第3話 将

「......失敗か。まぁだろうな。」


南の山から昇る3つの狼煙を見た者はそう言った。その者の眼下には、黒煙立ち昇るエドモン城があった。大地を震わさんばかりの銅鑼の音と兵の足踏みは、城内の者を震え上がらせる。


樂斯頒ガク・シハン様、御報告にございます。レイロッド軍2万強が農兵8万と合流した模様。恐らく、明日正午、こちらに到達するかと。」


盛土の上ある本陣には、白色の生地に3つ首の番犬の絵が描かれた軍旗がはためいている。この軍旗を掲げることが許されている軍は巨大な国であるモーデルでも3軍だけである。列国はこの3軍を率いる将をと呼ぶ。


「...現在の我が軍の兵力は...?」


「ハッ、弓装中装歩兵5万、重装槍歩兵2万、重装騎兵1万、急襲部隊残党が3万、計11万であります。」


「11万...全軍に伝令だ。包囲を解かせろ。北へ30里進む。」


「ぎょ、御意。」


エドモン城を包囲していた軍8万は包囲を解きその場を離れた。城内の住民は一様に歓喜し喚声を上げた。樂斯頒ガク・シハンの隣にいる若い将兵は、後ろにあるエドモン城に振り返り、彼に尋ねた。


「先生、なぜ引かれるのですか?レイロッド軍の総兵数は確かに我々と同等です。しかし兵力は我らが上です。騎馬兵も弓兵も十分おります。さらには将も数多く引き連れていますし......城ならあと数刻で落とせます。仮に決戦するなら、兵糧、兵の気力が十分である今が絶好の機会かと思いますが。」


リョウ、それは敵も同じことを考えている。兵力差が大きく、さらには将の力量は拮抗している。と、なるとな、敵は全速力で走って我らの想像の上をいく機動で奇襲を仕掛け、士気をくじき、混乱させるしかなくなるのだ。こうやって後退する動きを見せれば、必ず追ってくる。」


「...なるほど。ですが、何故それで追ってくるのですか?解りません。」


樂斯頒ガク・シハンは書簡を取り出し青年に渡した。


「我らは兵糧を数多く残し、また兵の損耗も少数。再び軍を起こそうとすれば瞬く間に進軍できる。それゆえに焦るのだ。ここで攻撃能力を削がなければ、また攻められてしまうと、な。だから奇襲を仕掛けるために、我ら以上の速度で迂回するはずだ。」


青年は軍の進軍速度をよく見て、少し考え、納得した。青年の従軍経験はそこらの兵を超えている。今の進軍速度は過去最低の速度であった。しかしながら、最低と言ってもそれは他国の軍の最低よりは十分に速い。相手からしたらいたって普通の速度に見えるのだろうと悟った。


「......なるほど。それではレイロッド軍は疲れます。士気も下がり疲労困憊。その状態ならば、楽に勝てますね。」


樂斯頒ガク・シハンは綺麗で整ったその顔に悪意の塊のような笑みを浮かばせ、青年を向き言った。


「久々の首級、楽しみじゃ。」



一方その頃、レイロッド率いる約10万の軍は、全速力でモーデル軍より東3里先を北に向けて進んでいた。レイロッドはこのように考えていた。


「......(モーデル軍の後退機動、我々を誘っているのだろう。エドモン城の様子を見たところ陥落まであと数刻、であるのに後退をした...間違いない。罠だ。しかし、追わねばならない。追わねば他の城が落とされる恐れもあるし、あの軍が間髪入れず、再び進軍してくるようなことがあれば、その時は国が亡ぶかもしれない。)」


「レイロッド将軍、このまま進めば、北部の荒野に先に数刻早く陣取れそうです。」


「兵の足を緩めるな。敵軍より4刻早く着けば差が縮まる。そうすれば敵の狙いを外せる。」


レイロッドは少なからず焦っていた。訓練されていない農兵を全力で走らせることは、士気の低下につながる。更には、今この瞬間に奇襲を受ければ即壊滅する。そして敵はそれを狙っていると思っていた。しかし事実は違った。モーデル軍は全速力で走るレイロッド軍を無視して北上していた。それを知るすべのないレイロッドはほんの少しだけ騎兵の足を緩め、農兵に合わせていた。


「レイロッド殿、騎兵の足を農兵に合わせていては速度が出ません。」


「奇襲の恐れがある。敵は三公、侮れない。」



走り続けてエドモン城北部28里まで進んだレイロッド軍は、疲労の限界に達そうとしていた。


「ルイス、全軍を崖の裏に隠し休憩をさせる。」


「御意。」


枯れ木が数本生えただけの崖の目の前には、広大な荒野が広がっていた。風の吹くたびに砂が舞い上がり、ハゲワシが干からびた死体を貪っている。


「レイロッド殿、この広さ、合戦が十分にできる広さです。」


「斥候は放ったか?」


「放ちました。敵軍はここより南方に5里先に確認できたとのこと。軍の足ですと1刻もせずに到着すると。」


レイロッドは冷や汗を流した。農兵の疲労は限界に近い他、馬の疲労もたまっている。十分な攻撃能力が無く、矢の備蓄も少ない。長期戦は厳しく、かといって今から再び走るとなると、戦う前に軍が崩壊する危険が大いにある。


「モーデル軍の主将が判明いたしました。樂斯頒ガク・シハンだそうです。」


「歴戦の将、知謀の樂斯頒ガク・シハンか。」


「兵は疲労困憊。騎馬兵も突撃能力に欠け、士気も低い。以下がなさいますか?」


レイロッドは天を見上げ大きなため息をした後、ルイスに言った。


「一つだけ策がある。戦いには勝てないが、戦争には勝てる策が。」




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ヴァラン戦記 @taku_shino_maron

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