第10話 謎と決意と進化

ナルドが指を指した棚の中に入っていたのは、手紙だった。

その差出人の名は『アルカーベル・シュベルバルツ』。ユリーベルとノルーベルの父親の名だ。

「どう、して……!?」

ユリーベルはあまりの驚きに、声を漏らす。

混乱で頭が真っ白になりながら、ナルドの方を向いた。

ナルドは、ベッドの上で仰向けになりながらユリーベルに伝える。

「どうして貴殿の父親からの手紙があるのかと、思っておるのだろう?我と貴殿の父親は面識があったのだ。とは言っても、殆どは外交の目的で、社交の場でしか顔も合わせなかった。」

そう語るナルドは、どこか天井とは別のものを見ていた。

ユリーベルは口を開けることなく、話を聞き続ける。

「だが、ただ一度。その手紙が送られて来た。驚いたものだよ。まさかあのアルカーベルから手紙が来るなんて思ってもいなかったから。もし良ければ、読んでみるかね、その手紙を。」

物腰柔らかな声に、いいのですか、とユリーベルは尋ねる。

「勿論。シュベルバルツの娘にはそれを読む義務……いや、権利がある。」

ナルドの言葉に、ユリーベルは静かに手紙を開けた。

少し日焼けした手紙は、真っ白とは言えなかったけれど大切に保管されていた事が分かる。

アルカーベルが生きていた時、それはつまり少なくとも三年以上前という事だ。

ユリーベルはその心臓を高鳴らせ、手紙の文字を追い始めた。


『ナルド・オルリン殿。

突然の手紙をどうか許して欲しい。これは同じ小国を治める者としての忠告だ。私の元に先日、帝国の国王がやって来た。彼は私に言った。「今の帝国には、この小国の国民を全員殺す為の兵器が準備してある。そして、シュベルバルツの力も知っている。力の秘密をバラされたくないのなら賢明な判断をするべきだ」と。

オルリン王国にとって重要視すべき事は前半の部分だろう。

どうか気をつけて欲しい。帝国には国一つを潰す為の核兵器がある。もし、帝国の人間が訪れたのならその時は、どうか選択を間違わないようにして欲しい。これは、友としての私の願いだ。

アルカーベル・シュベルバルツ』


その手紙を読み終えた時、ユリーベルの手は震えていた。

プルプルと小刻みに震え、それをユリーベル自身が自覚していない。

——怒りと呼ぶのだろうか。この感情を。

ふつふつと腹の中から煮えたぎるこの感覚。

何かが湧き上がる。頭の奥なのか、心の奥なのか、体の奥なのか。それは分からないけれど、でも。

……何かが今にも溢れ出そう。

「……。」

ユリーベルが静かに俯くと、手紙を読み終えた事に気付いたナルドが再び口を開いた。

「その手紙はアルカーベルからの忠告だ。だから私は、近い未来に帝国がこの国を訪れる事を知っていたのだ。もし、それが無ければ今頃、私は全力で抵抗していただろうね。」

声が、上手く出せなかった。

ユリーベルの長所は他人を欺くという所だと言うのに、この時はどうにも自分を作るという事を忘れていた。

それくらいに衝撃的だったのだ。


——お父様は、脅されて帝国に降伏したの……?


あの時、幼いユリーベルが見た父親の光景。

悔しそうに下唇を噛んで、俯く父親の姿。

『——それが、皆が一番、幸せになる方法だった。』

どれだけ屈辱的な気分を味わっただろう。どれほど辛い思いをしただろう。

国民全員を人質に取られ、脅され、屈服させられ。


……待って。なら一つ、腑に落ちない事がある。


三年前、突然の事故死で亡くなった父親。あれは本当に事故死なのだろうか。

もしかしたらまた、ユリーベルの知らないところで誰かが糸を引いていたのでは?

なら、アルカーベルの死は作られたもの……。

分からない。分からない事だらけで、頭が回らない。

視界が歪んで、指先に力が入らない。

私は……私は一体、どうすれば……。


「——何を迷っておる。シュベルバルツの娘よ。」


ユリーベルを現実の世界に引き戻したのは、ナルドの声だった。

はっと、ナルドを見るとそこには穏やかな顔で天井を見上げるこの国の国王がいた。

「言ったであろう。シュベルバルツの娘だからこそ、我は帝国に降伏すると。シュベルバルツはいつだって、自分の信じる者を信じぬき、愛する者を愛し抜いた。それが我の知る、シュベルバルツの人間だ。貴殿は違うのかね? そうでは無いのかね? その手紙一通で、全てを投げ出してしまうのかね?」

ナルドはユリーベルに投げかける。

そうだ。そうだった。

私はいつだって、お姉様の為に生きてきた。働いてきた。

今だって。いつだって。

ユリーベルが瞼を閉じれば、すぐに思い浮かぶのは姉の、マリーベルの笑顔だった。

太陽の下でにこやかに微笑んで、自分の名前を嬉しそうに呼んでくれる。

ユリーベルが守りたいもの。信じたいもの。愛するもの。


——それは、マリーベル・シュベルバルツ。


ゆっくりと目を開けたユリーベルに迷いは無かった。

ナルドに深深と頭を下げたユリーベルは、誇らしげな声で告げる。

「ありがとうございます。ナルド様。私は……信じます。大切な人の事を。それが誇り高きシュベルバルツの人間の在り方ですから。」

「はっはっ! それでいい。それでこそ、シュベルバルツの娘よ!」

自分の事のように、嬉しそうに笑うナルドを見てユリーベルの頬も緩んだ。

ユリーベルの中で守りたいものがもう一つ増えたのだ。

この、素晴らしい王様が守ろうとした人達を、今度はユリーベルが守る。

そう心に誓った。

「では、明け方に送られる書面に、サインをお願い致します。それから、本日中に国民への通達を。そうすれば帝国への全面降伏とみなし、オルリン王国は一時的に帝国の属領となります。後日手づきを踏み次第、正式に帝国の傘下に降った事になりますので、それまではまだナルド様が国王の座に座っていて下さい。」

「承知した。それから一つ。これからの国民の安全を約束して欲しい。不出来ではあるが、我には息子がいてね。我が逝った後もどうにか生きていて欲しいのだよ。」

ナルドの優しさを肌で感じたユリーベルは、その膝を地面につけた。

「勿論です。オルリン王国の国民、全面の生活を私……ユリーベル・シュベルバルツの名に誓ってお約束しましょう。」

地に膝を着けて跪くという行為は、帝国の中で『自分よりも尊敬するに相応しい者に忠誠を誓う』という意味を持つ。

それを、ナルドは知らないだろう。

だからこれは、ユリーベルの中での誓いだ。

この方の大切ナルドものをもう何も奪わせない為の誓い。


「——ありがとう、シュベルバルツの娘よ。」


そして、長い夜の終わりを告げるように、朝日が顔を出した。

ユリーベルが森に戻ると、退屈そうに木の上で寝ているハルムンがいた。

やっと終わったのか、と欠伸をかくハルムンにユリーベルはまたため息を漏らす。

「相変わらずね、ハルムンは。」

「……?一夜で俺の何が変わるんだ?」

ハルムンはきょとんと、不思議なものを見るような目でユリーベルを見た。

そう、ハルムンは何を知らないのだ。

この夜だけで、ユリーベルの中の色々なものが変わった事を。

明らかになった謎。そして、新たに深まった謎。

恐らく、ユリーベルはもう帝国を信用出来ないだろう。

それでも、マリーベルの為に。

ユリーベルは自分の心を欺いてでも今の幸せを手の中に収める。

「遅くなったけど……戻りましょう。——私達の国に。」


帝国国王、サルファ・ブラッサムの命令から僅か一日も経たずに、ユリーベル・シュベルバルツは隣国、オルリン王国を帝国の支柱に収めた。

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