第5話 女吸血鬼は、本当にエロいのか?
「今回の対処法……丸森さん撃退方法を、ヘルシングアプローチ、と名づけます」
アプローチ、という言い方にツッコミがあるかな、と思ったけれど、なぜか女子高生二人は無頓着だった。ヘルシングという人名を、白石さんのほうは知っていた。
「映画で見たことがあります。いかにも、て感じの精悍なお兄さんですよね」
「原作小説では、老教授ってことに、なってるんですけどね」
ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」の登場人物。吸血鬼ハンターで、主役格のキャラクターだ。本当はヴァン・ヘルシングと前に前置詞がつくけれど、単なるアプローチの命名なので、略して付けた。
「ふうん。ひょっとして、丸森さん、イコール、吸血鬼、なの?」
「異論は認めます。でも、どっちにせよ、追っ払う原理は同じ」
「ふうん」
「で、まずはドラキュラ退治の物語は、どんな変遷をしてきたか、というレクチャーです」
「物語の変遷?」
「もっと言えば、人々がドラキュラ、というか吸血鬼を、どんな存在として認識してきたか、というお話」
「タクちゃん、しょっぱなから、難しい」
「うーん。文化人類学の異文化受容のプロセスを、女子高生にも分かりやすいように、噛み砕いて説明しようと思ってたんですが……じゃあ、何か、映画やマンガ、アニメとかを思い浮かべながら話を聞いてて下さい。ええっと。今の子どもたちが知っているかどうか分かりませんけど、私が子どものころには、藤子不二雄原作のマンガアニメに、怪物くん、というのがありました。これは、地獄の王子様、怪物くんが、手下の怪物を連れて人間界に遊びに来る、というマンガです。この手下が、ドラキュラ、フランケンシュタイン、狼男、なんです。一世紀前にはホラー小説、ゴシック小説の主人公……というか大ボスとして登場してきた、これら怪異が、怪物くんでは、主人公の少年の取巻きの愉快な仲間に成り下がっている。フランケンシュタインは力仕事を請け負う下男みたいな存在。狼男は料理担当、コックさん」
「庭野センセ。その、怪物くんに限らず、ドラキュラとかは、色んなマンガやアニメで、愉快な仲間になってるって思います。わざわざ古典的なマンガなんか出さなくったって、いくらでも例は上げられます」
「ほほう。白石さん、そういうサブカルチャー、詳しいんですか?」
「いえ。私は。でも、ピッコロの師匠であるフランス人が、毎週10本以上アニメ視聴するっていうディープなオタクなので。全く、フランス人のくせして」
「はあ。サルトビ氏ですか。白石さん、それを言うなら、フランス人だからこそ、あんなにマニアックなアニメ・オタなんだって、言うべきですよ」
「タクちゃーん。お話、脱線して、ない?」
「お。すまんな、我が姪よ。ええっと。続きです。今の怪物くんの例は、視聴対象が小学生なので、古典での怪異は、少し超能力がある感じの親しみやすいキャラクターとして、物語に登場していると言えます。じゃあ、大人向けの娯楽……コメディ、冒険もの、社会派、そしてホラーとかに登場する場合は、どうでしょう。たとえ、1世紀前と同じ恐怖の対象として登場してきたとしても、やはりブラム・ストーカーの時代のような、単純な恐怖一辺倒、という感じではない。例えば、ホラーの場合、登場人物たちの恐怖の的、などという立ち位置は変わっていない。また、基本的特性……キャラクターを際立たせている特徴、たとえば日光に弱いとか、人間の食物は食べず血液一辺倒なんてのも、一緒。オーソドックスな特徴はそんなに変わっていないのに、キャラクター性に大きな変遷がある。その理由、それは、吸血鬼とは何か……私たちは、どう接しているべきか、という態度の変遷が、大きく関係していると思うのです」
「庭野センセ、もっと具体的にお願いします」
「ブラム・ストーカーが創造したドラキュラは、理解不可能な行動規範で動く、絶対的他者、そのものでした。そう、ドラキュラが、どうしてコレコレの行動をするか、その性質は理解できる。この理解のありようは、ライオンや、ワニや、サメ等に対する理解の仕方に似ています。本能か学習かは知らないけれど、その動物本来の行動原理に従って、我々に危害を加えてくる。そして、我々としては、その危害に対して実力行使という形でしか、排除できない。端的に言って、言葉が通じない相手です。会話ができる・できないという意思疎通の次元ではなく、その会話等を通じて、相手の危害行動を止めさせたり、変えたりできない。私が今、絶対的他者という言葉を使って説明している他者とは、そういうものであり、『話せば、分かる』、あるいは言葉を使って牽制ができるのは、他者というより、既に自分たちの物語に溶け込める何か……という扱い、と言えます」
「タクちゃん。要するに、言葉が通じれば、仲間だってコト?」
「うーん。ちょっと違うかな。ドラキュラたちの吸血行動を、例にとります。ブラム・ストーカーのドラキュラは、一方的に被害者を襲って、吸血鬼の眷属にする……という悪として、描かれていました。けれど、後世の、そう、現代のアニメマンガに出てくるような吸血鬼たちは、飲んでも吸わなかったりしますね。輸血用のビニールパックに入った血液を飲んだり、酷い例になると血液の代わりにトマトジュースを飲んだり。つまり、人間の首ねっこから、直接吸ったりはしないのです」
「飲む」行為は、吸血鬼自体の「生存」に関わるから致し方ないとしても、「吸う」行為は、必ずしもそうじゃない。「吸う」行為は同時に吸血の被害者を眷属にするという作用を持っているわけで、被害者の親族友人たちからすれば、吸血行為は対象者を此岸の住人化する悪魔的な所業だ。そして、この悪魔的所業を回避することで、吸血鬼は人間と妥協できる。
絶対的他者性は、相対的他者性くらいのところに、緩和できるわけだ。
「ふーん」
理系女子2人は顔を見合わせて、いかにも理系女子っぽいことを……片方はしかも医療従事者志望だ……を言った。
「テクノロジーの進歩があったから、かも。もともと、というか一世紀前には、血液はそのままの状態で保管ということができなかった。抗凝固薬品とかが発明されたから、血液パックなんていう重宝なものが生まれた。ブラム・ストーカーが執筆していた時代に血液パックなんてものが存在していたら、ドラキュラのホラー小説は生まれなかったかも」
「面白い視点だと思うけど、本題から脱線してます。続き、いきます。絶対的他者性の回避、の話でしたね。今言ったような、危害の回避という、直接ぶち当たる部分の他、間接的に理解を深める、というのがあります。たとえば、吸血鬼の人間臭さの部分のクローズアップ。吸血鬼たちも人間と同じ喜怒哀楽があり、恋愛したり家族を作ったり、という描写。あるいは彼らの内部コミュニティを描いたり、です。人間と共存共栄しようという吸血鬼もいれば、反対に敵対しようという吸血鬼もいる……という具合に、それぞれの個性が描写されたりもします。ここまでくれば、吸血鬼は既に、退治すべき怪異というより、特殊な……エキセントリックな性質こそもちすれ、人間の一種じゃないか、となる」
「庭野センセ。それなら、サクラちゃんがさっき言った通り、仲間ですよ……で、いいんじゃないでしょうか?」
「同じ人間として、人間らしい社会を営んでいると言えと゛、話が通じない間柄、という人たちがいますね。日本では馴染みはないでしょうけど、たとえばキリスト教社会とイスラム社会。ちょっと前には、異文化というと毛色が違うんですけど、冷戦……資本主義と共産主義の対立がありました」
「ちょっと、前?」
「あ。そうか。そもそも冷戦が終わったのは今から30年以上前の話ですもんね。君たちの中では、既に歴史の一ページってところ、か」
「センセ、続き、続き」
「あ、はいはい。とにかく、野生動物並みの話の通じなさ……じゃないけど、妥協を許さない信念を持っていて、戦争をも辞さないという対立関係を考えれば、同じコミュニティに属する人間と見なすのは、難しい。ある種の妥協は、できても……できなかったことも多々ある……こちら側のルールを理解してはくれない、と言ったような」
「タクちゃん。まーた、抽象的になったよ」
「分かってるよ、我が姪よ。例えば、イスラム教を国是とする国々の中には、同性愛等に対し、時には極刑を持って処罰する国があります。具体的には、アフガニスタンとか、サウジアラビアとか。そういうのに寛容な国・コミュニティの面々が抗議をする時、相手が見せるのは、どこまでも他者の顔、です。彼らは、私たちのコミュニティ内の同性愛者には不寛容な態度は取らないかもしれない。私たちのコミュニティの寛容さに目くじらを立てて、慣習や法律の改正を強いることはないかもしれない。けれど、自分たちのコミュニティのメンバーには断固、お仕置きする。野生動物じゃない、けれど仲間じゃない、というのは、そういう感じのニュアンスのことを、言っているのです」
「ふうん。ねえタクちゃん。なんだか、恋愛相談している気分じゃないわねえ」
「では、なるべく本題に近づくように話そう。現代ニッポンで、君や私のように、のんべんだらりと生きてきた人間のことを考えます。特に、サブカルチャーに首までどっぷり浸かって、一種の状況的ヒキコモリになっている時、この手の他者に向き合うことは、あるか? 」
「分かんない。最初に、答えを言ってよ、タクちゃん」
「しょうがないなあ、桜子は。さっきから話している文脈で言えば、30年前、右翼左翼の政治運動なんかが現役だった時代には、絶対的他者というのに遭遇する機会があったかもしれない。共産主義者に対峙する例の他者性への諦念に関しては、批評家・小林秀雄が秀逸な文章を書いていて、さらにそれに柄谷行人が、やはり秀逸な注釈、というか批評をしたのがあります。まあ、教科書には載らない、載りづらい話ではありますが」
「すーぐ、そうやって勉強に結びつける。これだから、塾のセンセイは」
「まあまあ。最後まで話を聞いてから、ね。ええっと。過去にあったはずの他者性は、こうして、今、庶民中の庶民、みたいな生活をしている私たちには、届かない。じゃあ、未来はどうか? これから近い将来、ムスリムが今みたいに日本で少数派でなくなっていって、ヨーロッパ諸国みたいに、政治経済的に一大勢力になる可能性は、多いにあります。そう、他者性を持ち合わせた社会勢力が誕生する可能性です。もちろん、大多数のムスリムの人たちは、原理主義的な政治行動を起こす人ではないでしょうけど、日本という社会に溶け込む過程で、色々変わる人もいるでしょう。たとえば、インドネシアあたりの穏健な人たちも、最近は寛容でなくなってきてるというニュース、見たコトがあります」
「そういうことを言うなら、宗教だけじゃないですね、庭野センセ」
「はい。そうです、白石さん。やはり欧米社会を念頭に考えるとすれば、環境問題やら菜食主義者やら、妥協知らない社会運動家の人たちの存在があります。彼らが力をつけてきたら、従来にない、新しいタイプの絶対的他者が、私たちの前に立ちはだかれることでしょう。今まさに立ちはだかっているじゃないか、という疑問は愚問です。テレビの討論番組で過激な論争をする論客が、妥協を許さないのは同じテレビ論客の方々に対して、です。煎餅をかじったり梅昆布茶をすすりながら、ノホホンと見るともなしに、こっちの論客はカッコいいとか、あっちの論客はハゲてきている、とか無責任なことをほざいている、アマタの視聴者に、そんな他者性は届いていない」
「それで?」
「それで……結論は、私たちは、ちょうど端境期にいる。絶対的他者性と無理して向き合う必要のない、ある意味幸せな……よく考えると不幸せかもしれない時代で、のほほんとしている、ということです」
「ふーん。のほほん、のほほん」
「はいはい。桜子、妙な踊りはしなくていいから。で、こんな市井の一市民にも、時には思いもかけない形で、他者性に……それも絶対的他者性にぶち当たることがある、と思うのです。それは、ズバリ、何を考えているのか分からない、略奪愛実践者です」
「わ。話がつながった」奇跡的かも、と桜子。
「要するに、丸森さんのことですよね」と白石さん。
私はいきり立つ2人を、まあまあとなだめて、説明の続き……というか、注釈をする。
「幸せな相思相愛カップルに対して、略奪愛を仕掛けてくる、全ての泥棒猫さんが、私の言う絶対的他者というわけでは、ありません。横恋慕を仕掛けてくる人の中には、普通の恋愛のように真剣に恋しちゃったという人も少なからずいるでしょうし、逆に、男とみれば見境なく性の対象とし、たまたま網に引っかかったオトコにステディがいた……なんていうケースもありうるでしょう。いずれの横恋慕さんも、話せば分かる……説得で諦めてくれるか、あるいは、諦めずぶつかるにしても、最低限相手の行動原理は理解できる、というパターンだと思うのです。そう、どこかで妥協の余地があり、また、相手の立場に同情さえできてしまうかも、しれない。でも、ここに、そんな人間的な……もっと言えば常識人的な動きを見せない人がいます。ネットの匿名掲示板あたりでは、メンヘラだのカマッテちゃんだの、他、色々ひどいレッテルで揶揄されちゃう人たち。一体何を考えているのか、分からないようなキャラクターの皆さんです。会話は確かにしてるけど、どうも話が通じてない。何をしでかすか分からない不気味さがある。単に恋のライバルと言う以上の気持ち悪さがある。総じて、絶対的な他者性がある人たちだ、と」
「略奪愛されかかっている私が言うのもなんだけれど……姫ちゃん、そういう話が全く通じない人、でもないと思うんですけど」
「丸森さんが、真っ当な三角関係になりそうって言うなら、私もそう思います。姫も原田消防士に真剣に恋をして、やむにやまれぬ状況だっていうなら。あるいは、自分の取巻きの1人にスカウトしたいから、ちょっとちょっかい出してみようかな、とか言うなら、それも理解できます。でも、今回のは、ちょっとどころか、全力で本気で彼氏を略奪しようっていう試みでしょう。こう言っちゃなんですけど、人数三桁になろうとする自分サークルの一員にするために、濃厚な恋人ごっこまでしてみせる、というのは常軌を逸してます」
「ねえ、タクちゃん。獅子はウサギを狩るのにも全力を出すって言葉、知ってる?」
「それでお腹が満たされるっていうのなら、全力でやるのも合理的なんでしょうけど。丸森さんの場合、食べるためというより、いたぶる事そのものが目的の、残忍な狩りのような」
「庭野センセ」
「質問は随時ご自由に、白石さん」
「庭野センセの見解だと、姫ちゃんを止めるのは力ずくでなきゃダメで、話合いではどうにもならないぞ、ということですよね」
「まあ、ぶっちゃけ、そうです」
「ミホちゃん、イコール、吸血鬼っていう根拠は、その、取巻きの1人を得るための、やり口っていうか、情熱がヘンだから、て、ことでしょうか」
「それも一つです。でも、それを成り立たせているモノも、判断材料でした。ええっと。絶対的他者性のない吸血鬼……昨今のマンガアニメの吸血鬼の話、しましたよね。バンパイアの中にも社会があって、それは人間味臭くて判断材料になるっていう話。でも、丸森さんの眷属には、この手の人間臭さっていうのが、希薄というか、分からない部分があると思うんです」
白石さんに代わり、我が姪が話を受ける。
「ええっと。眷属ってさ。吸血鬼に血を吸われて、言いなりになって、日光や十字架が苦手になる、だったっけ」
「だいたいあってるよ、桜子。でも、私が言いたいのは、その眷属のあんまり語られない側面かな」
「と、いうと?」
「彼女の……丸森さんの取巻きサークルの面々は、普通のアイドル活動を支えるファンとは、いっぷう違った感じがするんだ。それこそ、人間の集まりというより、バンパイアの集まりのような」
「えっえー」
「順序立てて説明したほうが、理解しやすいと思うから、まずは吸血鬼の眷属、そのものの話からしておこう。吸血鬼を題材にした作品にはたくさんのバリエーションがあり、バリエーションごとに吸血された結果が少しずつ違っていたりしますけど、それでも共通に遵守されているお約束があります。その一、吸血してきた人の命令に従う。その二、吸血してきた人と似たような性質を持つようになる。例えば吸血鬼が日光に弱ければ、吸血された被害者もまた、日光に弱くなる。その三、吸血された被害者は、まだ吸血されていない人を襲うことはあっても、既に吸血された被害者を襲うことはない」
もちろん、この吸血行為(及び呪い)は純然たるフィクションであって、だからこそ、リアルな事柄のメタファーとされることが多い。
たとえば、何らかの形のウイルス感染。またはある種のカルト。
「熱心なアイドルファン活動だって、同じじゃね? という疑問は、ごもっとも。でも、吸血行為には、そんな現実の何やかやとは決定的に違った特徴があるのです。それは、いったん眷属になったら、不可逆的に元の人間に戻ることはない、という一点です」
先ほどのメタファーに戻れば、ウイルスの場合、不治の病。カルトの場合は洗脳の完成。
「で。丸森さんのところの取巻き君たちは、どーも普通のファン活動というより、こっちの、不可逆っぽい感じの人たちじゃないかな、と」
「でも庭野センセ。未来永劫、姫ちゃんファンでいるなんていうのは、不可能ですよ。カルトっぽく熱中しているのは、高校時代のいっとき、だからでしょう? たとえばです、姫ちゃんがオバサンになれば、年相応に応援する人は、いなくなりますよ」
「森高千里みたいに、いつまで経ってもオバサンにならない女優さんはいるし、田村ゆかりみたいに、いつまで経っても熱心なファンがついてる人も、いますよ」
「はあ。姫ちゃんも、同じだと」
「原田消防士に露骨に迫っているのに、ファンが全然離れてないんて゜しょう?」
「うーん。そうなのかな?」
「分からないんですか、白石さん」
最初に塾長室に来た時の口ぶりから、なんだか大幅にトーンダウンだ。
「分かりましたよ、白石さん。肝心なところですからね。今度直接、丸森さんのサークルに乗り込んで、確かめてみることにしましょうか」
桜子が、ごろりと床に横になりながら、言う。
「姫のサークルが、やめるにやめられないカルト集団じゃなかったら、アプローチのやり方は、変わるの? 前提条件が崩れるってことでしょう?」
「多少は、ね。でも、丸森さんがオタサーの姫である限り、面倒臭さは似たりよったり、かな」
白石さんが、挙手する。
「参考までに。姫ちゃんが姫じゃなくて……つまり、取巻きの1人に加える、なんて動機じゃなく、真っ当な恋愛してタケヒト君を好きになったって場合には、どんなふうにするんでしょう。つまり、吸血鬼が吸血鬼でない場合」
「とりあえず、静観するかな。白石さん、丸森さん、どちらも同じ我が塾の生徒さんで、どちらも真剣に恋愛しているっていうなら、部外者がどっちかに肩入れしたり、口出ししたりすることじゃないだろう、と思うから。どーしても相談、ていう場合は、プティーさんか木下先生を相談役として、推薦するかも」
我が姪は、分かったのか分からないのか、コーヒーの追加を注いでいる。床に寝そべったままなので、カップからこぼしてしまう。もう、だらしがない。
「ふーん」
「それで、庭野センセ。吸血鬼ハンター的って言っても、具体的に、どーするんでしょう?」
「彼氏さんに十字架や聖餅を持たせる。あ。聖餅っていうのは、神様のおまじないが込められたパン、という意味です。魔除けグッズ。ウチの塾長室の、ウンコ」
「ウンコは、やだなー」
「桜子。君には、そんな文句を言う資格は、ないよ」
我が姪の茶々をそっちのけで、白石さんが詰め寄ってくる。
「でも……ミホちゃんに、そんな魔除け、効きますか? 常識的に考えて。単なる、おまじないでしょ?」
「吸血鬼ドラキュラに出てくるマジックアイテム、十字架やニンニクというのは、モロに吸血鬼が嫌う、というアイテムでした。けど、今回、消防士彼氏さんに身に着けてもらうのは、少し意味合いが違います。つもり、彼氏は自分のモノだーっと、強烈に主張するための、アイテムです」
「具体的には?」
「既に結婚している人なら、結婚指輪。婚約している人なら、婚約指輪。単なる恋人同士なら、お揃いのキーホルダーとか、つけたりしますよね。ペアルックとか……今は、する人がいないんでしょうけど、とにかく彼氏の所有権を主張する、何らかのアイテム、です」
「……ねえ、タクちゃん。いつもと違って、ずいぶんと平凡な解決策じゃ、なーい?」
「そうかな?」
「それに、ノーパンミニスカ、の理由に、なってない」
「じゃあ、もう少し、説明を続けましょう。さっきから、指輪だの、ウンコグッズだの、色々と一般例を上げてきましたけど、私が満を持してオススメするのは……鍵付きの首輪、です」
「ちょっとー。なんかまた、ヘンな方向にいってない?」
「実は、白石さんに相談される前から考えていたアイデアの延長なんだよ。ズバリ。入籍していない、いわば事実婚しているカップルが、カップルであるということを担保するための、代理の制度というのは、存在するか?」
「どーゆーこと?」
「今は、日本では、子どもを作ろうという男女カップルがいれば、結婚する、というのが、当たり前です。でも、近い将来、この当たり前が崩れるかもしれない。要するに、欧米では、単に同棲して、子どもを作って、気が向いたりしたら籍を入れようか、みたいな事実婚形態も、少なからず普及してきている。現代ニッポンでも、従来の慣習は揺らいできている。つまり、結婚式を上げて、役場で入籍して、同棲して、子どもを作って……という一連の流れをしないカップルも、出てきている、ということです。結婚しても子どもを作らないという選択肢、というかそういうポリシーは、かなり前からありました。ディンクス、なんていうカタカナ用語、聞いたことありませんか? それから、結婚式そのものをしない、というのも今は珍しくない。やたらオカネがかかるセレモニーであるし、津波やコロナの影響で取りやめた、なんていう例もある。それから、結婚・入籍・同棲・子ども……という一連の順番も、今は色々になってきてますね。いわゆる、できちっゃた婚、というヤツです。子どもを最初に作って、あとで式を挙げたり、入籍したり」
「そのへんは……分かる」
「で。入籍しない、役場に届けでないカップル、というのも、当然いる。というか、これからどんどん増えてくる。で、そんなとき、本当にその男女が事実婚しているか否かの証明を、どーするか?」
「……まわりの人に、聞く?」
「その、まわりの人も、一緒になって騙していたり、黙っていたりしたら、分かりません。それに、本人がまわりに、事実婚をひた隠しに隠している場合も、あるかも」
「本人に、聞く」
「本人が、ウソつきの場合は?」
「なんとかかんとかして、事実婚のパートナーさんを、探しだす?」
「本当のパートナーさんに行き当たればいいんでしょうけど。単なるストーカーがパートナーと言い張ったりする場合は?」
「タクちゃーん。そこまで言ってたら、キリないよ」
白石さんが、私の意図に気づいて、言う。
「庭野センセ。人間の証言による証明は、あやふやで証明にならないって、言いたいんですね」
「言葉自体に誓約の力はあるでしょう。でも、書き言葉と話し言葉は、別物だ、と思う」
「タクちゃん。お話が難しい方向に行って、脱線しないでね」
「うむ。説明の最初で言った通り、欧米では既に事実婚、先行していますから。この手のトラブルも既にあり、対処方法もあるんでしょう。でも、今ここでやろうとしているのは、白石さんの恋愛相談。そう、結婚自体じゃない。端折れるところは、端折っていきます。で、恋愛ケースの検討です。
たとえば、彼氏さんが、彼女なんていないよ、とウソをつく場合。または、横恋慕さんが、彼氏さんに彼女がいることに、気づかない場合。彼氏の浮気を防ぐため、彼女さんはどーすべきか? ひいては、好きになってから彼女持ちと気づいてしまった横恋慕さんに対しては?」
「タクちゃん。最後のは、おせっかいだと思う。相手に彼女がいようがいまいが、好きになっちゃったら、止められないよ」
「だから。そうなる前の話です。もっと事前の段階です。結婚してるなら、指輪って話、しましたよね。でも、指輪は、法律等で義務づけられているわけじゃないし、指輪を外して、つまり既婚であることを隠して、独身女性をだまくらかす男性だって。中にはいるでしょう?」
桜子が連れてくる女の子の恋愛相談にのるために、私はしばしば、ネットの四方山相談のコーナー等を読んできた。既婚隠しのナンパ男というのは、どうやらポピュラーな存在らしく、ほうぼうで似たような話が出てくる。けれど悲しいかな、騙された女性が適切な方法で窮地を脱した、というオチの話は、多くない。相手の奥さんに見つかるのが怖いから泣き寝入りした、とかいう終わり方が非常に多い印象だ。結婚詐欺自体、立件が難しい犯罪というし、その前段階……の恋愛詐欺? の解決が難しいのも、むべなるかな、とも思う。まあ、たぶん、この既婚隠しナンパに、適切な名前がついていないのが一因だろう。キャッチャーな名前がつき、解決方法がテンプレ化すれば、もう少し騙される純朴男女が減るだろうとは思う……。
「さて。現実にパートナーがいる男性に対して、交際中であることの対外証明を一目瞭然とするための、条件を考えます。➀普通の服装でも、その対外証明を着用しているのが、バッチリと分かる。➁パートナーの手によって着脱でき、着用者本人が自由に取り外せない。③普段の生活に支障がないくらいの大きさ形で、さらに普段の生活に支障がない部位に着用可能④パートナーの名前が他人から分かれば、なおよい。以上の条件を満たす、アクセサリー・アイテムのたぐいを考案すればよい。で、すぐに思い浮かぶのが、タグつきの首輪」
耳たぶに、ピアス穴を開けて鑑札をつける……という方法も考えた。
ぶっちゃけ言ってしまえば、ペットや家畜に飼い主が着ける、認識票だ。
「ねえ、タクちゃん。私、すぐにカギをなくしてしまうタイプなのよ。錠前式じゃなく、ダイヤルロックとかにして、いい? 大きくなる分、少し重そうだけれど」
「単なる思考実験だから、そういう些末な部分にまでツッコミを入れないで。てか、桜子、なんで君が私の首輪のカギを持つっていう想定なんだよ。……ええっと。次にこの首輪の効能について。
一つ目。原理的に彼女さんしか着脱できないので、彼氏さんが彼女さんに隠れて、こっそり浮気、なんてことはできません。
二つ目。彼氏さんの周囲の人間が、彼氏さんの浮気について注意してくれます。観察眼がなくて、彼氏の首輪に気づかないウッカリ女子がいたとしても、『あの男の首を見てご覧、ステディな女性がいるんだよ』と教えてくれるという寸法です。あるいは、彼女持ちであることを重々承知の上で略奪愛を仕掛けてくる泥棒猫さんがいるとしても、手を出しちゃダメだよ……とたしなめてくれる」
「そんなに、うまくいくかなあ。こういうことに口を出したがるお節介オバサンばっかりならいいけど、普通は無関心……とまではいかなくとも、積極的にとがめだてしたり、しないんじゃない?」
「まあ、結婚している場合と違って恋愛ですからね。桜子のいう通り、とがめるというのは実際あんまりないかもしれない。けれど気づかずにアプローチしているんではないか、と気づかって、親切心で声をかけてくれる人は、少なからずいるんじゃないかな」
効能は、まだある。
「三つ目。彼氏が特殊な趣味の持ち主で、一般的な女性は恋愛対象にならないよ、というアピールが可能になる。たとえば……鑑札付首輪をしていれば、彼氏がドエム、被虐趣味者で、どんなに可愛い女の子に告白されたとしても、SMのたしなみがない人とは、男女交際できないよーというアッピールになる」
白石さんは目を三角にして、キッと抗議してきた。
「庭野センセ。私の彼氏、全然そういう趣味ないと思うんですけど」
「モノのたとえ、ですよ、白石さん。横恋慕さんがちょっかいかけにくそうな性癖であれば、いいんです。白石さんと彼氏さんの共通の趣味として吹奏楽部で同じパート……ピッコロ奏者だっていうのも、ありますね。だったら、2人で、たとえば日和山公園で練習しているところを、丸森さんに見せつけるっていう手もありますね。彼氏さんがクラシック音楽の頑固なファンで、昨今はやりの音楽……ポップスやロック、ヘビメタにジャズなんかの他ジャンルに全く興味を持たないよ……なんていう噂を流しても、いい。なんだかトッツキにくそうな彼氏さんだなーっていう印象を、丸森さんが持つようになったら、泥棒猫よけに成功です。まあ、ドラキュラ退治の場合の、ニンニクみたいなものかな」
「ウチのタケヒト君は、クラシックに限らず、洋楽ならだいたい嫌わない人です」
「だから、こういう例もありますよ、ていう話ですよ、白石さん」
「はい。タクちゃん。質問」
「なにさ、桜子」
「そういう泥棒猫よけって、彼氏さんのマイナス部分をアピールするようなネタじゃないと、ダメなの?」
「そうでもない。ただ解説をするときには一番分かりやすいかな、と思って」
金融……株式市場なんかでは、れっきとした戦略としてある。焦土作戦とか毒薬条項とか、ぶっちゃけ、敵対的な買収相手を撃退するために、自分の価値を貶める、という戦略だ。
「物騒なネーミングねえ」
「発想はみんな同じ、てね。話を恋愛に戻そう。ええっと。今は、見合いはともかく、政略結婚なんていうのは、お昼のメロドラマぐらいでしか見かけなくなったレアものですけど、ロミオとジュリエットみたいに、周囲の無理解で結婚が認められず、無理やり嫁入りさせられそうになる場合。当の女の子が、わざと不良っぽい恰好をしたり、ビッチっぽい化粧をしたり、はたまたヤクザの姐御っぽいタンカを切ったりして、相手男性や婚家の人に嫌われて、撃退するっていう手がありますね」
白石さんが首をひねる。
「ロミオとジュリエットって、そんな話でしたっけ」
「まあまあ、白石さん。こまけえことは、いいんだよ」
「まあ、言いたいことは分かるわよ、タクちゃん。良家のお嬢さんだと思ったのに、アバズレ娘がってヤツね」
「はは。桜子の言う通り。大正昭和を舞台にした漫画なんかにありそうなシチュエーション、かな」
「ふむ」
「でも、私がこの戦略を防衛側の彼女……あるいはカップルに薦めるとしたら、自分たちのヒストリーを振り返りなさいってアドバイスするかな」
「ヒストリー?」
「日本での男女交際は、正式には……いや本式には、告白から始まるものでしょうけど、その前段階も含めた恋愛の軌跡を振り返りなさいってこと。
なんで彼氏を好きになったのか?
どんな風にデートして、どんなふうに告白を受けて、どんなふうに周囲の人たちにお披露目していったのか? とかね。
2人で過ごした長い時間のうちには、2人だけの絆、というかこだわりみたいなモノが見えてくるんじゃないか、と思うわけ。たとえば、さっき言った、2人ともピッコロ奏者だから、クラシック音楽しか聞かないとか、白石さんはウチのモレル講師にピッコロを習っているから、サッカーのワールドカップでは、日本以外ではフランスしか応援しない、だとか」
「わ。庭野センセ。モレル先生に私が習っていること、覚えていてくれたんですね」
「まあね。で。一つ一つは他愛ないものでも……たとえば白石さんと彼氏さんがクラシックしか聞かないとしても、丸森さんも偶然同じ趣味っていう可能性はある。でも、サッカーは日本以外フランスしか応援しないとか、2人ともパンよりご飯派だとか、夏より冬が好きだとか……たくさんのこだわりの積み重ねがあれば、いずれは丸森さんがちょっかいを出しにくいこだわり、みたいなモノに行きつくんじゃないかな、と思うわけです」
「その。そんなに簡単に行く? 姫ちゃんよけの厄除け、見つけるの大変じゃないの?」
「デートでインスタ用の写真を撮って漫然と眺めているだけでは、なかなか行きつかないかもしれない。その写真を含めた色々なモノを……自分の気持ち彼氏の気持ち、彼氏と交際して変わったコト、変わらないコト、全部を『言葉』にしていく作業をしなさい、とアドバイスしたいね」
「うーん」
「キレイごとを並び立てれば、自分たちの愛を確認して、それを発露させなさい……それが外野を寄せつけない一番の近道だよ、とか何とか、少しクサい台詞になる」
「そっかー。じゃあ早速、カナデちゃん家に行って、デート写真とか、見せてもらお」
「サクラちゃん、野次馬ね」
それから気づいたように、桜子は私の袖を引っ張った。
「なんだい? お茶菓子のセンベイが足りないとか?」
「違うわよ。ノーパンミニスカ」
「ああ。あれか。さっきいった、鑑札付首輪の続き、だよ。首を見て彼氏がドマゾと知ったら、丸森さんはさすがに手を出さないかも、って説明したよね。いくら彼氏さんが背の高いイケメンでも、そんなアブノーマルな性癖だったら、いらない、とか」
「ん。確かに、さっき言ってた」
「同じ要領で、泥棒猫さんがドン引きするような性癖、何か設定できないかって思ってさ。色々考えたんだ。で、白石さんと消防士彼氏さんにぴったりのに思いあたった。……デブ専」
「え。なに?」
「デブ専」
一瞬、場がシーンとなる。
私は慌てて、言い訳する。
「いやね。白石さんの体型をケナすとか、笑い飛ばすとか、そういう意図は毛頭ないよ。とにかく、毛色の変わった趣味で、丸森さんが嫌うだろうって確信がもてそうなのが、まずこれだったってことで」
白石さんは、目だけ笑ってない笑顔になった。
「気を遣ってもらわなくてもいいですよ、庭野センセ。私が肥満なのはどこの誰が見ても客観的事実ですし」
「お。おう。彼氏さんの口から言ってもらうにせよ、四六時中、デブ専宣言しててもらうのは大変だ。だから、何か、そういう特殊趣味っていうのが分かるアクセサリーとかを着けてもらう……ていうのは、どうかな。白石さん自身からは『彼氏は体重75キロ以上のぽっちゃりさんにしかコーフンしないタイプ』とか何とか、ノロけてもらうことにして。丸森さんがどうしても消防士彼氏さんを欲しいと思えば、バクバクご飯を食べて太るしかない。でも実際に太れば、取巻きの男の子たちに敬遠されるだろう。丸森さん、略奪愛を成功させるのと、姫でい続けるのと、どっちを選択すべきかって問題になるね」
「そっか。私のガード、どうのこうのって言うんじゃなく、ミホちゃんがボールを持つってことですね、庭野センセ」
「ま。そういうことです。で、このデブ専宣言に、より説得力を持たせるのにはどーしたらいいかというと、それは、白石さん自身が、自分のポッチャリ具合をアピールする服装をすれば、いいんです」
「と、言うと?」
「たいてい、太っているという自覚があって、しかもその太っているという事実を恥じる人は、体型が目立たないような服装をするものです。全身まんべんなくポッチャリの人は、ダブダブの、輪郭が不鮮明になるような服装。あるいは、下半身だけ固太りしているような人は、上半身は華やかな色合いデザインのを着て、下は黒一色とか。黒は身体を引き締めて見せる効果があるし、上半身に派手なのを着れば、地味に装う下半身には注意がいかない、という寸法です」
「ふーん」
「でも、白石さんの場合、そういう体型をカバーするような工夫、特にしてないみたいだから。この間、塾長室に来た時、色使いにもシルエットにも体型隠しの工夫はなかった。あ。別に責めたりしているわけじゃないですよ。TPOに合せた、セミ・フォーマルな服装、とっても良かったと思ってます。でも、対・丸森さん戦略でなら、それではいけない。ボディコンシャスな……身体の線がハッキリクッキリ出るような恰好をする必要があります。ひょっとしたら、それで陰口を叩かれる可能性もある……身の程をわきまえないで、とか、百貫デブのくせして、とか、三段腹が目立つ恰好どういう神経してんの、とか、ね」
「女の闘いはツラいんですね、庭野センセ」
「分かってくれて嬉しいです、白石さん。で、そのボディコンシャスの一環として、腕だの足だのを露出しましょう、という話です。太っているっていうのは、一般的にトルソー部分……腹が出っ張るとか、顔が風船みたいに膨らんでいるとか、正面から見て一目瞭然のパーツについて言う事が多い。でも、女性自身はあんまり意識していなくとも、二の腕や太ももの二さなんか、見てるひとはちゃんと見てるんです。で、大根足の大根っぷりを目立たせるには、やはりミニスカート」
「タクちゃーん。なんか、こじつけっぽいよ」
「太った人がミニスカになる際には、二つの恥ずかしさがあります。一つ目は、太い足を見られるのが恥ずかしい。二つ目が、エッチ臭くてパンツが見えそうなのが、恥ずかしい。で、度胸をつけるため、そして羞恥心克服のため、あらかじめミニスカノーパンになって練習しておけば、学校でも塾でも、平気の平左で太い足を晒して、ポッチャリアピールできるぞ、という趣旨なのです」
「庭野センセ。それって、そもそも、ウチのタケヒト君がデブ専だっていう前提条件ですよね」
「うーん。もちろん彼氏さんとは一度も会ったことがないわけだけれど、スレンダータイプが好きっていうのは、十中八九、ないと思うなあ」
「瘦せ型が好きじゃないとしても、デブ好きとは限らないでしょ、タクちゃん」
「ま。確かに桜子の言うのが、正論だけれど」
あまり期待してはいなかったけれど、今後の作戦立案の参考にするため、白石さんに頼んで彼氏に連絡を入れてもらう。デブ専かどうか、確認のため……というより、どんなフェチがあるか、探りを入れるためだ。なに、足フェチには足フェチなりの、ウナジフェチにはウナジフェチなりの、作戦の立て方がある。
『もしもし? タケヒト君?』
『ああ。カナデちゃんか』
オッサンそのもの、という野太い声は、不機嫌だった。
ちょうど非番に入ったので寝ていたところ、という。消防士さんの彼女歴一年以上になる白石さんは、この手の専門職の勤務形態うんぬんに詳しくて、『疲れてるところ、ゴメンねえ』を連発した。実は親友と塾のセンセが同席して、話を聞いている……と言うと、さらに不機嫌になったようだった。
『で? 塾の先生が一緒って、何か勉強の相談なの?』
白石さんは、姫の名前を出さず、浮気対策の件を長々しゃべった。もちろん、彼氏さんが浮気するかもしれない……なんていう、心配というか猜疑心というか、そういうのはみじんも感じさせないように、奥歯にモノが挟まったよう慎重さで、だ。
娘ッコ2人は意外だったようだけど、彼氏さんは私たちの申し出を全面的に肯定した。
首輪について。
『マゾじゃないけど、カナデちゃんがどーしてもっていうなら、つけて歩くよ。ただし、勤務時間中はナシな』
デブ専について。
『鶏ガラみたいな女がいいっていうのは、実際の女を知らない童貞君たちの妄想だ。それから、ダイエット薬やシェイプアップ体操を売りつけようとする悪徳会社の陰謀だ。あばら骨がゴツゴツ当たるような身体の何がいいんだい。抱き心地を考えたら、断然ぽっちゃりがいい。というか、少しぐらい太って見えるくらいが、ベストだって』
当てずっぽうな私の邪推が、期せずして当たった瞬間であった。
私は白石さん持参のボストンバッグをスルスルと手元に引き寄せ、彼氏さんと会話を続ける白石さんに、声なき声でコールした。
「ノーパン、ノーパン、ノーパン、ノーパ」
気づいたときには、朝になっていた。
登校前に様子を見に来てくれた桜子は、悪びれる様子もなく、青タンができた私の目の周りをツンツンつついた。
「私のパンチと床に頭を打ちつけたショックで、スケベなところが少しでも治ってくれれば、いいんだけど」
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