕の勘違いで、彼女はそれからずっと元気がなかった。



 そして12月25日。


 僕達は、僕のデートプランで行動した。今までは彼女について行ってたばかりなので、とても緊張した。

 昼にはオシャレな雰囲気のイタリアンで食事をし、その後はゲームセンターに行ったり、映画館で泣ける系の恋愛映画を見たりした。


 そして陽が落ちた17時頃。相も変わらず元気が無さそうな彼女に少しへこみながら、イルミネーションで賑わいを見せる広場へと向かった。そしてその途中、それは起きた。



「アレ? 君、久しぶりだね〜。元気してた?」



 僕達に……いや、彼女に1人の男性が声を掛ける。30〜40代ぐらいのスーツ姿の男性だ。聞けば久々に会ったらしいが……。


 僕は彼女の方を見る。彼女は目を見開いた後に、嫌悪感を醸し出すかの様に眉を顰めていた。


 高校の先生、ではない。見た事がない。

 だとしたら彼女が何処で知り合うだろうか……もしかして、父親とか?

 これまで彼女の家庭の事情は聞いた事が無い。それは彼女が直ぐに話題を変えてしまうから。何か事情があって言わないかと思ってたけど……何だ、普通の人じゃないか。


「涼、行こ」

「え、あ、良いのか?」


 彼女は無視して僕の手を引っ張って、男性の横を通り過ぎようとした。しかし、男性は無理矢理に彼女の肩を掴んだ。


「ちょっと!」


 声を荒げる彼女に、僕がどうしようかと迷った瞬間だった。


「あ、あのさ、予定が空いてたらだけど、来週末は空いてるかな? 今度はご飯の後ホテルにでもさ……」


 一瞬、何を言ってるのか理解出来なかった。

 そして理解した後、色々な思考が頭の中で駆け巡った。


「今度は」という事は前にご飯を食べた事があるという事。誰と? 2人で? ホテルって何だ?


 僕がボーッとしていると、彼女がその男の頬を強く平手打ちして、僕は現実に戻った。

 僕は彼女に手を引かれて、何処かへ連れて行かれた。それまでの道のりは長い様で、凄く短い時間に感じたのを覚えている。


 僕の中で何かドス黒い感情が心を支配していくのを感じた。




 暫くして彼女は足を止め、僕も足を止めた。

 彼女は少し息切れをしていて、気付けば僕も少し鼓動が速くなっていた。


 そして彼女は振り返った。


「違うの」


 落ち着き払っていた。さっきまであんな不機嫌そうに見えた彼女の顔は、表情が抜け落ちたかの様に『無』だった。


 それでもーー。


「何が違うんだよ」


 僕は彼女に強い口調で言ってしまった。ドス黒い感情が赴くままに。


 だってそうだろう。彼女は浮気をしていた。前から彼女は思っていたのかもしれない、"僕と一緒に居て、つまらない"と。


 そう思えば思う程に沸き上がる怒り、そしてそれを上回る悲しみが僕の頭を支配した。


「あの人とは少しご飯に行っただけ。何もないわ」

「君がそんな意味のない事をする訳がない。僕に飽きて、他の男と遊んでいたんだろ? そっちの方が楽しいから」


 彼女の言葉に反論する。


「あの人と会ったのは、涼と付き合う前……会ってご飯を食べただけなの。信じてよ」

「はっ、どうだか」


 もう、自分の理性には従えなかった。ただただ感情の赴くままに言葉を紡いだ。

 こんなに感情を揺さぶられる事は今まで無かった。多分、それ程彼女は僕の大切な人だったって事なんだろう。


 でも、今、その大切な人だと言うのもーー。




「私、余命1ヶ月なんだって」




 唐突に、彼女は呟き、僕は咄嗟に言葉が出なかった。

 彼女は眉尻を下げ、視線を下に落としていた。


 嘘、と言うには余りにも突飛なもので、僕はじっと彼女を見つめた。


「……私に家族は居ないの。今は親戚の家で暮らさせて貰ってて、高校生になってからは医療費に学費、電気代に通信費、食費に水道代、家賃とかも払わないといけないって言われてて……」


「安心して。知ってると思うけど私って可愛いでしょ? だからご飯に行くってだけでも結構お金をくれる人が居てーー…」


 彼女は何処かふざけた様に、痛そうに笑いながら離し続ける。


 彼女は随分前から自分の余命が短い事を知っていた。だから色々な事をしたかったんだろう。僕に告白して恋人同士になり、デート場所も彼女が決め色々な所に行った。



 ーーあぁ。つまりだ。



「付き合うのは誰でも良かったって訳か……」



 そう呟いてしまった瞬間、僕は反射的に口を手で覆った。


 視界に入った彼女の顔は、何故か見た事もない程穏やかに笑い、青白く、そして綺麗だった。



 ◇



 あの男をぶった手がジンジンとするのが分かる。それと相まって彼の手が冷えているのが分かる。そして、私の心臓が激しく脈打っているのが分かった。


 それでもあの人から離れる為に、この誤解を解く為に、足を止める訳にはいかなかった。


 丁度彼が行こうとしていたであろうイルミネーションが素敵な公園に着き、私は振り返った。


 私は言った。


 私の余命が1ヶ月だという事、家族は居らず親戚の家で暮らさせて貰っている事、お金が必要な事。


 だけどーー。



「付き合うのは誰でも良かったって訳か……」



 そう告げられた瞬間。

 ーーあぁ、見限られてしまったんだ。

 そう思った。


 私が涼と図書館で会ったのは、偶々だ。私は、所謂パパ活の合間の休憩時間にと図書館へと訪れていた。

 効率良く生きなければならない私とは違って、彼はいつも顔を顰めながら勉強しかしていなかった。


 だから、少し気になってしまった。


 GW最終日。私は朝早くに図書館へと訪れ、勇気を出していつも彼が座る席の隣へと陣取ってみた。


 こうすれば彼は私へと話し掛けてくるだろうとたかを括っていたが、彼は私を見て何も言わずに反対の席へと着いたのだ。


 一層、彼の事が気になってしまった。


 残り僅かなこの人生、後悔しない為に私から彼に告白して恋人になった。彼を裏切らない為にパパ活も辞め、お金も切り詰めた。


 でも、それももう限界。




 そう、一瞬の内に脳内を駆け巡り、私の中の何かが胸の奥でストンっと音を立てて落ちて行った。


 このまま別れてしまったら、涼は一生心残りが出来てしまう。


 とても、繊細な人だから。


 だから、なるべく後腐れが無い様に告げよう。

 心配を掛けない様に、涼がこれからの人生を楽しく生きていける様に、涙を見せないで。



 これが、私の最後の我儘。

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