第13話 花弁に囲まれて宝石は輝く
✿
——世界を変える。
その手始めに、まずは……。
ユリーベル・シュベルバルツは決意する。
全ては姉が幸せに過ごせる世界を作る為に。
「帝国の光にご挨拶申し上げます。」
「ああ、待っていたよ、ユリーベル。」
サルファの使いがシュベルバルツ邸に赴き、それを宣言してから数日と経たずにユリーベルは王城へ足を運んでいた。
『——シュベルバルツ家現当主マリーベル・シュベルバルツを帝国国王の妃に迎える。』
朝の目覚めにはこれ以上無い最悪なプレゼントだ。
玉座に座るサルファに、ユリーベルは尋ねる。
「私の姉、マリーベル・シュベルバルツを妃に迎え入れると、お伺いしました。」
「ああ、事実だ。マリーベル・シュベルバルツはその人当たりの良さからも家柄からも、俺の妃になるに相応しい。」
いつものように、冷たく凍るような瞳を向けるサルファ。
やっぱり彼は狂っていると、そう確信した瞬間だった。
そして、ユリーベルは考える。
どうする事が一番お姉様にとって幸せなのか、と。
否、考える事など無い。その答えはとても明白で、それをユリーベルは考えるより前から知っているのだから。
口を閉じ、頭を下げるユリーベルの姿にサルファはニタリと笑う。
「祝福しては、くれぬのか?」
ギリッと歯を噛み締めた。
祝福?私のお姉様を奪っておいてその果てに、祝いの言葉を欲するの?
強欲なんてものでは無い。彼はそれ以上の次元にいる。
けれど、ここで今彼に逆らっても、メリットはひとつも無い。
——耐えなさいユリーベル・シュベルバルツ。今はまだ、その時では無いわ。
それに……。
「勿論、心から祝福致しますわ。我が姉がこの素晴らしい帝国の妃となり、陛下を支えるのですから!これ以上無いくらいの喜びで、胸が一杯なのです!」
そう。これが正しい選択だ。
煮えたぎる殺意を必死に押さえつけて、ユリーベルは作り笑いを浮かべる。
これから先、ノルーベルが自分の近くにいない方が、色々と行動しやすい。
それに、皮肉な話だけれどこの男の隣が、今の帝国では一番安全な場所でもある。
真にお姉様を思うのなら、これが最良の選択。
決して吐き違えてはならない。この男がその椅子に座り、王冠を被り続ける限り、お姉様の生活の安全は約束されるのだから。
「君ならそう言ってくれると思っていた。ありがとう、ユリーベル・シュベルバルツ。そして……おめでとう、ユリーベル・シュベルバルツ!君がこれからシュベルバルツ家当主となる。これからも是非とも帝国の為に尽くしてくれ。」
ああ、この男はどれ程先の未来を読んでいるのだろう。
マリーベルが国王の妃となれば、自動的にユリーベルがその座に着く事になる。
そうなれば、今までみたいに裏でコソコソと行動する理由は無い。
シュベルバルツ家当主と言う肩書きがあるのだから。
サルファはそれすらも見越していたと、そういうのだろう。
「私、ユリーベル・シュベルバルツは、誇り高きシュベルバルツ家の当主として、これから先も帝国の……国王陛下の為に尽力を尽くす事を誓います。」
思ってもいない言葉を口にした。平然と、心の底からそう思っているかのように、嘘を吐く。
ふと、心の中で思ったことがある。
ユリーベルの父親であるアルカーベル・シュベルバルツも、帝国の軍門に下る時こんな感情だったのだろうか。
心にも無い忠誠を口にして、耐え難い屈辱を味わう。
頭を下げて、自分の表情がサルファに見えない事が幸いだ。
今のユリーベルの表情は、忠義を誓う者の顔では無いから。
怒りに塗りつぶされた、笑顔とは真逆の顔。
それでも決して、ユリーベルはその怒りに飲まれる事は無い。
それすらも糧として、自分の願いを果たすのみだから。
✿
謁見の間を後にしたユリーベルは休憩がてら王城の外にある宮廷に足を向かわせた。
そこは、サルファが決して寄り付かない場所。
あの男は王城以外に目もくれないから。
宮廷は歴代のお妃が家として使っていた場所でもある。
つまり、マリーベルはこれからこの場所で暮らすのだ。
国王と結婚するとは言っても、そこに愛やら恋やらそんなものがある訳では無い。
儀式的な結婚。だから、国王とその妃が同じ屋根の下で暮らす事も無いのだ。
ただ、子孫繁栄の為に年に数回、もしくは国王に呼ばれた時のみ妃も王城での夜を過ごす。
宮廷には、沢山の花が咲き乱れていた。
赤、ピンク、紫、黄色。花々が宮廷に色を塗っているようだ。
「……お姉様。」
誰もいない宮廷の庭で、ユリーベルはボソリと呟く。
これからマリーベルには簡単に会えなくなるだろう。
それだけじゃない。今のユリーベルは、マリーベルを人質に取られたも同然だ。
言葉の無い、無言の圧力。しかし、言いたいことははっきりと明確だ。
『この先、勝手なマネをすればマリーベルの命は危なくなる。』
愛する姉と引き剥がされ、脅され。あの大きなシュベルバルツ邸に、これから一人ぼっち。
姉と二人きりの楽しい食卓を囲む事も、出来ない。
世界を変える。その為に、この国を滅ぼす。
そう決めた。そう心に誓った。
けれど、だからといって、最愛の姉と離れ離れになる苦痛はユリーベルの中でとても大きなものだった。
「……お姉様……!!!」
ノルーベルの暖かい温もりを思い出すだけで、自然と瞳が潤んだ。
涙が溜まって、そして溢れてくる。
ユリーベルの瞳から零れ落ちた雫が、日光できらりと光り、そのまま花々を濡らした。
今にも心が折れそうだ。
お姉様がいなくなると考えるだけで、こんなにも震えが止まらない。
ユリーベルは声を殺すように、ひくっと、声にならない声を漏らす。
何度手で拭いても、止まることの無い涙。
そのうち、手は涙の雨でシワシワになっていく。
「——泣いておられるのですか?」
その声は、ユリーベルの背中から聞こえてきた。
驚きと、情景反射で、ユリーベルはすぐに振り返る。
マリーベルの髪と同じ黄金の瞳に、雪のような白銀のサラサラとした髪。
優しそうな目元は、オルリン王国のナルドを思い出させる。
ビシッとした服は上質な素材で出来ていて、すぐに貴族以上の人間だと見分けが着いた。
それに、胸ポケットに刺繍されているその紋章は……。
男は、ゆっくりとユリーベルに近付くと、裏ポケットから純白のハンカチを取り出す。
「どうか、涙をお止めください。シュベルバルツ公女様。」
男はハンカチをユリーベルの目元に当てた。
ユリーベルの涙がハンカチに丸い染みを作る。
「こんなものでよろしければお使い下さい。」
「……驚かれないのですね。私が泣いている理由もお聞きにならないなんて。」
「お聞きした方がよろしかったですか?」
ユリーベルのちょっとした意地悪に、男は困惑した顔を見せる。
その表情を見た時、ユリーベルはこの男が本当の優しさで行動している事を悟った。
「いいえ。寧ろ尋ねないで下さって、感謝しますわ。けれど……私は誰かに涙を拭ってもらう必要はありませんの。」
ユリーベルはハンカチを持つ男の手をそっと下ろさせた。
「私は誰かに頼れる程出来た人間ではありませんから。」
それに、ユリーベルの悲しみを誰かが止められるわけはない。断ち切れるわけが無い。
自分が行動しない限り、何も変わらない。
自分が死ぬ、あの未来すら。
それをユリーベル自身が知っていた。
「それでは、失礼しますわ。」
ユリーベルは男に頭を下げ、横をスっと通り過ぎる。
待ってください、と伸ばす男の手は彼女の髪先に触れる事は無かった。
くるっと振り返ったユリーベルのドレスが花たちによって飾られる。
柔らかな風がユリーベルの美しい黒髪を靡かせた。
「——一応、ありがとうございますと伝えておきましょう。カイル・アルファード様。」
その心優しいお姿、きっと忘れません。
そう心の中で呟いたユリーベルは、帝国が誇る四大公爵家の一つ、アルファード家長男のカイル・アルファードに背を向けた。
ユリーベルの小さな背中をただ、脳裏に焼き付けるファイは、彼女に渡せなかったハンカチを固く握り締める。
彼にはユリーベルがとても弱々しく思えた。
同じ四大公爵家のユリーベル・シュベルバルツ。
——今度会う時は是非、貴方の笑顔が見られますように。
そんな願いをユリーベルに向けたカイルは、その心に小さな蕾が出来ていることを、まだ知らない。
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