第15話 その微笑みはシャンデリアよりも眩く

夜の闇とは裏腹に、その場所では目が眩みそうなほどの輝きで包まれていた。

王城の一室。

ホールを飾るのは、大きなシャンデリア。

細部にまで細かな彫刻で模様が刻まれていて、その淡い光がホール全体を照らす。

音楽劇団のクラシカルな音楽は、その場を活気立てていた。

帝国自慢のシェフ達が作り上げたよりすぐりのディナーは、並べられているだけでも食欲を唆る。

メイドや執事が持つシャンパンは、帝国の中で一二を争う酒屋から仕入れたものだ。

そのどれもに莫大なお金が動いている。

その金は、貴族達の献上金も含まれているが、何より国民から奪い取ったものだ。

それを湯水の如く好き勝手に利用している貴族が、今この場所に無数といる。


——考えるだけで吐き気がするわ。


ユリーベルは婚姻の義の後、王城に準備された部屋に通された。

明日の事もあり、マリーベルの妹であるユリーベルは王城の部屋を貸して貰えたのだ。

その部屋に通され、一息着く間もなく今度はパーティーの準備。

メイド達に手伝ってもらい、ドレスも着替え髪を結い直して……。

あまり社交界に顔を出さないユリーベルにとって、準備するだけでも気力が無くなりそうになる。

婚姻の義よりも派手なドレス。紫と黒を基調にしたドレスに、エメラルドやブルーダイヤモンドの高級な宝石。靡く髪には黄金の髪飾り。

ユリーベルの異質すぎる美しさも相まって、貴族達の視線を独り占めした。

「見て、あれがシュベルバルツ家の……。」

「では王妃様の妹君ですわね?」

「何と美しい……王妃様とはまた違った輝きがありますわ。」

「社交界に顔を出さないと聞いた時から、どんなお顔をされているのかと思いましたが……こんなにも美しいのですから突然ですわ。」

「ええ。あんなにもお綺麗なのですから、社交界でもお目立ちになられますもの。」

ユリーベルを遠巻きに見る貴族令嬢達は、コソコソと話の的にする。

聞き耳を立てるつもりが無くても、ユリーベルの耳には自然とその話し声が聞こえてきた。


パーティーに出席しただけでこれだ。

あと数時間もこの場所にいなくてはいけないと考えただけで、頭が重い。

とはいえ、愛する姉に恥をかかせるわけにはいかない。

ダンスが始まるまでは、この場に留まらなくては。

「これは、これは。ユリーベル公女では無いか。」

「……国王陛下。帝国の光にご挨拶申し上げます。」

「良い。宴の場で固くなられても困るのでな。」

一人でシャンパンを飲んでいたユリーベルに声をかけたのはサルファだった。

今日の主役が何故自分のところに、と疑問になりながらとりあえず微笑んでおく。

「宴は楽しんでおるか?」

「はい、とても。ですか慣れていないものですから……少し、気が滅入ってしまいます。」

「君の口からそのような言葉が出てくるとはな。俺の知っている君らしく無い。」

「私だって、女の子ですから。たまの時にはこうして本音が漏れだしてしまうこともありますわ。」

ユリーベルとサルファの前で、沢山の貴族令嬢が楽しげに笑いあっている。

多分、ああいうものを『友達』だと言うのだろう。

ユリーベルにはその感覚が分からなかった。

これまで、ユリーベルに友達と言うべき存在がいた事は無い。

友情は所詮偽物で、ガラス細工のようにヒビが入れば割れてしまう。

それがユリーベルの『友達』の定義だった。

けれど、実際に目の前で歳の近い女の子が仲睦まじく笑っている姿を見れば、少しだけ……。


「——羨ましいか?」


まるでユリーベルの心を見透かしているように、サルファは尋ねた。

その赤い髪が、シャンデリアの明かりに透かされている。

もう一度令嬢達を見たユリーベルは少し目を細めた。

「どうでしょう。友達が欲しいだなんて考えた事すらありませんでしたから。ただ……そうですね、今の感情を言葉にするのなら……。眩しいです。」

ユリーベルはあの輪に入る事は出来ない。あの光の中で、共に笑い合うことは。

だからだろうか、少しだけ目が眩むのは。

シャンパングラスを手に持ったサルファは、ユリーベルと同じように少女達を見つめる。

が、その瞳の中はユリーベルと真逆のものを宿していた。

「友などと言う存在は、何をするに置いても第一に邪魔になる。偽りの情を語り、それが本物であると信じ込む。そして、最後には全てを切り捨て我が身を選ぶ。それが友達とやらの行き着く先だ。」

どこまでも冷たく、それでいて悲しい事を言うのだなと、ユリーベルは思った。

今隣にいるこの男が、どんな道を辿ってきたのかは知らないけれど。

——そんな考え方をするようになったのは、いつからですか?

ユリーベルは、行き場のない思いをシャンパンで飲み込んだ。


「……まあ、ただ。——君となら友になれると思うよ。ユリーベル・シュベルバルツ。」


それは思っても見なかった言葉だった。

ユリーベルが見上げたサルファは、いつもより柔らかな目元で微笑んでいた。

その姿は、紳士と呼べるくらいに美しく、それでもどこか怖さが残り。

——こういう時、なんて言い表したらいいのか分からない。

けど。その時のサルファ・グラッサムは間違えなく冷徹無慈悲な国王などでは無かった。

「……陛下とお友達とは、他の臣下に恨まれてしまいそうですわ。」

「意外だな。君は人の目を気にする人間だったのか。国を統べる者でも分からぬ事があったとは。」

「では、お友達になるのは私の事をもっと深く知ってからという事で。」


「——それは昼夜問わずという意味かね?」


失言は絶対にしないユリーベルだったが、この時だけは自分を悔いた。

そんな風には投げ返すとは思ってもいなかったから。

「そっ……!それはっ……!!」

「ぷっ、あはははは!冗談だぞ、ユリーベル。妾がいるというのに、その妹にまで手を出す程馬鹿では無い。あははは!」

「……なっ……!」

ユリーベルは頬を真っ赤に染めて、声を出して笑うサルファを見つめた。

腹の中から体温が上がる。

それよりも驚いたのは、国王もこんな冗談を言ったりする事だ。

頭の中はずっと帝国を広めていく事しか考えていないと思っていたから、ユリーベルは色々な意味で拍子抜けしている。

けれど、どうしてだろう。

こうやって人目を気にすること無く笑い声をあげているその姿の方が、とても貴方らしいと感じる。

「——ぷっ、やめてください陛下が笑うから私まで……あはははは!」

何時ぶりだろう、こうして礼儀も気品も無く笑い声を出して、腹の底から笑ったのは。

変な感覚だ。この隣にいる男は、いずれユリーベルを殺すかもしれないのに。

そう分かっていても、この時だけは緊張感も無く彼が国王だと言うことすら忘れていた。

「成程、公女は笑うとそのような顔をするのだな。」

「あっ……いえ、これはその……忘れて下さい……。」

一応これでもシュベルバルツの当主だと言うのに、口を開けて笑ってしまうだなんて。

自分でも驚きの行動に、恥ずかしくなって顔を赤らめる。

「何、隠す事はない。我々は家族とやらになったのだ。なら、ユリーベルの素顔を見ても構わないだろう。」

「それはそうですが……。」

ユリーベルは顔を逸らす。

隣から突き刺さるニヤニヤとした視線に耐えられなくなったせいだ。

「まあ、とはいえ俺とて家族というものがどういった関係なのかは知らぬ。」

「……陛下には先代の皇帝がおりましたよね?」

「ああ。だが俺は、あれを父親と思った事は無い。先代とて、俺を息子と思った事は無いだろう。だからたまに、貴殿とマリーベルの関係が羨ましく思う。」

「私と……お姉様、ですか?」

サルファは手に持ったシャンパングラスをゆっくりと回しながら目を伏せる。

長いまつ毛が、その美しい瞳に影を落とした。

「俺にはあんな風に誰かと笑い合う事は無い。人に弱みは見せないからだ。誰かと関われば、それは自分自身の死を招く。友は要らない。家族すら、俺を殺そうとした。誰も信じてはならぬのだと、俺は幼い頃から知っている。」

「陛下は、それで良いのですか?」

「何故そんなに事を聞く。俺は今の自分に不満など無い。俺の人生は、自らの野望、悲願を叶える為だけに存在する。故に、俺の道を阻む者は斬る。」

孤高の存在。

永遠にこの人は、人に心を開く事は無いのだろう。

いつだって冷徹で、冷酷で、悪逆非道な道でも、それが自分の願いの為なら、間違いなくこの男はその道を選ぶだろう。

それは……少し、ユリーベルの在り方に似ている。

でも、今の彼女は一人では無い。

少なくとも、マリーベルは笑いかけてくれる。

少なくとも、あの屋敷で退屈そうな顔をしたハルムンが待っている。

もしも今、この男に向ける感情があるならば……同情、だろうか。


「その道に、何処まで御付き合いできるかは分かりませんが……私はシュベルバルツ家の当主として、陛下に忠誠を誓った身です。それに、『お友達』としても、出来る事があるなら仰って下さい。」


そして、決して忘れないで、サルファ・グラッサム。

貴方が私の姉に手をかけるなら、私はあなたの首に手をかける。

いつか私達の道は違えるでしょう。それが定められた運命だというのなら、私はその瞬間に必ず——貴方の敵となりましょう。


「…………」

サルファは、思わぬユリーベルの言葉に目を丸くさせた。

自分が今まで行ってきた行動が、正しい道では無いと知っている。もうこの手は血に染まり、穢れている事を知っている。

それでも、目の前にいる漆黒の女は、真っ直ぐな目でサルファを捉えていた。

——変わった女だな、ユリーベル。

「なら、これからは友としても、貴殿の活躍に期待するとしよう、ユリーベル。」

「はい、陛下。」

少しずつ月は高く登り、闇の中で輝きを放っていた。

いずれ、その闇が月の光を遮るとも知らぬまま。

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