第9話 美浦奏音

 日聖は一瞬、柊彩の言葉が理解できなかった。

 

 涙を浮かべながら柊彩に抱きついているその子、奏音はどう見ても10歳かそこら。

 勇者が魔王を倒したのは3年前、つまりその言葉をそのまま信じるなら当時7,8歳の女の子が魔王討伐を果たしたこととなる。


「あの、冗談ですよね?」


「マジだって。なあ、奏音」


 奏音はコクリと頷く。

 その仕草一つとってもあまりにも可愛く、日聖は抱きしめたい衝動に駆られたがどうにか抑える。


「大きくなったな、今何歳だ?」


「12歳……おにいちゃんも大きくなった」


「俺?まあ大きくなったというか、歳をとったというか……」


 時間が経って落ち着いたのか、少し奏音も喋るようになった。

 それを見て大丈夫だと判断した柊彩は一度自分から引き離し、日聖との間に座らせる。


「今日はどうしたんだ?」


「おにいちゃん、ずっと死んだと思ってた……だけど生きてて、わたし、ずっと会いたくて……!」


 また泣きそうになる奏音を見て、柊彩は慌てて彼女を抱きしめる。

 泣いている姿もまた可愛くて、日聖は思わずこんないたいけな子を泣かせる柊彩を睨みそうになった。


「ホントごめんな、俺も色々あったんだ。悲しい思いをさせてしまったな」


「ううん、会えたから良い……」


 あの子が会いたいと泣いている、というのも嘘ではなかった。

 だがこれでもまだマシになった方である。

 勇者パーティの一人だったとはいえ、奏音はまだ幼い女の子。

 特に当時から柊彩に懐いていたため、魔王討伐からしばらくの間は今よりも塞ぎ込んでいた。


 柊彩が生きていると知って最も喜んだのは、間違いなく奏音だっただろう。

 だからこうして再会を果たし、言葉を交わすよりもまず直接温もりを感じようとするのも不思議ではない。


 とりあえず今は奏音の好きなようにさせてやろう、そう思っていると柊彩のスマホが鳴った。

 送り主は奏音の父親である慎二、内容は『三日後に授業参観があって来て欲しいが、奏音にはサプライズで黙っていてほしい』というものであった。


 日聖はそれを見てクスリと笑い、画面を柊彩に見せる。

 柊彩も黙って頷いた。


「なあ奏音、何か食べたいものはないか?俺は少しお腹が空いてきたんだ」


「食べる。苺のパフェ食べたい」


 奏音が上目遣いで訴える。

 それに負けたのは柊彩、ではなく隣の日聖であった。


「すみません、苺パフェください!特盛で!」


 目を見張るようなスピードで注文を済またあと、ハッと我に帰った日聖は恥ずかしそうにした。


「す、すみません」


「いいよ、仕方ないからな」


 先ほどから日聖は自分がどこかおかしいことに気づいていた。

 なぜか奏音の肩を持ちたくなってしまう、彼女にお願いされると考えるより先に体が動いてしまったのだ。


「おにいちゃん、この人は?」


 突然叫んだからだろうか、奏音は震えた声でそう言った。


「この人は俺の友達。大丈夫、優しい人だから」


「清月日聖です、よろしくね」


「うん、私、美浦奏音、よろしく!」


 柊彩が優しい人と言ったからだろうか。

 奏音は自己紹介と共に花が咲いたような笑顔を見せた。


「はうっ!」


 その笑顔に日聖は再び悩殺されそうになる。


「勇者様、私変です」


「大丈夫、変じゃない。そういうもんだ」


 小声でそんなやり取りをしていると、店員が巨大なパフェを持ってきた。


「奏音、きたぞ」


「ホントだ、美味しそう!」


 奏音は年相応の女の子らしく、大きなパフェに目を輝かせて嬉しそうにする。


「ねぇ、食べさせて!」


「しょうがないな」


 柊彩はスプーンでパフェを掬い、奏音の口元に運ぶ。

 それを雛鳥のように顔を伸ばして咥えると、程なくしてその顔は綻び、幸せそうに頬を抑えていた。


「美味しい!ね、おにいちゃんも食べるでしょ⁉︎」


 パフェの力か、それともこうしてしばらく触れ合っていたからか。

 本来の明るさを取り戻した奏音はスプーンを奪い取り、今度は自分が柊彩に食べさせようとする。


「あのなぁ……」


 柊彩はチラリと隣に座る日聖を見たあと、少し恥ずかしそうに食べさせてもらった。


「うん、甘くて美味しいな」


「でしょ!今度はもう一回わたしに!」


 それから奏音の気の済むまでお互いにパフェを食べさせあった。

 柊彩は蚊帳の外になってしまった日聖に申し訳なさそうにしていたが、日聖としては幸せそうな笑顔を見ていると気にならなかった。


「そういえば、奏音は今学校に通ってるのか?」


「うん、そうだよ!国立聖光学園ってところ!」


「えっ」


 隣で聞いていた日聖は思わず声を上げてしまった。

 聖光学園というと国と聖教会が共同で建てた、国中から将来有望な生徒を集めた国内最高のエスカレータ式の学校である。


 つまり奏音は超スーパーエリートなのだが、何も知らない柊彩は頭を撫でながら、「すごいなー、えらいぞー」と呑気に言っている。

 別に知っていたところで態度はそう変わらないだろうが、ここで一つ大きな問題が発生した。


 そんな良い学校の授業参観に行く服はあるのか、という問題が。


 もちろん何も知らない柊彩は奏音を褒めつつパフェを食べさせている。




 そうして過ごしているといつの間にか時間が経ち、席を外していた慎二が戻ってきた。


「奏音、そろそろ帰ろう」


「やだ!」


 柊彩と離れたくない奏音は強く抱きつく。

 その様子に苦笑いを浮かべつつ、柊彩は優しい声で言った。


「あまりお父さんを困らせるなよ。それに大丈夫、またいつでも会えるから」


「本当……?」


「ああ、約束する。俺が今まで約束破ったことなんてあったか?」


「星、見に行ってない」


「ゔっ……」


 痛いところを突かれた柊彩は一瞬言葉に詰まるが、一つ咳払いして気を取り直す。


「それ以外は?」


「ない」


「だろ?約束だ、絶対一週間以内にもう一回会いに行く」


「絶対、絶対だからね!」


「ああ」


 そう言って指切りを交わすと少しは納得がいったのか、奏音は父親の元に向かった。


「ご迷惑をおかけしました、柊彩さん」


「そんなことありません。こちらこそ会えて本当に嬉しかったです」


「おにいちゃん、またね!」


「ああ、またな」


 奏音はその姿が見えなくなるまで、元気に手を振って帰っていった。

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