第21話 信頼と同盟
「貴方の熱意、その気持ちはよく伝わりました。だからこそ、私は貴方に提案したいのです、イーニム卿。」
「……提案?」
ユリーベルはにやりと笑う。
その微笑みは美しく、しかしどこか影を生み出す笑顔だった。
「ええ。私達、手を組みましょう。」
ユリーベルはそう言うと、静かに座り直す。
それを見計らっていたかのように、隣で黙っていたハルムンは、パチッと指を鳴らした。
何も無かった木のテーブルに、ティーカップが三つ現れる。
中に入っているお茶は、ゆらゆらと白い湯気を立てていた。
「ここからの話は長くなりそうです。折角ですからお茶でも飲みながら話しませんか?」
ユリーベルは、目の前に置かれたティーカップに手を伸ばし、そのまま口の中に流す。
このお茶には何も入っていないという証明の為に。
それを見たサドラもまた同じように、ティーカップに手を伸ばした。
ユリーベルは静かに受け皿の上にカップを戻すと、目を細めて話を始める。
「先にも話した通り、私はこの国を滅ぼすつもりです。まずはその為に、兵が必要になります。貴方には、反乱分子を一度解体後、内密に再び彼らを集めて欲しいのです。その為の手助けは、横にいるハルムンにお任せ下さい。」
「つまり、ユリーベル様の傘下に入れと?」
「いいえ。これはあくまでも同盟です。しかし、私とは違い、イーニム卿の目論みは既に陛下にバレています。ですから貴方が表立って動けば、彼らも全員漏れなく極刑でしょう。」
三つのティーカップから立ち込める白い湯気は、空に昇るにつれ空気に溶ける。
サドラはユリーベルの言葉に、少し黙り込んだ。
理由は簡単だ。
——この女を信じるか、否か。
今日初めて会ったばかりの二人だ。その間に絆など無い。
信じるに足る要素は何一つとして見つからないのだ。
それに彼女に協力したとして、本当に勝ち目はあるのか?
ユリーベル・シュベルバルツは確かに頭のキレる人間だ。
それでもサドラには首を縦に下ろせる程の信頼を寄せる事が出来ない。
それは、ユリーベルも見抜いていた。だから奥の手を使う。
そして『それ』を見せれば、この場にいるユリーベルを除いた三人はこう思うだろう。
——ああ、きっとユリーベル・シュベルバルツなら本当に成してみせるだろう、と。
「イーニム卿。シュベルバルツは元々、小さな国だった事を知っていますか?」
「勿論だ。帝国の中で最も早く公爵家となったシュベルバルツ家。元々は小国だったというのは、貴族なら誰しもが知っている。」
「そう。なら……これは?」
ユリーベルがティーカップから指を離し、ゆっくりと人差し指を上に向ける。
その瞬間、まるで地震が起きたかのように、部屋の中の家具が振動した。
そして、ユリーベルの影がぐにゃりと形を変え、ゆっくりと起き上がる。
まるで、生きた化け物のように。
真っ黒いそれは、形を持ってサドラの前に現れた。
「なっ——なんだ、これは!?!?」
サドラは勢いよくイスから崩れ落ちる。
ガタンと椅子は横になり、サドラの顔色が段々と青ざめていく。
ユリーベルの後ろに立っていたメアリも、口元を震わせながら、『それ』を見つめていた。
数秒にも満たない時間だった。
けれどサドラとメアリに恐怖を植え付けるには十分すぎる時間だ。
ユリーベルが人差し指を下に下ろすと、真っ黒な『それ』は再びユリーベルの影として戻る。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。これは、シュベルバルツ家に伝わる特別な力です。」
「こっ……こんなのは聞いた事がない!!」
「ええ。これはシュベルバルツ家の中でも特に秘匿されている話ですから。でも、これで分かって頂けたでしょう?私には、力があると。」
ユリーベルの力強い声に、サドラは先程の黒い物体が現実のモノなのだと理解する。
そして、そこまで秘匿されていた力を見せたという事は、ユリーベルがサドラを信頼するという証でもある。
ユリーベルはもう一度お茶を飲んでから、腰を抜かしたサドラに告げた。
「私に協力して下さい、イーニム卿。私なら、この世界すら変える事の出来る力を持っています。今ここで全てを失うより、私共に同じ道を歩む方が、きっとより面白い未来を掴めるでしょう。」
嘘偽りの無い、透き通った声。
眩く輝くユリーベルの瞳。
サドラは思った。ああ、確かに彼女ならば、と。
ゆっくりと立ち上がったサドラは、少しよろけながらテーブルまで近付く。
そして、残っていたお茶をぐいっと一気に飲み干すと、そのテーブルに自分の手を差し出した。
「ユリーベル・シュベルバルツ公爵様。どうか……我らをお救い下さい!」
それは、ユリーベルに協力するという合図だった。
それを待っていたかのように、ユリーベルも立ち上がり、彼の手を取る。
「勿論です。我が名に懸けて、この世界を変えてみせましょう。」
見せかけだけの言葉では無い。
本当に、目の前にいるこの美しく気高い少女はたった一人で国を滅ぼすつもりなのだと、交わした指先からその熱が伝わってくる。
サドラは、そんなユリーベルに将来を預ける事にした。
——確かに、面白い未来が見れそうだ。
そうサドラは確信する。
「しかし、我々が反乱を企てたのは事実。国王陛下も放っては置かないのでは?」
「それなら簡単です。私がイーニム卿を殺したと、そう伝えれば良いのです。無論、その死体は持ち帰るように言われていますが。」
「そ、それは……!」
「ご安心下さい。この家から出たら、イーニム卿には仮死状態になって頂きます。」
「仮死状態……!?そんな事が可能なのですか……!?」
「ええ。その為にハルムンを連れてきたのですから。」
ユリーベルとハルムンは、合わせたかのようにニコリと笑う。
そしてハルムンは、サドラの額に人差し指を当て呪文を唱えると魂が抜け落ちたかのように、サドラは地面に倒れ込んだ。
「メアリ。外の兵士を呼んできて頂戴。」
「わっ、分かりました……!」
メアリが連れてきた兵士に、サドラの脈を計らせる。
「脈ありません。完全に死んでおります、ユリーベル様。」
「そう。ならその死体を馬車に積んでちょうだい。陛下にお見せするわ。」
「かしこまりました。」
兵士はサドラを担いで、そのまま馬車に乗り込む。
「メアリ、貴方も先に馬車に戻っていて。」
「お嬢様はどうされるおつもりですか?……その、先程の黒い物体は……」
「あの話は全て事実よ。メアリ、私は貴女をとても信用しているの。だから隠し事はしたくなくって……。突然の事で驚いたでしょう?ごめんなさい」
「いっ、いえ!寧ろ、お嬢様にそこまで思って頂けるだなんて……私、とても嬉しいです!」
それじゃあ先に馬車で待っています、とメアリもその場を後にした。
残されたのは、黒い髪の美しい少女とピンクの髪をした傲慢な男。
「……はぁ、疲れた……。」
「まあ、あそこまで気を張ってたんだ、疲れるのは当然だな。だか……まあまあ上出来だったんじゃねぇか?」
「何よ、貴方に褒められるなんて明日は雨が降るのかしら?」
「お前、折角人が……いや、いい。」
ユリーベルはふっと微笑むと、再びイスに腰を下ろす。
「ねえ。ハルムン。」
「何だ?」
「私がこれからする事はきっと、多くの人を殺すのでしょうね。あの王に引けを取らないくらい。」
「……。」
「でも人を殺す事は怖くないのよ。私はずっと前から、感情が欠落してる。こんなに不出来な人間なのに、貴方はそれでも力を貸してくれる?今日みたいに、道具のような扱いをするかもしれない。私が欲しいのは貴方の大賢者としての力だけなのだから。」
ユリーベルの問いにハルムンが答えるまでには少しだけ時間を要した。
けれどハルムンは真っ直ぐユリーベルの目を見て告げる。
「それでも俺は、お前の傍にいるさ。だって俺たちは——共犯者なんだぜ?」
ハルムンは時々、何処か遠くを見つめる。
彼が何を思い、ユリーベルを助けたのかは分からない。
それでも、今この場所で一人ぼっちじゃない事。
今、こうして一緒に罪を背負ってくれる事。
それだけでユリーベルの心は軽くなる。
「そうね。そうだったわ。……ありがとう、ハルムン。」
ユリーベルはそっとハルムンの肩に頭を置いた。
とんと、寄りかかった男の肩はがっちりしていて、やっぱり男の子なんだなと思う。
大賢者として、いつもユリーベルの傍にいてくれるこの人に、いつか恩を返せる時は来るのだろうか。
その時、ユリーベルはふとそんな事を考える。
その答えはまだ分からないけれど、今はこうしてただ時間が流れるままに、身を委ねていたいとユリーベルはそう思った。
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