第6話 オタク牧場

 彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。

 孫子の故事に従って、私は泥棒猫……丸森さんのオタサーに遊びに行った。

 情報収集……うまくいけば、説得、のためだ。

 確か以前に聞いた時には、自作パソコンを作るサークルだったと思うけれど、姫になるのに味をしめた丸森さんが、あちこちのオタサーを渡り歩いた結果、アニメ研究会だの撮り鉄マニア倶楽部だの、様々なディープな趣味人が集まるカオス集団になり果てているらしい。

 姫を取り合って喧嘩し和解し吸収合併を繰り返すたび、新参者の名前をサークル名の最後尾に付け加える、という形で会は発展してきた。六尺フンドシみたいな長々としたサークル名に姫自身が難色を示し、最近スッキリと改名したとのこと。

 曰く『ミホ姫を崇拝する男子の集い』

 サークル名を恭しく教えてくれたのは、彼女に仕える第一の執事にして、高校の一つ上の先輩だという、留守ミナト君である。

 頭は七三に分け、アスコットタイに白いシャツ、黒のカマーベストをカッチリ着こなしている留守君は、優雅な身のこなしもあって、本当に英国紳士っぽく見える。

「姫の前では、留守ミナトでなく、セバスチャンと名乗ってます」

「はあ」

 この日は取巻きの一人が所有する……正確にはそのオジサンが所有するという、音楽スタジオに来ていた。例のカレンダーにするヌード写真の構図練習だとか。ギターやベース、ドラム等で局部を隠しただけのヌードスナップだ、という。

「留守君……じゃなく、セバスチャンくんは、脱がないの?」

「それが、候補者が多過ぎて、順番が回ってこないんですよ」

 小学校の教室くらいの広さのスタジオは、奥の壁に張りつくように、「バンドマン」たちが全裸でポーズを決めていた。スポットライトが当たった部分にばかり目がいって気づかなかったけれど、入口ドアから横の壁まで、ギッチリと、パンツ一丁のオタク君たちが、あーでもない、こーでもない、とライバルたちの品評会をしている。

 ひときわ人口密度が高い壁際の一隅に、丸森さんがいた。

 異世界アニメの王様やおきさき様が座るような、ギンギラギン装飾の背もたれ高い椅子に、けだるげに座っている。左右前後にはパンツいっちょうの男子を侍らせ、優雅に撮影会見学、らしい。

 なんだか姫というよりオキサキ様だ……それも、グリム童話に出てくるような、意地悪なオキサキ様。

 セバスチャン君が声をかけるまでもなく、姫は私に気づいた。高校は私服校で、姫自身通学時にはチノパン等ズボン姿が多いというのに、この日はなぜかセーラー服姿だった。セーラー服を着ている女子高生にコスプレというのはヘンだけれど、なにかあざといというか、取巻き男子たちの鬱屈したエネルギーを焚きつけているような感じがする。

「庭野センセ。見学にいらしたんですか? それとも先生のことだから、ご自分でもヌードになりたくて来たとか?」

 それってどんなキャラだ……とツッコミを入れそうになって、やめた。丸森さんの艶っぽい声を合図に、オタク男子くんたち全員が、ギョロっと敵意のこもった視線を私に向けてきたからだ。

 くわばら、くわばら。

「見学もそうだけれど、サークル勧誘について一言相談したくて来たのだよ、丸森さん」

「うかがいますわ」

 ウチの塾生ではあるけれど、直接授業を受け持っているわけではないので、私は彼女についてまとまった印象はなかった。いかにもお嬢様っぽい話し方を聞いて、あれ、こんなんだったっけ? と首をひねる。

「ねえ、丸森さん。このサークルでは、新人勧誘するの、丸森さんが直接スカウトしたりするのかな? それとも、他の男子メンバーが仲間に引き入れる形、とか?」

「私と言えば私、皆さんと言えば皆さん、と言えなくないような」

 セバスチャン君が、すかさず口をはさむ。

「姫の可愛いらしさに魅了されて、我も我もと加入してくるんですよ、はい」

「ヘー。じゃあ、わざわざ丸森さんが色仕掛けで落とすことは、ない?」

 色仕掛けとは何だ失敬な……姫の魅力を考えれば何もせずとも、野郎どもはワンサと集まってくる……いくら先生だって、言っていいことと悪いことがある、そのオッサン叩き出せ……。

 ワイワイガヤガヤ、取巻き君たちが騒然とし出す。

 セバスチャン君が、まあまあと手振り身振りをまじえて、場を沈静化させた。

「庭野先生。何が言いたいんです? というか、何しに来たんです? 姫とこのサークルについて、ケチをつけに来たってわけじゃないんでしょう?」

「ああ。セバスチャン君たちは、全く聞いてないのか。ええっと。今やってるカレンダー製作で、モデル等でご指導いただいてる消防士さんがいますよね」

「ああ。石巻東消防署の原田タケヒト消防士さんです」

「彼の関係者……というか、ぶっちゃけ恋人さんから相談を受けているんです。彼氏が魔性の女子から誘惑されて、略奪愛されそうになってるってね」

 私の話は次から次へとオタク男子くんたちに伝わって、スタジオ中に怒号が鳴り響いた。

 セバスチャン君が毅然と反論してくる。

「誘惑だなんて。姫はそんなことはしません。しかし、原田消防士が、姫の何気ない言動に妙な誤解をしてまった可能性は、ありますね。なんせこれだけの美人ですから。かくゆうウチのサークルの中にも、姫のさりげない親切を好意・恋愛の発露と勘違いして、ストーカーまがいなことをしてしまった不届き者がいます」

「うわ」

「そういう勘違い男子を更生指導し、正しいミホ姫ファンとして更生させるのも、我々の役目です。そして、ともに姫の素晴らしさを称える同志になる。これ以上美しい友情はないでしょう、庭野先生」

「はあ。でも、どう見ても色仕掛け……じゃなくて、誘惑しているとしか思えないような画像・動画があるんですけどねえ」

 私は、丸森さんと原田消防士のデート写真……本人は買物に行っただけと言い張る……をセバスチャン君に見せた。いうまでもない、白石さん提供の「証拠」である。取巻きのオタク諸君も見たいと言ったので、カメラマン君の手を借りてスマホの映像画像を40インチのテレビモニターに映し出した。音楽スタジオだけあって? この手の通信ケーブルやらモニターやらは、充実していたのだ。

 阿鼻叫喚。

 地獄の釜が開いたよう。

 取巻きのオタク君たちは、消防士と姫の親密過ぎるツーショットの数々を見て、涙目になった。私がなおも淡々と残酷極まる「証拠」を提出し続けると、彼らは文字通り姫にすがって言った。

「あんなニワカファンのどこがいいんですか?」「抜け駆けー、はんたーい」「姫に対する思いは、あんなチャラ男より我々のほうが上ですゾ」「目を覚ましてくだされ、姫っ」……。

 中には既に諦めモードなのも、いる。

「くっ。背が高くてスポーツマンっぽくって、公務員だもんな。おまけに大人の男っていうカッコよさ。正直、勝てない」「取巻きが100人いたって、しょせんはオタク。一人の非オタには勝てんか」「オレ、生まれ変わったら金髪碧眼の王子様になって、白馬で姫を迎えに行くんだ」……。

 中には斜め上の解決策にすがろうとするのも、いる。

「お布施が足りないからだよ。セバスチャン、全員から臨時会費徴収しろよ。姫が欲しいものは何でも買ってあげるって言って対抗しろっ。いくら公務員の給料いいからって言ったって、100人以上のカンパにゃ、勝てんだろ」「そうだ、そうだ。質より量で勝負だっ。姫、BLに興味はありませんか? ちょうどパンツいっちょうの男が3ダースほどいますし、リアルBLの一大祭典で目の保養をなされては?」……。

 とにかく一瞬でサークルが瓦解しそうになったのは、間違いのないところだ。

 丸森さんは「玉座」から降りると、ツカツカ私の元にやってきて、ネクタイをぐっと掴んで顔を引き寄せると、ドスの聞いた……これ、ホントに女の子の声か、いつもの可愛い裏声はどこ言ったんだよ……声なき声で文句を垂れた。

「ちょっと庭野センセ。どーしてくれんのよ、これ」

「自業自得ですよ、丸森さん」

 私はネクタイを掴む手を振りほどいて自由になろうと思ったけれど、丸森さんは逆に、ズルズルと私を引っ張って、スタジオ付設の小さな調整室に、私を連れ込んだ。一緒に押し入ろうとするオタクの群れを押し戻し、セバスチャン君は後ろでに分厚いドアを閉めた。丸森さんは、薄化粧が崩れているのに気づいているのかいないのか、ものスゴイ形相で歯ぎしりする。

「ここまでサークルを大きくするのに、血と汗と涙をさんざん流してきたのに……私の1年半の苦労を返してっ」

「彼氏持ちの消防士さんなんか、誘惑しなければ良かったでしょうに」

「危ない橋をいくつも渡らなきゃ、成し遂げられないこともあるわよ。そもそも庭野センセが今バラさなきゃ、これも成功してた」

「本当に? 彼氏を略奪愛された女子の、やぶれかぶりのリベンジだってあるでしょ?」

「ふんっ。そんなの返り討ちよ、返り討ち。ていうか、写真の出どころ、タケヒトさんよね。なんで彼女に見せたりしたんだろ。てか、庭野センセ。タケヒトさんの彼女って誰よ」

「あれ。知らなかった?」

「センセが出張ってきたってことは、塾の誰かよね……木下先生? いや、ひょっとして、桜子ちゃん?」

「ウチの姪は全く関係ないよ。正解は白石さんだ」

 丸森さんはしばし絶句していたけれど、やがてつぶやいた。

「そーいや、もともと理系ガールズ唯一の彼氏持ちだったわね、あのデブ」

「丸森さん、口が悪いなー。白石さんのほうでは君を親友だって言ってたのに」

「ええ。親友も親友よ。大親友。だから、男の一人ぐらい、その親友に譲りなさいな」

 私は鬼子母神の逸話を思い出していた。

 子どもを取って食う鬼子母神。この女神の反省を促そうと、お釈迦様が千人いる鬼子母神の子どもを一人隠した。鬼子母神は七日七晩子どもを探し嘆いた。お釈迦様は子どもを返し、さとした。千人いる子どもの一人をさらわれただけでも悲しいのに、たった一人の子どもを失った母親の悲哀はどれほどか……と。鬼子母神は反省し、子どもと安産の守り神になったと言う。

「丸森さん。君には取巻きの男どもがゴマンといるけれど、白石さんには一人しかいないんだよ。君は今、たった一人、取巻きにしようとしている男の無神経な対応に心を痛めているようだけれど、それなら、唯一の彼氏に裏切られそうになっている白石さんの心配や悲しみ、想像できないかなあ」

「鬼子母神か。庭野センセ。先生だけあって、説教くさいコトを言うの好きね。私、でも、グダクダ恋愛中の面倒くさい女たちの女神さまになる気は、ないわよ。あ。てか、今現在、女の価値が分かる男子たちにとっての、女神ではあるけどね」

 丸森さんは、鼻息荒く、胸を張った。

 私はため息ついた。

「その自信のひとかけらでも、白石さんに分けてあげたいですよ」

「で? 先生は何しにいらしったの? あのデブに代わって、宣戦布告に来たとか? ていうか、先制攻撃?」

 丸森さんが勢いつくにつれて、セバスチャン君も加勢する。

「そうですよ。卑怯な不意打ちは、最後に負ける運命なのです。真珠湾を攻撃した日本帝国軍のようにね。リメンバー・パールハーバーですよ、姫」

「いや。そういうのとは、ちと違うと思うんだけどね、お二人さん。てか、丸森さんの釈明を求めてるサークルの面々、なんとかしなよ。ホラ、みんな、パンツいっちょうどころか、服、着出したじゃん」

 今どき秋葉原でもお目にかからないような、緑と青のチェックシャツが、スタジオ中にあふれる。スチャッと装着した眼鏡の下は、みんな死んだ魚のような目になっている。姫を見ているようで、焦点が合ってない。ゾンビのようにユラユラ揺れながら、調整室の分厚いドアを突破してきた。

 悲し気かつ、姫の言葉を待っている。

 そう、アイドルはステディな相手がいないと思われているから、アイドルでいられるのだ。

「くっ。セバスチャン。何かうまい言い訳を考えて、私の騎士どもを落ち着かせなさい」

「御意」

「庭野センセ。宣戦布告、しかと受取ったわ。あのデブにも言ってやってちょうだい。私、他人が大事にしているモノ、欲しがる性分なの。私にとって、それがどんな下らないモノでも、ね」

「うわあ」

「私、反対されればされるほど、ファイトが湧く性分でもあるのよ。あのデブだけじゃなく、タケヒトさんも敵に回るっていうなら、それもいいわ。逆に、やる気が出るもの。消防士を辞めて、ファンクラブ活動専業になるくらい、トリコにしてやるんだから」

 丸森さんの命令を待つまでもなく、セバスチャン君は私の腕を引っ張って、外に連れ出してくれた。

 車に乗り、ハンドルの頭を打ちつけて、私はこの日の不首尾を呪った。

 どーしよう。

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