第6話




昼過ぎまで雨だった。今もまだ少し空がどんよりとしている。午後六時。コンは拝殿で少年を待っていた。去年案内した時に「お前いつまでも子狐なんだな」と言われた身体は、今日もまた小さいままである。きっと彼は望叶もコンもこの世界の存在でないことに気が付いていて、素知らぬふりをしてくれている。そのことにコンも気付いていて知らんぷりをしているのだ。

少年が二回目にやって来た日を思い出した。ひまわりを受け取った後、望叶が「何か飲み物を持ってくるよ」と言って本殿の中に入ったのだ。それに対して少年が「あれ?この近くに家があるって設定どうなったんだ?」とツッコミを入れた。あの時の望叶の慌てようといったら。やはり最初から気付かれていたのだ。望叶は今でも一生懸命誤魔化そうかとしているが。

気付いているのに毎年来てくれる。

コンは少年のことが好きだった。だが、少年のことを話す望叶の笑顔の方がもっと好きだった。

ぴょんと賽銭箱から降りて考える。彼は今年で十六歳。もう少年と呼ぶ歳ではないのかもしれない。

拝殿の屋根の外に出て、雨が降っていないことに安堵した。花火大会は雨天中止だ。空に雨雲はないようだが、今年は「花火大会の日が晴れますように」という願いの手紙が入っていなかったので心配していたのだ。ここ数年は毎年その願いが届いていたので花火が上がらない年はなかった。望叶は自分の願いは祈れない。コンが自ら手紙を投函しようかとも考えたがこの前足では文字が書けないのだ。

六時二十分になった。鳥居の下まで行って石段を覗いてみる。遅い。いつもならとっくに少年が来ている時間だ。コンの内側に焦りが滲み出した。

まさか。思わず呟いた。コンの鳴き声に、鳥居の上に留まっていたカラスが飛び立った。まさか。いや、でも可能性の話を始めたら、もちろんあり得る。

少年と望叶は別の世界の存在だ。別々の時間軸を生きている、本来交わることない存在である。少年が成長して外の世界の時間軸に近付くと、望叶達を認識できなくなるのだ。わかりやすく言うと、忘れてゆく。大人になった少年からは望叶と過ごした時間が失われてしまったのかもしれない。

どんな顔をして本殿に戻ったらよいのだろう。どんな顔をして彼女に説明したらよいのだろう。自分の軽はずみな判断で望叶を失望させてしまった。きっと彼女はひどく落ち込むだろう。だって一週間も前から毎日今日の話をしていたのだから。

茂みの鳴る音に望叶は顔を上げた。嬉しそうなその表情は、コンの後ろに誰もいないことに気づくと次第に曇ってゆく。

「コン……一人なの?」

望叶は縁側に腰掛けたまま、脱力した様子でそう尋ねた。コンは四肢を奮い立たせると望叶の膝元に駆け寄り、彼女の頬をぺろりと舐めた。

「そう……今年は来なかったんだ……」

二つの手がそっとコンを包み込んだ。自分を抱きしめて肩を震わす望叶を慰めたくて、コンは意味もなく鳴いた。

「大丈夫だよ……大丈夫。今年はまた、二人で花火を見よう」

望叶は来年もう一度花火を見て、冬を越して、桜が咲くのと同時に、正式な神となる。そうしたらもう、少年の時間軸と交わることは二度とないだろう。

最後まで夢をみせてあげたかった。これからの人生を神という名のしきたりに縛られ続けるのならば、せめてそれまでの間、少しでも幸福を感じてほしかった。

コンの額に何か温かいものが落ちてきた。望叶の涙だと気付いていて、コンは体温を分け与えるように頭を押し付けた。心の中でごめんねと呟いた。



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