第3話 汝の敵、愛せるものなのか?
塾長室がウンコグッズ満載になって以来、来客の皆さんが、お茶でなく珈琲を注文するようになった。ちなみに、お茶は桃生の地元農家から直に分けてもらっている、一級品だ。別段しょっぱくもないしアンモニア臭くもないはずだけれども、どうもトイレの連想をしてしまうらしい。
自虐的に、お茶菓子にカリントウを出し始めてからは、喜んでボリボリかじるのは、食い意地張った我が姪だけになってしまった。
白石さんは、気を遣ってか、拒否の理由をやんわりと伝えてくれる。
「今、ちょうど、ダイエット中なんですよ」
桜子が「じゃあ、それ頂戴」と親友の分もバリバリ食ってしまう。
「てか。カナデちゃんは、いっつもダイエット中ねえ」
「ふん。サクラちゃんの、イケズ」
「まあまあ。お二人さん」
白石さんの体型をいじるために、腰を落ち着けてもらったわけじゃない。
「……白石さんと消防士さんの馴れ初め、一度聞いたことがあったよね。彼氏はお姉さんの同級生で高校時代はブラスバンド部員。ピッコロ? だったっけ、同じ楽器担当の縁で、仲良くなった、とか」
「そうです」
「姫と……丸森さんと消防士さんとの接点が、思い浮かばないんだけど。片や社会人、片や女子高生。今やはりの出会い系アプリとかで知合ったとか? でも、それが白石さんの彼氏だなんて、出来過ぎてるよね。ひょっとして、白石さん自身が、彼氏さんのことを、姫に紹介して、横恋慕されちゃった?」
「ヌード写真です」
「え。白石さんの? それとも丸森さんの?」
「サークラコー。コークスクリュー、アッパーっ」
「ひでぶっ」
アゴが……外れはしなかったけれど、ガタガタになる。
「技名を大声で告げるのは、少年漫画の読み過ぎだな、桜子」
「反省しなさい、タクちゃん。とにかく、エッチな想像は、ダメ。仮にも自分の塾の生徒さんで、可愛い姪の友達でしょーが」
「いきなりアッパーカットしてくる姪は、可愛くない」
「違うのっ。可愛いのっ」
「てか、妄想もダメなのかよ」
「ダメ」
「……あのう。ヌード写真っていっても、彼氏の……タケヒト君の、ですけど」
「は?」
火事や自然災害等で保護者を亡くした遺児のため、石巻広域消防で、ボランティア資金を募ることになった。せっかくだからと、消防士の若い衆で、ヌードカレンダーを出すことになったそうな。
「出すことになったっていうか、去年の暮れ、既に出てるんですけどね。それに、ヌードっていっても全員が男性消防士で、セミヌードカレンダー」
そう言えば、海外でもオーストラリアの消防士さんたちが、国内では沖縄で、同じ企画のカレンダーが出ていったっけ。
「好評のうちに完売して、そのうちの一部を姫ちゃんが手に入れたそうです。取巻きのパソコンオタク君の一人に、消防士のイトコがいて……ちょうど、そのヌードカレンダーのモデルさんをしてたとか。カメラ越しじゃなく、リアルでも観賞できそうと知った姫ちゃんが、そのたくましい男性美に、好奇心を持っちゃったんです。姫ちゃん曰く、こんなカッコイイお兄さんやオジサマなら、囲いの騎士に一人か二人、欲しいわ」
「うっわー」
言われたほうは、ドンビキだろう、と思う。
「で? そのパソコンオタクくんは、イトコを丸森さんに引き合わせた?」
「ヌードに感激したから会いたい……で、会ってくれる男子がいたら、苦労しませんって。取巻きの一人にしたい、だなんて失礼を通りこして地雷臭ぷんぷんな感じでしょうし」
「ま。そだね」
「それで……姫ちゃんたちは、言い訳を考えました。自分たちも来年、募金のためにヌードカレンダーをこしらえたいから、指導してくれる消防士さん、カモーンって」
「はあ。カモーン、ねえ」
「姫ちゃんのオタサーにはカメラ小僧もいたから、一度、強制的に、そのカレンダー写真と同じ構図でヌード写真を撮りはしたそうです。でもなんだか、ものすごく微妙だったらしくって。ほら、姫ちゃんの騎士さんたちって、皆インドア派でしょ。揃いも揃って、色白でぷよぷよな体型だった、とか。姫ちゃんご本人に聞いたら、『性欲よりも食欲が湧きそうな、お肉の群れ』だったらしいです……」
筋トレと日焼けの指導のため、改めてイトコさんを招聘したのだけれど……「代わりに、タケヒト君が行きました。なんでも、石巻東消防署一の筋トレの鬼。懸垂下降から放水まで、野外での活躍もバッチリ。この手のインストラクターとしては、うってつけだって、触れ込みだったらしいです。姫ちゃんは、当たり籤を引いたって、大喜びだったみたい。まあ、鍛え上げられたカラダに、身長195センチ。それでいてピッコロ奏者っていう意外性……インドア派への理解もあって……」
なんだか、白石さんの瞳がハート型になってるような……。
「白石さん、白石さん。ノロケは、そのくらいでお願いします」
「あ」
桜子も苦笑いしながら、親友の肩を叩いた。
「まあ。囲いのオタク君たちは、いいツラの皮よね」
白石さんが気を取り直して、続きを話す。
「……姫ちゃんは、自分が姫だっていうことをオクビにも出さないで、タケヒト君に急接近していきました。野球部やサッカー部の女子マネージャーみたいな感じって言ったら、いいんでしょうか? サークルメンバーのためにプロテインを買いに行く、とか。集合写真のためにロケハンで必要だから、観光地を見たいって口実をつけて、あちこちデートに連れまわす、とか。きーっ」
今度は、私がなだめても、白石さんの怒りは収まらない。
友情を守りたいって話は、どーなったのさ?
「まあまあ。怒るのは最後まで説明してからね」
桜子に促されて、白石さんはようやく落ち着いた。
「彼氏のほうは、サークルの仕事の一環のつもりじゃ、ないのかな? デートって意識しているわけじゃ、なくって」
「いいえ。デート、ですっ」
「はあ」
2人で仲良く写った写真を、丸森さんご本人から見せられた、という。
「え。もしかして、姫、白石さんに宣戦布告してきたって、こと?」
「逆です。私のほうから、問い詰めました。サークル活動で買い出ししてきただけよ、とか何とか、しらばっくれてましたけど。確信犯ですっ。普通、単なる買物ごときで、腕を組んだり、一緒にピースしたりする写真なんか、撮らないでしょう?」
「……彼氏さんには、問い詰めたの? この浮気者って」
「まだです……てか、怖くて、できないです」
体型にコンプレックスがある白石さんが、それでも消防士彼氏さんに誇れるのは、「若さ」である。いや、もっと端的に「女子高生である」という事実である。彼氏さん自身、同僚や友人たちに白石さんを紹介する時には「女子高生だ」というところを自慢していたそうだから、利害一致というか、少なくともセールスポイントがセールスポイントとして、ちゃんと機能していた、ということだろう。
まあまあ小ぎれいで、まあまあ痩せている社会人女性が彼氏にモーションをかけてきたところで、「女子高生」という金看板で「泥棒猫」さんをはねのけられる……という妙な自信があったらしいのだけれど……。
「姫ちゃん相手には、そのアドバンテージが通用しません。だって、同じ女子高生だし。彼女のほうが、痩せてて、可愛いし」
「まあまあ。事情を聞いた限りでは、丸森さん、必ずしも彼氏さんを略奪してやろうっていう意図じゃないかもって、思いますよ。だって、丸森さん、自分の彼氏にしたいって、言ってるわけじゃないでしょぅ。取巻きの一人として欲しいって、言ってるわけで」
「そーゆー言い方が、許せないんですっ。私にはたった一人の大事なステディなのに、姫ちゃんにとっては、いっぱいいるキープさんの一人、だなんて」
「まあ、気持ちは分かるよ。で、そんなワガママ泥棒猫さんでも、丸森さんとは友達でいたい、と」
「ミホちゃん、本当はああいうふしだらな……男子を左右に侍らせてウハウハ、みたいなタイプじゃなかったんです。もっと真面目でいい子なんです」
中学は彼女と別々だけれど、共通の知人から、丸森さんが地味な女の子だったという情報は得ている、という。つまり丸森さんが「はっちゃけた」のは進学してからの話しで、高校デビュー組だ、ということだ。
「そもそも、真面目で地味な面がなければ、理系選択してないし、塾でだって理系ガールズなんていう異名をもらって、特別扱いしてもらえるくらいの優等生に、なれてないと思うんです」
「なるほど。説得力、ある」
「幸い傷は深くない……ウチのタケヒト君のほうは、浮気のトバ口に立ってるっていう自覚はないし、姫ちゃんのほうも、取巻きさんたちの手前、そんなに積極的にアプローチしてない。だから、このまんま、元の鞘に収まって欲しい」
「んー。もっと具体的な材料がないと作戦はたてにくいけれど……最終目標は、はっきりしてるか」
「はい。私、彼氏と親友を、同時に失いたくありません」
「勝利条件、というか落としどころは、どのへんにしようか? 丸森さんが彼氏さんを諦めるって言っても、具体的な線引きが、ね」
大人だったら、彼氏さんから白石さんへのプロポーズとか、分かりやすいケジメ、ありそうだけれど。
「わ。プロポーズ。いいですよねえ」
うっとり自分の世界に入っていってしまう白石さんに代わり、我が姪が言う。
「タクちゃん?」
「彼氏さんに浮気をキッパリ諦めさせるのは、なんとかなっても、その状態で丸森さんと親友でい続けるっていうのが、難しいかなあ」
女の友情は紙より薄いって言ったりするけれど。
「じゃあ、男の友情は、どーなのよ」
「スポーツみたいに、勝っても負けても、いいライバルとしてお互い認め合うっていうのなら、いいんだけれど。恋愛の場合、同じ男をめぐって、二度目の勝負、なんて基本的にないもんね。トロフィーは基本、一個しかない世界だ」
自分で言った言葉で、私は一人合点した。
「あ。そうか。その消防士彼氏さんを、トロフィーでなくせば、いいってことだ。丸森さんに、諦めさせるっていうより、愛想を尽かさせるって感じにすれば」
「タクちゃん?」
「勝利条件。丸森さんが白旗を上げて、白石さんと彼氏さんの仲を応援すると言ってくれる。祝福してくれる。その祝福の言葉をもって、勝利ってことで、どうだろう」
仮に丸森さんと喧嘩別れをしていたら、彼女が2人を祝福してくれるわけがないので、この言葉は、友情と愛情、どちらも守った何よりの証拠となる。
「異議なし、です」
白石さんの力強い肯定に、桜子もうなずいた。
「では。具体的な工作は、後日、ウチの児童図書室に場を移してからやるよ。昼間は夏日になるくらい暑くなるけど、まだまだ春先で朝晩冷える時があるからさ。服装はじゅうぶん、気をつけてきてね。なんせ、最終的にはノーパンミニスカになってもら」
ここで私の記憶は切れている。
次に気づいたときには、既に白石さんの姿はなく、心配そうに私の顔を覗く木下先生と、どこから調達してきたのか、チョコバーをボリボリ食らう桜子の姿があった。
「あ。起きた。タクちゃん、ごっめーん。なんか、会心の一撃が入っちゃってー」
「おい。全然反省してないだろ、我が姪よ」
「そもそもタクちゃんが悪いのよ。例によって、趣味と実益兼ねて、カナデちゃんをノーパンミニスカにさせるつもりなんでしょっ。私を納得させるだけの屁理屈じゃなかったら、コンポ技でKOするから、そのつもりで」
「やれやれ」
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