第22話 風のような出会い

ユリーベル・シュベルバルツは特殊な力を持っている。

それは『影を操る事が出来る』という力。

影を物体として操る事、影を通して物を渡す事。

これが主な能力だ。

影の中にプレゼントを入れる。すると、ユリーベルが願った相手の影からそのプレゼントが現れる。これが影を通して物を渡す力だ。

しかし、これには一つ条件がある。

それは、その対象者がこの力の存在を知っている事。

つまり今、ユリーベルが影を通して物を遅れるのは、ハルムン、サルファ、メアリ、サドラの四人のみだ。

その為、基本はこの能力を使う事は無い。

影を物体として操る事を主な能力として活用している。

そして、この力は『悪魔の力』とも呼ばれている。

その理由は、シュベルバルツの先祖に悪魔と交わった人間がいるからだそうだ。

それ以上の事は、深く知らない。

能力が発動した時、古い文献を読み漁ったユリーベルが知ったのはそんな些細な情報だけだった。





あの同盟から一週間。

ユリーベルの目論み通り、仮死状態のサドラをサルファに見せる事で、今回の件は決着した。

「大儀であった。次も期待しているぞ、ユリーベル」

そう言葉を残し、その王は玉座を離れたのだ。

その後、ハルムンの魔法によってサドラは目を覚まし、人知れず帝都を去って行った。

南部に戻ったという連絡が来たのは、丁度今朝方だった。

「初めて影を使って文を渡したけれど……案外上手くいく物ね。」

これならサルファにバレる事無く、指示を出せる。

とても有益な事だった。

「さて……。」

今日は昼から大切な用事がある。

だからこうして早起きをして、メイドに囲まれながらユリーベルは支度を進めている。

数ある姉のお下がりのドレスの中から、甘い緑色のドレスを選び、それに合うようにアクセサリーも選んでいく。

慌ただしい屋敷の様子に、ハルムンはひょこっとユリーベルの前に姿を現した。

「なんだ?何処か行くのか?」

「ええ。お姉様とこれからランチなの。とは言っても、王宮の中でだけれど。」

「定期的に行ってるよな。そんなに着飾ってまで楽しみなのか?」

何を当たり前の事を、と思いながらも、ユリーベルは満面の笑みで答える。


「——勿論!」


普段は嫌いなコルセットも、姉の為ならば幾らでも我慢出来る。

そうして数時間にも及ぶメイク、ヘアセットを経てユリーベルはドレスに袖を通した。

ユリーベルはどんな色のドレスでも似合う。

パステルカラーのドレスは、彼女の若々しさを引き立たせる。

深い色のドレスは、彼女を艶やかに引き立たせる。

何を着ても似合うなんて、随分と罪作りな女だとハルムンは心の中でぽろっと漏らした。

「きゃー!お綺麗です、ユリーベル様!」

「とてもよく似合っています!」

「流石はユリーベル様です!この国にユリーベル様の美貌に目を奪われないお人はいません!」

後ろでざわざわとユリーベルを囃し立てるメイド達。

それもそのはずだ。


普段のユリーベルは基本、服にもアクセサリーにも無頓着な人間。

「お嬢様!こちらなんて如何でしょう!?」

「いえ!こちらの方がお似合いになられます!」

「何を言ってるの!絶対にこっちよ!」

「……どれでもいいから、好きにして……。」

メイドがどれだけ豪華なドレスを見せても、大きな宝石が埋め込まれたアクセサリーを見せても、ユリーベルには毛ほどの関心も無い。

そんなユリーベルがこうして綺麗に着飾るのだから、メイド達の腕がなるというものだ。


「愛する姉に会いに行くだけなのに、相当な気合いの入れ方だな。」

「まあ、これでも一応はシュベルバルツの当主だしね。王宮に行くなら、人目は気にしないと。」

と、そんな理由でこうして長い時間メイド達に拘束されていたわけだ。

姿見の前に立つと、確かに緑色のドレスが良く映えている。

「お姉様のエメラルドの瞳を意識してこのドレスにしたけれど……悪くないわね。」

「自画自賛か?まあ、確かにそのドレスは美しいと思うが。」

「あら、ハルムンにも美しさを感じる感性があったなんて!これは驚きだわ。」

「お前は俺を何だと思ってるんだよ……。」

なんて、気が緩むようなやり取りをしていると、そろそろ約束の時間が迫っていた。


「それじゃあ行ってくるわ。ハルムン、留守番よろしくね。」


そう言って、ユリーベルは王宮へと向かう。

王宮は、王城の横に隣接された妃のための園である。

基本、王宮には妃やその家族が住まう事が出来るのだが、そうしてしまうとシュベルバルツを統治するものがいなくなる。

だからユリーベルはこうして定期的に王宮に赴いて、マリーベルと食事をするのだ。

馬車で三時間ほど揺られ、帝都の中心部を抜ける。

「ユリーベル様、到着しました。」

「ご苦労さま。」

馬車から降りたユリーベルはメアリと共に、王宮へと向かう。

上機嫌のユリーベルの後ろ姿に、メアリも優しく微笑んだ。

「嬉しそうですね、お嬢様。」

「ええ。だってお姉様に会えるのですもの。喜ぶのは当然よ?」

「何故ユリーベル様は、そこまでマリーベル王妃に好意を向けていらっしゃるのですか?」

メアリの純粋な疑問に、ユリーベルはそうね……と言葉を漏らす。

確かに赤の他人からしてみれば、こんなにも姉への愛が強い妹は中々居ないだろう。

それが例えば唯一の家族だからと言っても、ユリーベルの愛は過剰に思える。


「お姉様はどんな時も私の傍で見守ってくれていたの。その優しさに私は幾度と無く救われた。私は、そんなお姉様の優しさに報いたいとそう思っているわ。」


マリーベルは特別、何かに優れている訳では無い。

それでもマリーベルは、いつだってユリーベルに笑顔を向けていた。

両親が死んだ翌日、マリーベルは真っ赤に目を腫らしながら「おはよう」と微笑んだ。

その瞬間、ユリーベルはやっと、彼女が自分を守る為に笑っているのだと気が付いたのだ。

それが、マリーベルの強さだった。

「ユリーベル様にとって、とても素敵なお姉様なのですねマリーベル王妃は。」

「ええ。お姉様の妹だという所が、私が私の中で唯一自慢出来る所よ。」

そうユリーベルは微笑む。

優しく、穏やかに。太陽の日差しを浴びて、ユリーベルは微笑んだ。


「——ユリーベル様?」


姉の居る部屋へと向かう途中だった。

ユリーベルは知らない声に呼び止められる。

くるりと振り返ると、そこには水色の髪をした令嬢が立っていた。

くるんとした長いまつ毛が印象的の、美しい少女だった。

そしてその少女の姿に、ユリーベルは見覚えがある。

「——エンティー・イルナルガ様。」

エンティー・イルナルガ。

イルナルガ伯爵の一人娘だ。サルファとマリーベルの婚姻の儀で、その姿を見た記憶がある。

あの時は、イルナルガ伯爵の後ろに隠れていたから、どんな令嬢なのかは良く知らない。

ユリーベルに名前を呼ばれたエンティーは、ぱあっと明るい笑顔を見せると、嬉しそうにユリーベルに駆け寄る。

「はい!そうです、エンティー・イルナルガです!ユリーベル様に名前を覚えて頂けていたなんて、光栄です!」

首を傾げ幸せそうに笑うその姿に、ユリーベルも微笑み返した。

「勿論覚えています。お姉様と国王陛下の婚姻の際、ご挨拶出来ずにすみませんでした。何分、ああいう公式の場に立つのは不慣れなものでして。」

「そ、そんな事お気にならさず……!それに私もこうして、声をかけてしまいましたし……ここはおあいこ、という事で!」

天真爛漫という言葉が良く似合う。

愛嬌たっぷりのその笑顔は、マリーベルを思い出す。

「ところで、何故エンティー様は王宮に?」

「実は、僭越ながら私がマリーベル王妃の世話係を務めているのです。国王陛下にお願いをして、世話係として雇って頂きました。」

成程。マリーベルはシュベルバルツの当主として様々な社交の場に出てはいたが、だからといって妃教育は今行っている真っ最中だろう。

何かと王宮内でも不便を強いられているかもしれない。

こういう歳の近しい者が世話係としているだけでも、マリーベルの心は軽くなるはずだ。

「そうだったのですね。姉は王宮内で上手くやっていますか?」

「はい!それはもう!こんな私にも優しく声をかけて下さって……。マリーベル王妃様は、とても素晴らしいお方です!」

ふん!と少々鼻息を荒くさせながら、エンティーはユリーベルに話す。

マリーベルの人を虜にする力は、ユリーベルの持つ悪魔の力よりも強力な様だ。

「それは良かった。きっと姉も、エンティー様の事を気に入っていますよ。」

「そうだと良いのですが……。ユリーベル様はこれからマリーベル王妃様にお会いに?」

「ええ。一緒に食事をしようと話しておりまして。」

「そっ、それは!お時間を取らせてしまい、申し訳ありません!」

あわあわと焦った様子で、エンティーはユリーベルに深深と頭を下げる。

その言動も行動も、貴族特有の胡散臭い匂いが全くしない。

きっとエンティーは、マリーベルと同じく裏表の無い人間なのだろう。

だからかもしれない。こうも容易く、警戒心が解けていくのは。

「お気にならさず。それにエンティー様から見る姉の話は、とても興味深くもありますから。」

自分から見る姉の姿と、他人から見る姉の姿。


——私はいつも、お姉様の背中ばかりを見ているけれど、貴女は違うのかしら。


もしも、エンティーが見る姉の姿が、横顔や正面から見る顔なら。

それはきっと、ユリーベルが望んでも届かない関係という事だろう。

そう思いながら、ユリーベルがくすっと微笑むと、エンティーはぱっと顔色を明るくさせる。

ユリーベルの手を勢いよく掴み、エンティーは笑顔でユリーベルに問いかけた。

「なら今度、ユリーベル様をお茶会に誘っても宜しいでしょうか!?」

それはきっと、この子なりの近付き方だと思う。

目をキラキラと輝かせるエンティーには、口では言えない気迫のようなものがあった。

それに気圧される形で、ユリーベルは少したじろぎながら答えを口にする。

「えっ……ええ、勿論、ですわ……」

この感じ。グイッと迫られるこの感じ。

——お姉様にそっくりだわ……!

と、自分の姉の面影を重ねながら、ユリーベルは半ば強引に合意の頷きを見せる。

「本当ですか!?わぁーい!やったー!それじゃあ後日、招待状をお渡ししますね!私、楽しみに待っています!」


それでは!とエンティーは風のように去っていった。

足がぐるぐると円を描くように、エンティーは物凄い速さで消えていく。

残されたユリーベルは、行き場を失った手を宙に浮かせながらあっけらかんとしていた。

「だ、大丈夫ですか、ユリーベル様……。何だか物凄いご令嬢でしたね……。」

「ええ……。でもまあ、この際交友関係を広げるのも、悪くないわ。それに、招待状が届くのにも時間がかかるでしょう。その間に彼女への対策を考えればいいわ。」

と、ユリーベルは再び歩き出す。

エンティーの行動力の速さと、自分の考えの浅はかさに気付いたのは翌日の事だった。


差出人はエンティー・イルナルガ。

それは三日後に開催する、お茶会の招待状だった。

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