第14話 恋する少女

 翌朝、鏡を見ながら慣れないスーツに身を包み、柊彩は参観の準備をしていた。

 普通ならあんな事件があった翌日、学校は休みになるだろう。


 だが聖光学園は普通の学校ではない、背後にあるのは国と聖教会。

 そしてそこに子どもを通わせている親も、財閥のトップやら政界の重鎮といった錚々たる顔ぶれ。


 もしここで休校にすれば『くだらないテロや事件に屈したと思われるのではないか』と彼らのプライドがそれを許さなかった。

 そして警察や自衛隊のみならず、私設軍までもを動員した厳戒な警備体制によって授業参観を強行、日本国内や世界に対して己の威信と権力を誇示しようというのだ。


「こんなもんでいいか?」


「少しネクタイがずれてますよ」


 とはいえ柊彩にはそんなこと関係ない。

 授業参観に来て欲しいと頼まれたので、やるなら行くだけである。

 ただスーツを着るのは初めて。

 そこで柊彩と違ってこうした正装に慣れている、というよりむしろ正装の方が着る機会の多かった日聖に手伝ってもらっていた。


「はい、大丈夫です」


「それじゃあ行くか」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 

 事前に決めていた時刻に、駅で奏音の母である美優みゆと父の慎二と合流、その後4人で聖光学園に向かう。

 警備が厳しくなったということで最初入れるか不安ではあったが、慎二たちの口添えもあったおかげかどうにか入校許可を得ることができた。


 ただそれに少し時間を取られたため、教室に着く入る頃には授業が始まっていた。

 できるだけ音を立てないように教室に入るが、どうしても少しだけ視線が集まる。


 それは奏音とて例外ではなく、振り返った時に柊彩と目があった瞬間、花が咲いたように頬を緩ませた。


「それではこの問題、わかる人!」


「はい、はい!」


 誰よりも早く大きな声で、奏音は真っ先に手を挙げる。

 教師に指名されると、黒板に書かれた問題にしっかりと答えてみせた。


「はい、正解です!」


 後ろで見ていた親御さんたちから拍手が送られる。

 しかし肝心の柊彩はというと、首を捻っていた。

 そんな柊彩を見て日聖は小さな声で言う。


「勇者様、しっかり拍手してあげないと」


「いや、本気で感心してるんだよ。俺はわからなかったのに奏音はすごいな」


「……勇者様も学校に通う必要があるんじゃないですか?」


「ははっ、そうかもな」


 笑って聞き流しながら、周りにやや遅れて柊彩も拍手する。

 奏音は授業中だがこっそりと振り返り、こちらに向けてピースをしていた。


 普段から真面目で積極的に授業に臨んでいる奏音だが、この日はいつも以上に頑張っていた。

 何度も手を上げて何度も答え、時折後ろを振り返っては満面の笑みを浮かべる。


 こうして授業が終わると、生徒は各々自分の両親の元へ向かっていった。

 奏音も両親の元へ、かと思いきや真っ先に柊彩の方に走る。


「ねえねえ、どうだった?」


「頑張ってたな、すごかったぞ!」


 やや乱暴に頭を撫でると、奏音は気持ちよさそうに目を細める。

 

「それよりびっくりしちゃった、まさかおにいちゃんが来るなんて!」


「はは、奏音のお父さんとお母さんに頼まれたんだよ。内緒にしてくれってな」


「えっ、そうなの⁉︎」


「そうなの。ほら、奏音もお母さんたちのところに行ってきな」


「ええー、まだおにいちゃんといたい!」


 やや頬を膨らませながら、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねて抗議する。


「ふふっ」


 その様子を見ていた日聖は思わず笑ってしまった。


「どうかしたのか?」


「いえ……ただ勇者様はバカだなって」


「なんでいきなり俺がバカにされなきゃいけねーんだよ⁉︎」


「秘密ですっ」


 柊彩は言っていた。


 柊彩たちと旅をするようになってからは奏音の特異体質が勝手に発動することは無くなった、ただその理由はわからない、と。


 だが奏音と出会って数日の自分ですらその理由がわかってしまった、だからあまりにも鈍感な柊彩に笑いを抑えきれなくなってしまったのだ。


 なんてことはない、凄く単純な話である。


 奏音は恋をしたのだ。

 奏音の愛嬌や愛想はそれまでずっと、無差別に周囲に振りまかれていた。

 だから無意識のうちに、特異体質によって周りにいる全ての人を虜にしてしまった。


 だが恋をしたことでその全てがたった一人に向けられるようになった。

 もっと自分を見て欲しい、もっと自分に構って欲しい、そんな想いは自然と柊彩一人に注がれる。

 それ故に意識して魅了しない限り、特異体質が他人に影響を与えることは少なくなったのだ。


 しかし柊彩があまりにも鈍感すぎるのか、奏音の力を持ってしてもまだ恋心に気づいてもらうことすらできていないらしい。


 いつか彼女の可愛らしい初恋が届きますように。


 日聖は心の中で密かにそう祈った。


「本当にありがとうございます、柊彩さん」


 少し離れたところから奏音を見守っていた美優は、タイミングを見計らってそう言った。


「すみません、自分ばっかり」


「いいんですよ、このために柊彩さんにきていただいたんですから」


「奏音もあんなに喜んで……何とお礼をしたら良いか」


「お礼なんていいですよ。ほら、見てください」


 柊彩はそう言って奏音を見る。

 柊彩が自分の親と話し始めたからか、今はクラスの友達と楽しそうに話していた。


「奏音が同年代の友達とあんな風に笑っている。それが見られただけで今日はここに来てよかった、心からそう思います」


「ふふっ……」


 本当はそれ以上の笑顔をずっとあなたに向けているんですよ。

 美優はそう柊彩に告げようとして、心のうちに留めておくことにした。


「これ以上お邪魔するわけにはいかないので、僕たちはそろそろ失礼します」


「えー、もう帰っちゃうの?」


「ああ、今日はな」


「また会えるよね?」


「もちろん」


「やったぁ!」


 今はまだ背伸びしてようやく頭を撫でてもらえるような、そんな小さくて可愛い『女の子』だけれど。

 きっといつかは誰もが見惚れるような美しい『女性』になって振り向かせてみせるのだろう。


「バイバイおにいちゃん!」


 その時がいつになるのかは見当もつかない。

 けど一つだけはっきりとしていることがある。


「ああ、またな!」


 それがどんなに遠い先のことであったとしても。


「ありがとうおにいちゃん、大好き!」


 その時まで二人の絆が切れることは絶対にない。




「ふふっ、顔が真っ赤ですよ」


「うるせーよ、あんな大声で言われたら仕方ねーだろが……ったく、つい最近までちっこいガキだったのによ」


 そしてそれは、案外近い将来のことなのかもしれない。

 照れくさそうにする柊彩を横目に見ながら、日聖はそう思ったのであった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 その日の夜。

 人気のない繁華街で二人の男女、氷上紗凪と朱鷺田廻斗は向かい合っていた。


「昨日アイツに会った、なんでも誘拐犯を捕らえたらしい」


「そう、さすが柊彩。考えるよりも先に動いてしまう、例えそれで自分が不利益を被るとしても」


「このままだとアイツが自分から首を突っ込むか、その前にアイツか聖女様の正体がバレる、時間の問題だ。教えてくれ、敵はどこにいる」


「敵は聖教会だけじゃない。それよりもっと深いところ、恐らくはこの国の……」


 紗凪の言葉を聞いて廻斗は静かに拳を握りしめる。


「俺たちは無力だ。結局俺たちだけでは聖女様を守りきれず、アイツに任せることになってしまった。死んだことになったはずの、勇者ではなくなったアイツに」


「でもこれはチャンスでもある。上手くことが運べば柊彩も聖女様も、普通の人の暮らしに戻れるのだから」


「わかっている。だからこそ必ず、アイツが気づく前に終わらせるぞ」


「ええ、必ず。柊彩と聖女様には安寧と平穏の日々を」


 二人は決意のこもった眼差しで互いに頷き合い、それからそれぞれの道に帰る。


 少しずつ、少しずつではあるが、平和を取り戻したはずのこの国は大きな変化を迎えつつあった。


 そして柊彩の配信者生活もまた、この日を境に大きく動き出すことになる……





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第一章まで読んでいただき本当にありがとうございます!

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