第12話 そして少女は決意する。
マリーベル・シュベルバルツは、サルファ・グラッサムの妃になる。
その手紙をあの王は『恋文』だと言った。
しかし、その手紙は恋文などという生ぬるいものでは無かった。
——脅迫書。
彼が送ったたった一枚の紙切れによって、最愛の姉は人質となったのだ。
その日の夜。
ユリーベルは夕食を一人で食べ、そのまま自室に戻った。
マリーベルは恋文を届けに来た兵士と共に王城に向い、未だに帰ってこない。
恐らくこの家に戻ってくるのは夜更けになるだろう。
薄暗い自室をランタンの火がゆらりと照らす。
「結婚……お姉様が……。」
未だに実感は無い。
相手があの、サルファ・グラッサムともなれば尚更に。
心の中にぽっかりと穴が空いたような気分になる。
ユリーベルは力なく、そのままベットに倒れ込む。
ぽふっとふかふかの布団が、ユリーベルの身体を包んだ。
「——なんだ、泣いてるかと思っていたが、随分と平気そうだな。」
レディの部屋にノックも無しに現れたのは、礼儀知らずの大賢者だった。
ドアにもたれ掛かって、ユリーベルに話しかける。
「平気……?そう見える?」
「少なくとも俺は、今頃お前は枕を涙で濡らしていると思っていた。相変わらず気丈に振る舞うのは上手なこった。」
「馬鹿ね。私は両親が死んだ時ですら、涙を流さなかった女よ?」
そんな無駄口を叩けるくらいの気力はあるらしい。
ただやっぱり、今日の事を思い出すと気分は沈む。
「マリーベルの事を考えているのか?そんなに嫌ななら反対すれば良い。」
「それが出来る程、私は強くないわ。それに……」
と、マリーベルの姿を思い描いたところで一つ、疑問が浮かぶ。
いつも笑顔を絶やさない、優しいマリーベル。
しかしそんな彼女が唯一、ユリーベルに嫌悪の目を向けた事があった。
それは、記憶として残っている未来の話。
処刑される事が決まったその日の夜、ボロボロのユリーベルの前に現れた、マリーベルの姿。
その姿を思い返して、ユリーベルはゆっくりと起き上がる。
「ハルムン。一つ、質問があるわ。」
「なんだ?結婚を止める方法か?」
ユリーベルは首を横に振る。
「——未来でも、お姉様は国王の妃に選ばれたの?」
その質問に、ハルムンは口を閉じた。
そしてゆっくりと、ユリーベルの部屋に足を踏み入れる。
ランタンの淡い光が、彼の影を生み出す。
ハルムンはソファーに腰を下ろすと、端的に、
「ああ。」
そう答えた。
その答えに、ユリーベルは静かに俯く。
「……そう。」
「驚かないんだな。」
「何となく、そんな気はしていたから。あのお姉様が、マリーベル・シュベルバルツとして私を見捨てる訳が無い。ならきっと、あの時のお姉様は違う地位に居た。公爵家よりも優位の立場。それは国王の妃だろうと、そう思っただけよ。」
なら納得がいく。
どうして、あの時ユリーベルの手を掴んでくれなかったのか。
あの処刑前夜、彼女は国王の妃としてユリーベルの前に立っていたのだ。
「それが分かって、お前はどうする?」
「どうするも何も……今の所は、私が処刑される未来の道を寸分違わずに進んでいると分かっただけよ。」
その事実が分かっただけでも、ユリーベルからしてみれば収穫があったと言えるだろう。
「——本当にそうか?」
その言葉に、ユリーベルは思わずハルムンの方を向く。
ソファーに腰掛けていたハルムンは、肘掛に肘を付きながら、真っ直ぐユリーベルを見つめた。
「本当にあの未来通りに進んでると思うか?……この俺がいても?」
「ハルムン……?」
「お前の姉はあの男の支柱に収まった。お前の姉は人質になったんだ。なあ、ユリーベル。——お前は本当にそれでいいのか?」
「何を、言っているの……?」
ハルムンの真剣な眼差しは、まるでユリーベルの心の奥底に眠る本心を暴き出そうとしているようだった。
その視線に、ユリーベルの瞳が揺らぐ。
「確かに、これでお前自身は動きやすくなる。シュベルバルツの当主として、表立って行動出来るからな。だがそれを一歩でも間違えれば、あの王は必ず、お前の姉を殺すだろう。」
ハルムンの言葉に、背筋が凍る。
そうだ。妃になるとはいえ、安全は保証出来ない。
ユリーベルが失態を犯せば、あの冷酷無慈悲な男は、すぐにでもマリーベルの首に刃を突き立てるだろう。
「それが、お前の望んだ『姉の幸せ』なのか?それで、お前は満足なのか?」
ああ、忘れていた。
そうだ。あの男は何も変わらない。
ユリーベルの最愛の姉を妃とし、笑顔で玉座に座ろうとも、その先に見据えているのは永遠に続く闇だ。
私の望みは、お姉様が幸せになる事。
ここで甘んじてはいけない。
ここで全てを許してはいけない。
そうしてしまったら、その先に待つのは絶望の死のみ。
いつか、ハルムンが言った言葉を思い出す。
「ねえ、ハルムン。私は本当に、自分の望みを叶える事が出来ると思う?」
「愚問だな、ユリーベル・シュベルバルツ。お前の目の前には誰がいると思っている?」
その問いは、自信に満ち溢れていた。
思えば最初から、この男はそういう奴だった。
自信過剰で、自意識過剰で、でもだからこそ、本当になんでも出来るようなそんな気がする。
ユリーベルは静かに立ち上がり、窓を開けた。
強い風が、勢いよくユリーベルの顔を殴る。
——もう、クヨクヨしている暇は無い。
ユリーベルはくるりと円を描くように、振り返るとハルムンに告げた。
「ハルムン。私は——この世界を変えるわ。」
その刹那、月明かりが雲間から顔を覗かせる。
ユリーベルの美しい黒髪が淡く輝きを放ち、宝石のように光り出す。
決意を固めたその瞳で、ユリーベルはハルムンを見つめた。
息が詰まりそうな程、美しいユリーベルの姿にハルムンは心を奪われる。
最初はただ、興味本位で提案したその言葉を、彼女は実行しようとしている。
——ああ、お前ならば本当にこの国を……。
ハルムンの瞳に映るユリーベル。その頭上には輝かしい王冠が見えていた。
きっと彼女は世界を変える。この国を、未来を変えるのだろう。
「だからハルムン。私に協力して。私に力を貸して。」
堂々とした佇まい。風がユリーベルの長い髪を靡かせ、その髪は羽のように宙に舞う。
その翼は果たして、天使か悪魔か——。
そんな事、ハルムンにとってはどうでもいい事だった。
立ち上がったハルムンは、静かにユリーベルの手を取り跪く。
「いいぜ。今日から俺とお前は共犯者だ。お前と共に、この世界を変えて見せよう。——ユリーベル・シュベルバルツ。」
そうして、二人は契約を交わす。
見届けるのは、小さな月の光のみ。
「それで?最初はどうするんだユリーベル。」
「そうね……それじゃあ手始めに……」
ユリーベルの瞳が、闇の中で輝く。
その微笑みは絵画のように美しく、同時に悪魔のように魅力的だった。
そしてユリーベルは告げる。
新しい朝の幕開けを。
新しい世界の幕開けを。
「——この国を、滅ぼしましょう。」
そう。これは復讐の物語。
たった二人ぼっちの少女と青年が、世界を変える物語。
そして、その代償は……。
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