第14話 婚姻の儀


あの日から、約半年が経った。

その間目まぐるしいく日々は流れて、気が付けば明日、婚姻の義が執り行われる。

半年間、マリーベルはユリーベル以上に忙しなく過ごしていた。

その殆どが、妃教育で合間には当主としての仕事をユリーベルに引き継ぐべく様々な事を教えてくれた。

そんな時間も、瞬きのように過ぎていき、いよいよ朝日が登ったら、マリーベルはシュベルバルツを名乗る事は無くなる。

つまり、サルファとマリーベルが正式に結婚するというわけだ。

「はぁ……」

「どうした、何か心配事か?」

「私、ちゃんと当主として一人前になれるのかしら。お姉様がこれまで、どれだけ当主としての仕事を全うしてきたのか、今になって良く分かるわ。」

流石のユリーベルも、当主の仕事を全て一人でこなすのは気が滅入る。

ユリーベルのシュベルバルツとしての仕事は、あくまで裏方専門。

表……つまり、社交の場ではノルーベルがシュベルバルツの仕事をしてくれていた。

けれどこれからは、それすらもユリーベルがこなす事になる。

「……大丈夫かしら、私。」

夜更けに雑務を片付けながら、ボソリとユリーベルは呟いた。

「なーに湿気た面してんだ。お前ならやれる。俺はそれをこの半年見てきた。」

「ハルムン……」

ユリーベルが座る横で、ハルムンは机に腰掛ける。

薄闇の中、ロウソクの明かりが怪しげに揺らめいた。

淡い明かりが、二人の頬を照らす。


——弱音を吐いてはいけない。シュベルバルツの人間たるもの、いつだって凛々しくいるのよ。


「それもそうね、ありがとうハルムン。」

「……なあ、別に俺の前では強がん無くてもいいんだぜ?」

「……ハルムン?」

「俺とお前は運命共同体みたいなもんだ。だから俺には自分を偽らなくていい。俺は、どんなお前だって、受け入れるさ。」

ハルムンはそう言って、優しく微笑む。

その顔がやけに大人びて見えて、ユリーベルの縛られていた心の紐を緩めた。


——励ましてくれるのね、この男でも。


とふいに思い出す。半年前、ユリーベルの涙を唯一見た男の事を。

ユリーベルの弱さに、向き合おうとしてくれた一人の男の事を。

あの時は焦りと混乱と、色々な感謝が入り混じって何とか理性を保っていたけれど。

冷静になって思い返せば、そこそこに醜態を晒したのだ。それも、あの四大公爵家の人間に。

「……!最悪よ!シュベルバルツの人間として一生の恥だわ!」

「は!?何だ、いきなり!?」

「なっ、……なんでもない……。」

思い出すだけで、今にも体が熱くなる。あれは、サルファとは別の意味で危険な男だ。

無垢というか、純粋というか、彼の優しさは本物だ。

偽りがない分、他の人間よりも厄介な存在。

本気でユリーベルを心配するあの瞳が、こびり付いて離れない。


……でもまあ、もう関わらないでしょうけど。

そう、だからすぐに忘れてしまおう。


それよりも今は、明日の婚姻の義が優先だ。


明日、愛おしい姉が国王と結婚する。

準備もあって、もう既にマリーベルはこの家を離れているけれど、明日の事を考えるだけでユリーベルの心は重くなった。

会いたくても、もう会えなくなる。

明日が来なければ良いのに、なんて言う幼稚な願いを心の中に抱きながらユリーベルはペンを走らせた。

「お姉様の晴れ舞台ですもの。私が粗相をしてはいけないわ。」

「じゃあ俺がぶっ壊してやろうか?」

「それは絶対にやめて。」

サルファは今でも信じられないし、正直姉を送り出すのは不安で一杯だ。

それでもユリーベルはもう、自分の感情だけで物事を測ってはいけない。

彼女はシュベルバルツ家の当主なのだから。

一通り雑務を終わらせたユリーベルは、ふうっとロウソクの明かりを消す。


——折角なら、明日は雨が降れば良いのに。


そんな事を考えながら、ユリーベルは夢の中へ誘われた。


‎✿ ‎


そんなユリーベルの期待を大きく裏切るように、空は燦々と太陽が輝いている。

「お姉様!」

ここは、王城。その一室にいるマリーベルに会いに来たユリーベルは嬉しそうに声を上げた。

今日は挙式の後に、記念パーティーがある。

国民に向けたパレードは明日開催される予定だ。

今日は四大公爵家を初めとする、貴族の者たちで王城は溢れかえっている。

歴代の国王が挙式を挙げる王宮へは、この王城を突っ切ればすぐにたどり着く。

その一本道を挟むように、貴族達は並んでいた。

王城から王宮へ向かうこの一本道が、小さなパレードになっている。

「ユリ!来てくれたのね!」

「勿論ですわ!一番早く、お姉様に会いたかったですもの!お姉様。ドレス、とても良くお似合いです!」

純白のドレスに身を包んだノルーベルは、化粧の相まって、いつも以上に気品溢れる姿だ。

今日の主役であるマリーベルとサルファ。二人が並んで王城から王宮への道を歩く。

その後ろに付いて歩けるのは、二人の親族と神官のみ。

シュベルバルツは、今ユリーベル以外誰もいないので、彼女のみの出席になる。

その後、マリーベルとサルファは馬車に乗って帝都中を回る。

国民に、新たな妃をお披露目する為だ。

それも相まって、今日は帝都全体が浮き足立っている。


マリーベルの美しい姿を目にしたユリーベルは、瞳をキラキラと輝かせた。

「本当に綺麗……帝国いえ、世界中で一番美しいです!」

「ほ、褒めすぎよユリ……!でもありがとう。凄く嬉しいわ。私の可愛い妹にそう言って貰えて。」

ふわりと、ユリーベルの頭に手を置いたマリーベルはゆっくりとその髪を撫でた。

マリーベルに頭を撫でられて、上機嫌なユリーベルはにこりと微笑む。

その微笑ましい姉妹の姿は、誰がどう見ても幸せそうな家族そのものだ。

「ユリーベルも、素敵なドレスね。よく似合っているわ!」

「お姉様の結婚に合わせて見立ててもらったんです。」

ユリーベルが身に纏うドレスは、彼女にしては珍しく鮮やかな色のドレスだった。

マリーベルの黄金の瞳をイメージした宝石がきらりと輝きを放つ。

纏められた髪には、美しい装飾が飾られていた。

「わざわざ私の為に……本当に貴方は自慢の妹だわ、ユリ。」

「私も、お姉様が私の自慢です!」

和気あいあいと和む空気に終わりを知らせる合図が鳴り響く。

コンコンとノックされたマリーベルは、どうぞと、使用人を中に入れる。

「王妃様。国王陛下の準備が整いました。」

「そう。今行くわね。……行きましょうユリ。」

王妃と呼ばれたマリーベルは、それまでの柔らかな表情から一変、キリッとした目付きになった。

マリーベルはもう、シュベルバルツの当主では無く王妃と呼ばれる事になる。

それをユリーベルは今、思い知らされた。

「はい、お姉様。」



——婚姻の義は、思いの外順調に進んだ。



様々な貴族が、サルファとマリーベルに挨拶をする。

「おめでとうございます、国王陛下!」

「ご婚姻、おめでとうございます!」

「帝国の光に祝福を!」

そんな声で溢れかえっていた。

貴族達はこれでもかと言うくらいに、盛大に祝っている。

ただ単純に祝う声でもあるが、実際は別の思惑があるのだろう。

皆、この機会に国王とお近づきになりたいのだ。

貴族らしい嫌な考え方に、後ろを歩くユリーベルは少しだけ息が詰まる。

前を歩く、自分の姉は凛々しい顔つきで貴族達に手を振る。

いつもより背中を伸ばし、にっこりと微笑みながら歩く自分の姉の姿が、ユリーベルはやけに遠く感じた。

王宮に辿り着く頃には、ユリーベルの体調は少し悪くなっていた。

とは言っても、倒れるほどでは無くただ目眩がするくらい。

ユリーベルは二人に事情を話し、王宮の外へ足を向けた。


「——大丈夫かしら、ユリ。」

「君の妹ならば平気だろう。あれでも気は強い。」

「そうですわね。ユリはいつだって、強い子ですもの。」


王宮では、純白のタキシードを身にまとったサルファとマリーベルがボソリと話をしていた。

顔も覚えられないくらいに沢山の貴族が、二人への挨拶を済ませる。

ずっと立ち続けているせいか、マリーベルの足はヒリヒリと痛み始めている。

サルファは、といえば相変わらず他人には興味が無い。

上辺だけの笑顔を向ける人間など、仮面をつけている者より気持ち悪い。

そんな事を考えている二人の前でに、また新たな者が現れる。

「ご結婚、おめでとうございます。国王陛下、王妃様。新たな帝国の光に祝福致します。」

二人の前に跪いた男の名前は、マリーベルでも知っていた。

胸に刺繍された家紋は、帝国にいる人間なら誰でも知っているだろう。

サルファがその瞳に映す男は、深深と頭を下げている。


「祝いの言葉、感謝する。——カイル・アルファード。」



サルファに名前を呼ばれたカイルは、ゆっくりと顔をあげた。

「アルファード家当主、グリア・アルファードの名代として参りました。当主に代わり、お二人を祝福します。」

アルファードを象徴する深い青のローブをひらりと靡かせ、カイルは立ち上がった。

「そうか。グリアは元気にしているのか?」

「はい。暫く体調を崩しておりましたが、今は元気です。この祝いの場に出席出来ないことをとても悔やんでおられました。」

「そうであったか。グリアにも感謝の言葉を伝えておいてくれ。」

「はい。国王の寛大な言葉に、感謝します。」

サルファとの話を終えたあと、カイルはちらりとマリーベルを見た。

その瞬間、パチリとマリーベルと目線が合う。

何か話をしなくては、と心の中で焦ったカイルの口から出たのは、ずっと頭の中から離れない人物だった。


「——ユリーベル様は、お元気でいられますか?」


思わぬ人物の名前に、マリーベルはきょとんと、目を見開いた。

社交嫌いな、自分の妹に男性の知り合いがいただなんて。

それもあの四大公爵家、アルファードの人間。

マリーベルはその返事を返すのが少し遅れたが、いつもの笑顔を作ったままにこりと答える。

「ええ。妹もこの場に来ておりますわ。今は気分が悪くなったとかで離れておりますが……夜のパーティーには出席すると思います。」

「……そう、ですか。なら、ユリーベル様にもご挨拶したいものですね。」

「妹をご存知で?」

「ええ、まあ、その……。個人的な興味が……。」

「んふふ。ユリに興味を持たれるなんて、カイル様は変わったお方ですね。でも、妹にまで気を使って下さって、ありがとうございます。」

「いえ……!気分が良くなればいいのですが……。今日はいい天気ですし、パーティーだけでも楽しめるといいですね。」

そう話をするカイルは、窓の外を見た。

照りつける太陽はまだ眠りにつく気配は無い。

この光が沈み新たな光が世界を見守る時、二人は再会する事が出来るのだろうか。

カイルの心に刻まれた、涙を流すか弱い少女。

今日また会えたのなら、その時は笑顔を向けてくれるといいけれど。

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