第16話 月明かりに見守られて

「……はあ、何だかどっと疲れたわ。」


まさか国王があんな風に笑うなんて。今思っても変な感覚だった。

国王と別れたユリーベルは、外に出て空気を吸っていた。

庭園の中心には立派な噴水がライトアップされ、何とも幻想的だ。

見上げた月はいつもより少し高くて、今にも消えてしまいそうだ。

そんな悲しい月明かりの下で、今日の出来事を振り返る。


愛する姉の婚姻の義。美しい純白のドレスに身を包んだ姉は、妹ながらに惚れ惚れとした。

まあ、その相手が国王陛下で無ければユリーベルも言う事はないのだけど。

「お姉様は、大丈夫かしら。」

何も言わず、この婚約を受け入れたけれど今になって考えれば、もっと姉の本心も聞くべきだったかもしれない。

貴族達との馴れ合いも、嘘にまみれたお世辞の言葉も。

マリーベルには荷が重すぎるかもしれない。

「……お姉様が幸せになれる世界があるなら、私はその場所を目指す。」

今はまだ、伸ばしたこの手が月に届かなかくとも。いつか絶対に成し遂げてみせる。それが私の……ユリーベル・シュベルバルツの望みだから。

空に手を伸ばしたユリーベルを冷たいそよ風が包む込む。

肌寒いこの時期に、ローブも持ってこないで外に出たのは失敗だったかもしれない。

そう思っていた時だった。


「——ここにいらしたのですね。」


水飛沫の音と共に耳に響いたその声には、聞き覚えがあった。

柔らかく、優しさが滲み出ているのに低く心に響いてくる声。

ユリーベルがくるりと振り返ると、そこに居たのは青い髪をそよそよそと靡かせるカイルだった。

アルファードの家紋が入ったローブを肩から下げているカイル、ユリーベルに優しく微笑む。

「こんばんは、ユリーベル様。お気分はいかがですか?」

「カイル・アルファード……様。何故此処に?」

カイルの質問を無視して、ユリーベルは尋ねた。

そんなつんつんとした態度に、カイルはにこやかに答える。

「迷惑とも思ったのですが……貴方を探しておりました。」

「私を、ですか?」

「はい。ユリーベル様は何故外におられたのですか?そのドレスでは、肌寒いでしょう。」

見晴らしのいいバルコニーはこの庭園を一望出来る。もしかしたら、二人の姿を見る者もいるかもしれない。

変な噂が立つ前に、早くカイルから離れなくてはと、ユリーベルは素っ気ない返事をする。


「あの中は息が詰まりますから。笑いたくも無いのに笑みを浮かべて、噂話で盛り上がって。そういう事が私には似合わなかったのです。私はとても良く出来た人間ではありませんから。ああいう馴れ合いを目にするだけで、反吐が出るのです。」

嫌な干渉は要らない。

こうして詰まらない人間を演じれば、そのうちこの男も飽きてどこかへ行ってくれるだろうと、ユリーベルは口にだす。

「大人というのはそうして、いつだって平気で嘘をつきます。だから私は社交界が嫌いなのです。」

「だから普段は社交界に姿を見せないのですね。……その気持ちは僕にも分かります。」

ユリーベルには、その言葉が同情だと思った。不器用で、人の顔色を伺うことすら出来ない子供な自分を、哀れんでいるのだと。

「僕も、人と話す事は好きではありません。父にはいつも、お前は素直過ぎると言われました。すぐに顔に出てしまうので。だからあまり社交の場は好きでないんです。それに……ダンスで女性の足を踏むような男ですから。」

へらっと笑って見せたカイルの姿に、ユリーベルは偽りでは無いと悟った。

少し痛々しく笑うその顔は、ユリーベルもよく知っている。

何も出来ない自分に、その弱さを知りながら何も出来ない人間の笑顔。

過去の自分が、何度も何度も人に見せた顔だ。

「私も……。私も、ダンスは得意では無いです。ファイ様と同じ様にすぐ人の足を踏んでしまうので……。せっかくのエスコートも台無しにしてしまいます。」

ユリーベルがそう応えると、「なら同じですね」とカイルは嬉しそうに笑った。

初めてかもしれない。こうして自分から人に弱みを見せるのは。

カイルと共にいると、彼の優しさが伝わってきて心に染みてくる。

それが心地よくて、自然と自分を作るのを辞めてしまいそうになるのは、きっと彼があまりにも優しすぎるから。

「——良かった。今日は笑ってくれましたね。」

「……え?」

「この間は、泣き顔しか見れませんでしたから……。貴方は笑っている顔がよくお似合いです。」

カイルの着飾らない言葉に、ユリーベルは頬を赤く染める。

本音を剥き出しにするのも考えものだ。

「そっ……そういう事は面と向かって言わないで下さい!!」

ユリーベルが眉を吊り上げると、カイルは対照的に眉を下げた。

「何故ですか? 本当に笑っている姿がとても素敵だったのですが……。」

「あっ、貴方には羞恥心というものが無いのですか!?」

この人は変だ。

心を落ち着かせてくれたり、かと思えば掻き乱したり。

ユリーベル自身も知らない感情が溢れて、歯止めが利かない。

変だ。おかしい。こんなのユリーベル・シュベルバルツでは無いわ!

そう分かっていながら、目の前で子犬のようなつぶらな瞳でユリーベルを見つめるカイルに、何も言えなかった。


「……貴方はずるいです……。」


「? ユリーベル様、今何かおっしゃりましたか?」

「な、なんでもありません!!」

そんな事をしていると、空の上から綺麗な音楽が流れ始める。

暗闇が、王城から漏れ出す明かりでほんのりと輝いていた。

その聞きなれた音楽が、ダンスの開始だと知っているユリーベルは城を見上げた。

「もうそんな時間なんですね。」

「ユリーベル様は、ダンスを踊るんですか?」

ユリーベルはカイルの質問に、「それは嫌味ですか?」と目を細める。

成程、確かにこの男は素直過ぎる。と納得したユリーベルはカイルの質問に答えた。

「いいえ。私はそろそろ部屋に戻ります。今日は疲れましたし。」

グッと背伸びをしたユリーベルは王城の裏口から部屋に戻ろうと考えていた。

その言葉を聞いたカイルは、ゴクッと唾を飲み込む。

少しだけ震えている指先を、ユリーベルに向けて差し出した。


「——なら、僕と一曲だけ踊りませんか?」


ユリーベルは目を見開くと、照れ臭そうな顔をしたカイルがにこっと笑った。

「ここにはギャラリーはいないですし、シャンデリアもありません。あまり綺麗な会場ではありませんが……。」

本当に、この人は不思議だ。

こんなに心が落ち着かないのに、どこかで嬉しいと思っている。

ユリーベルはカイルの手を静かにとった。

「なら、観客は、この月と星々という事で。」

カイルはユリーベルを抱き寄せ、その腰に手を回す。

静かに一歩踏み出した二人は、微かな音楽を頼りに踊り始めた。

ユリーベルのドレスと、カイルのローブがゆらりと音に合わせるように揺れる。

「そういえば、カイル様は女性の足をお踏みになられるのですよね?」

ぎくっと、視線を逸らしたカイルは恥ずかしそうにぼそっと呟いた。


「……そこは、お互い様ということで……。」


くすりとユリーベルは笑う。

「大丈夫ですわ。私、多少の痛みなら慣れていますから。」

「その自信はあまり褒めたくありませんね。レディはもう少しか弱い方が守りたくなります。」

「あら、私は誰かに守られたいなんて一度たりとも思った事はありませんわ。」

「ええ。そうでしたね。貴方は出会ったあの日から、ずっと孤高で凛々しくて……とても美しい。」

カイルの頬を、月光が照らす。

銀色の髪が、真っ白に光る。

美しい顔立ちも相まって、まるで彫刻かと疑いたくなる程だ。

きっと、数多くの女性が彼の虜となるだろう。

「お褒めに預かり、光栄ですわ。」

カイルの言葉はいつも暖かい。優しさが滲んで、指先からそれが伝わってくる。

だからこそ、ユリーベルは思う。


——この人は、眩しすぎる。


今の自分には釣り合わない。

彼が白銀の月ならば、ユリーベルはそれを隠す闇だろう。

だからきっと、二人は相容れない。

少なくとも、ユリーベルはそう思っている。

王城から漏れ出す音楽に合われて、二人は踊る。

ユリーベルのドレスが美しい円を描き、カイルのマントが輝かしく靡く。

この瞬間を見ているのは、空に瞬く月と星々だけ。

だからどうか、気付かないで。


今、この時の胸の高鳴りを。

私が彼を見る、この眼差しを。


ユリーベル・シュベルバルツはその一時だけ、自分のしがらみを全て忘れ、ただのユリーベルとして笑う事が出来ていた。

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